Adriana Calcanhotto 日本公演

 アドリアーナ・カルカニョットの日本公演(11/2 東京・有楽町よみうりホール、11/4 大阪・フェニックス)を観て来た。以下、その雑感のいくつか。

 新作 "o microbio do samba"(『サンバの微生物』)の曲を基にしたステージ。東京、大阪ともに約1時間半。アルバムがわりかし地味な印象だったので、歌をじっくり聴かせる端正なステージングを予想して行ったのだが、これは嬉しい方向にすっかり裏切られた。

 アドリアーナの変名プロジェクトであるパルチンピンのライブ DVD を観る度に、おもちゃ箱をひっくり返したようなこんな楽しいステージを観られるブラジルの人たちが羨ましいと思ってしまう。今回の再来日公演はそんな羨望する気持ちをある程度満たしてくれるものでもあった。

 5曲目あたりまではじっくり歌い聴かせるものだったが、それ以降は徐々に遊びを加えていく演出に。ロボット風にダンスしたり、おもちゃのトラメガを使って歌ったり、パッド式のシンセ音源を演奏したり、シロ・モンテイロ風にマッチ箱を叩いたり、皿をナイフで擦ったり、カップボードの中でカップとスプーンをガチャガチャさせたり、ドライヤーで大部の楽譜を吹き飛ばし続けたり。大爆笑となったのはパスル発振器?をドメニコに持たせて退場させた時。そして、紙吹雪舞う中でのあの一曲! このような演出は、落ち着いた歌を邪魔するものではなく、反対に歌のイメージを格段に広げる役割を果たしていたことに驚かされた。

 演奏者たちも強者ぞろい。スネアと小さなバスドラムのみで多彩な音を生み出し、サンバのリズムを感じさせ続けたドメニコに眼が釘づけ。スネアを手のひらを裏返して叩いたり、バスドラムをリムショットしたり、スティックを皮に突き立てることでエフェクトしたりと、様々なアイディアとテクニックを駆使していた。アコギに過大なエフェクトをかけてほとんどエレキのようなサウンドにしていたのは面白かったし、とてもヴォーカルに長いヴォーカル・リバーヴをかけていたことも効果的だった。

 何といってもアドリアーナの求心力は凄かった。ビッグネームなのに気取りがない。そして、ブラジルの文化の奥深さを伝えるアイディアと力量。

 大好きなアドリアーナを日本でまた観られたのはとても幸せだった。けれどもこうした機会はもうないかも知れない。とりあえずの間しばらくは、彼女の DVD 3作を観ながら、今回の日本公演の余韻に浸ることができたらと思う。

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 インドのカウシキ・チャクラパルディーとブラジルのアドリアーナ・カルカニョットは自分のとって東西の2大ディーヴァ。今年そのふたりのライブを立て続けに観られたなんてまるで夢のようなことだった。

 けれども、ライブが待ちきれず、ちょっと気合いが空回りしてしまっただろうか。スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールドを含めて、今年はどの公演ともチケットが発売になった即後に手配(アマジーグ東京公演は番号が1番だった)。いずれともチケットを買ってからが実に長かった。

 折角の機会なので、自分のためにもカウシキやアドリアーナについて多少整理して書いておこう、あわよくばそれが来日公演に関して幾分なりとも有益な情報になればとも思ったのだったが、果たしてどうだっただろうか。カウシキの全アルバム・レビューなどを試みたものの、圧倒的に力不足だった。ブログでもツイッターでも間違いや不正確なことをいくつも書いてしまったようだ。違った意味に受け取られるのではと指摘されたものもあった。読み直してみて真意がきちんと伝わっていないと思った箇所は修正したり、誤解を招きそうなものは削除したりした。それでもまだ、カウシキのアルバム・レビューの訂正が全然できていない。

 結果として、今年のカウシキとアドリアーナに関しては満足な情報発信が出来なかったという反省が残る。ほとんど思うようにいかなかったかも知れない。インド音楽に関してもブラジル音楽に関しても自身の知識が足りないので、バックボーンが乏しいものについて何かを語る難しさを感じた。集中的に調べて聴いたことは自分にとっては有意義だったが、その反面、単に「好き」というだけ何かを綴る困難さと危うさも痛感させられた。今年は思うようにいかないことが多い。





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by desertjazz | 2011-11-07 23:59 | 音 - Music

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