Dubai / Maroc 2010 (25)

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(Place Djemaa el Fna, Marrakech, Maroc)


 念願かなって初めて訪れたモロッコについての旅行記/雑記録、ひとまず完結。おつきあい下さった方々に感謝します。




 これまでに経験した旅をその充実度から量って、濃いものと薄いものとに分けると、今回のモロッコ旅行はかなり薄い部類に含まれるだろう。特別な目的も滞在中の大発見もなく、ただただのんびり。マグレブ域は未体験ゾーンだったので、一度はその地を踏んだという「アリバイ作り」のために出かけたようなものだった。

 それでも、ブログで多少ディスク紹介などをしてみようかと思い立ち、12月1日から1日1本何となく書き始めてみた。最初は書くことを思いつかなかったり、着地点が見出せなかったりしたものの、飲みながら気ままに書いているうちに、自然と毎夜24時までには一応形にはなった。やはり酒の魔力は凄い。

 このペースで記憶メモしていくと、いつまでも続きそうなので、最近はどう終わらせようかと考えていた。気がついた人はいないと思うが、今回の連記、25時間間隔での更新という体裁にしている(実際には毎晩0時にアップしていたのだが)。つまりは1日の1時に始まって、23日23時、そして24日は0時とひとまわり。なので、24本でひと区切りするのが良いタイミングかと考えた次第。年越しするのも嫌だったので、一安心できた。



 今回の旅のハイライトはジェマア・エル・フナ広場 Place Djemaa el Fna を実体験したことだった。音楽のローカル性やコミュニティー・ミュージックのありようについて、興味深い観察ができたと思っている。また、あれだけ巨大な空間に渦巻き拡散する、混沌とした音群の中を彷徨うことも面白い体験だった。その独特なサウンド・スケープに興奮し、3次元アンビエント・ノイズに酔ったのだ。ここ数年間の個人的テーマに結びつくモデルばかりだったと思う。

 買ってきたCDもようやく一通り聴き終えようとしている。アラブアンダルース系のアルバムがなかなか良くて、最近繰り返し聴いている。また、今回の入手盤の中で最も興味深かったものは、調べてみたものの、まだアーティスト名も分からないでいる。

 結局これらについては全く書くことができなかった。別に勿体ぶって出し惜しみしている訳ではない。だが、過去を振り返っても、そのときそのときで一番惹かれたものや心を支配したものについては、意外とサイトやブログではきちんと取り上げていない。旅での素晴らしい体験については、ほとんど何も書けていないように思う。音楽に限っても、例えば5年前のナイジェリア旅行で聴いて興奮した作品たちは未紹介だし、3年前?にワシントンで Bruce Springsteen を観たときも具体的な感想は書かなかった。よっぽど珍しいレコードを手に入れても、ブログで披露することはせずにいる。

 どうしてなのか考えてみた。それは、文章化によるイメージや価値の固定化を避けてきたのだと思う。自分の文章力で書いてみても、不正確な状態でイメージが定着してしまうのを恐れたのだろう。興奮や感動をもたらした対象は、自分の中で謎の部分が大きくて、簡単には説明・表現できない、と言い換えられるかも知れない。

(勿論、よく分かっていないのでまだ書けないという一面はある。フナ広場についても、これまで書かれたであろう多くの文章ほどのものを書く自信が自分にはない。)

 忘れないようにブログやツィッターにメモすることもあり得るだろう。だが、それらはすでに、旅の途中で手帳やノートに書き込み済みだし、メモしていなくても絶対忘れようがない。ならば、謎は謎として残し、無理に綴り出してイメージを固定化させてしまわない。少しづつ調べながら長い時間をかけて自身の中で熟成させていった方が、意味があるし、楽しいことだと思う。

 自分にとって貴重な体験や作品は、何でもブログで紹介してしまうのではなく、友人らと美味しい酒を酌み交わしながら語り合うときにこそ相応しいものもある。最近、そのように感じている。




(余談 1)

 『M/D マイルス・デューイ・デイヴィスIII世研究』(菊地成孔+大谷能生、エスクアイア マガジン ジャパン)には、マイルスの最高傑作 "Kind of Blue" に関する論述だけがすっぽり抜けている。これは著者(菊地)流の芸かと思ったのだが、敢えて書かないという理由があったのかも知れない。たとえそうだとしても、自分のそれとは異なるのだろうが。


(余談 2)

 トマス・ピンチョンの短編集『スロー・ラーナー』を読んでいる。今日読んだその中の作品『ロウ・ランド』の一節。

海の話を聞くのは問題ないが、自分から海の話をしてはならない。なぜならきみと真の虚偽の真実とは、不思議な予測不能性の深みへ、ずっと前に放りだされているのだから。そう、きみは受け身でいるかぎりは、真実が成り立つ範囲を見きわめることができる、が、自分から働きかけた場合、世の中のきまりを破ったことにはならないにせよ、視野をかき乱してしまう。ちょうど素粒子の動きを観察すると、観察という行為によって結果がーーデータや確率値がーー動いてしまうのと同じである。(P.093)

 量子力学の不確定性原理のアナロジーに基づくこの文章、シンクロニシティーとまで言う気はないが、書くことによってイメージを「かき乱してしまう」のを恐れる、自分の今の気分に相応しい。






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by desertjazz | 2010-12-25 19:00 | 旅 - Abroad

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