Dubai / Maroc 2010 (21)

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 マラケシュに滞在している間考え続けていたのは、スークの静かさ/静けさのことだった。音空間としては、反対に賑やかな夕刻以降のフナ広場が断然面白くて、四方田犬彦のエッセイに偽りはなかったと思う(なかなか、その本題に辿り着けないでいるのだが)。それでも、一番印象に残っているのは「静けさ」の方で、帰国してからもそのことについて考え続けている。

 スークや市場と聞いて咄嗟に思い浮かぶのは、雰囲気の明るさと尋常でない賑やかさである。大音量で流れる音楽、熱心な売り子の声々、集う人々の声高らかな会話。とりわけアジアやアフリカの各地では、電気店やレコード屋から溢れ出す音楽が喧しい。しかしマラケシュのスークでは、行き交うバイクの音にしばしば耳を塞ぐ思いをするものの、それでも実に静かな空間だと感じ入る。

 フナ広場から北へ延々広がるこのスークのエリアには、CDショップや電気店が全くない(らしい)ことが幸いしているのかも知れない。いやそれどころか、カフェですら BGM を流さない。音の足し算しか考えない日本とは対照的に、音の引き算がきちんと出来ている。この静穏感を支えているのは、恐らく人々の穏やかさだと思う。売り手にもおよそ熱さというものが一切認められず、声を高めて話す人はほとんどいない。適切にコントロールされたサウンドスケープを培ってきた歴史を感じさせられる。

 マラケシュにわずか数日間過ごしただけでも体感されるのは、ここが、アラブ、ブラック・アフリカ、ヨーロッパのそれぞれの風土や文化が交わった上で成り立っているということ。より細かく挙げるならば、ベルベルもトゥアレグもユダヤも混じりあっていることが了解される。

 モロッコのヨーロッパ的性質を感じたことはすでに書いた。スークの静けさも、ヨーロッパの流儀や気品のようなものが、一部浸透して生まれたものなのかも知れない。だが、それだけではない。アラブ人の気質、アフリカ人の心持ちなども染み渡って保たれている、静けさなのではないだろうか。

 一般にアフリカ人は気性が荒いと捉えられがちかも知れない。実際、レゴスやキンシャサの人々に、強烈なアグレッシブさを感じたこともあった。しかし、それとて一部で、世界のどこででも様々な性格な人々が集って暮らす。ダカールでもバマコでもキンシャサでもアジスアベバでも、ちょっと強気に出ると途端にしゅんとしてしまう大男たちに多く出会った。たとえ見た目が少々怖くても、自分と同じようなメンタリティーを持った人ばかりなのだ。

 結局のところ、マラケシュの静けさを生んだものが何なのか、それがどの程度独特なものなのかは、ただ考えただけでは分からない。しかし、サウンドスケープについて、あるいは音と人間との関係性について思索する上で、ひとつささやかな材料を得たように思う。

 何より、醜い日本のサウンドスケープからしばし逃れられたのは、とても幸せなことだ。マラケシュに来る前には相当タフな環境を覚悟していただけに、半ば肩すかしを喰らった気分になった。けれども、その誤解が解けて、心を許した音空間は、実に心地よいものだった。



11/23 (Tue)

 マラケシュ滞在の後半(11/23〜11/26 の3泊)は、スークのど真ん中にあるリヤド Riad Magellan に宿を変えた。連絡すると、23日の午前に Maison Arabe まで迎えに来てくれるという。スーク中心部は自動車の入れない小路ばかり。チェックアウトを済ませ、さて、どうするのかと思って待っていると、やって来たのは人力リヤカー。なるほどと、膝を打つ。

 リヤカーに荷物を載せ出発。メインの通りのひとつムアッシン Mouassine の中程で、突然小さな門をくぐる。これまで何度もここの前を往復したのに、その存在には気がつかなかった。

 マラケシュのスークはとうとう最後まで全ての道を把握しきれなかった。それくらい迷う。向かっている方角を失う。自分が一体どこにいるのか、ときどき分からなくなる。それなのに、さらにこうした袋小路が数知れず存在する。面白い。フェズの迷宮もいつか訪ねてみたくなる。

 小門をくぐり抜けた先には、パステルカラーの壁に挟まれた細い通りがジグザグに続く。リヤドへのこの道は、ガイドブックの地図や Google Map などで調べても出てこなかった。これでは見つけられない訳だ。途中、家屋や梁の下を何度もくぐり抜け、まるで地下道を歩んでいるような錯覚が生まれる。いや、実際に地底レベルを進んでいるのだろうか?

 メキシコ、グアナファトの懐かしい記憶が突然蘇ってきた。メキシコシティーから高速バスで北に走って辿り着いた、高原のその街の構造は実にミステリアスだった。急傾斜の道と立体交差があちこちにあって、二階建て構造になっているのだ。下階を歩いているつもりが、気がつくと上階にいて、またその逆も繰り返す。次第に訳が分からなくなってくる、不思議さ。言葉ではうまく説明できないのだが、もしかすると外国人が新宿駅周辺を彷徨ったら、これと似た感覚になるのかも知れない。

 小路を進むに従って、どんどん音が消えて行く。なんという静けさなのだろう。ここを通る行為が、まるで静けさの終点に辿り着くための儀式のように思えてきたのだった。

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by desertjazz | 2010-12-21 21:00 | 旅 - Abroad

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