読書メモ:カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』

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 カズオ・イシグロの第6長編小説『わたしを離さないで』(2005年)読了。5年振りの再読。


 この作品に関しては様々語られ紹介されてきたものの、少しでも内容に振れるとネタバレになる危険性があるし、柴田元幸の解説(単行本)にある「予備知識はすくなければ少ないほどよい作品」だとの指摘にも同感である。やはりこの作品の具体的内容については一切書かないというのが流儀なのだろう(ただし、著者自身はネタが明かされても構わないように語っているし、実際その通りだとも思う)。

 それと同時に、読後の感想や語るべきことがあまりに多い作品でもある。極めて独創的な発想から、構成から、文体から、心に落ちてくる感慨まで、何から何までが素晴らしい。前作までは瑕疵と感じられる箇所やささやかな疑問を時折抱くところもあったが、この作品に対してはそのようなことが微塵もない。まさに完璧な小説だと思う。

 前作『わたしたちが孤児だったころ』を読んだ時には「なんて悲しい小説なんだろう」と思い続けた。本作では引き起こされる悲しみがさらに深く、そんな悲しさを通り越していて残酷と言った方が相応しいだろう。あまりに残酷なストーリーで、もう涙の一滴すら浮かんでこないほど。

 11/8 の読書メモで、ナボコフの『ロリータ』、ジョナサン・サフラン・フォアの『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』、カズオ・イシグロの『遠い山なみの光』などは、守り切られなかった子供が主たる登場人物となる小説と言えるのかもしれない、と感じたことを書いた。この時は、ル・クレジオのいくつかの作品やクッツェーの『恥辱』なども頭に浮かんだ(後者に登場するのは女子大学生だが)。『わたしたちが孤児だったころ』と『わたしを離さないで』も似た特質を持っている。

 いや、『わたしたちが孤児だったころ』と『わたしを離さないで』が描く世界の方がはるかに悲劇的だ。子供は守られるべき存在、必至で守ろうとする大人が現れる。けれども、現実世界はとても理不尽で不条理で暴力的で残酷なもの。子供時代にはそのことを知らないが、大人になっていく過程で徐々にそうした現実を学んでいく。ただし、この2作品では最後に救いがあったのかなかったのか。現実の暴力性/残酷さが勝っていると受けとめるべきなのだろうか。

 著者は当初、この小説では原子爆弾を題材にして、科学のもつ限界や矛盾を象徴させようと構想したらしい。その観点からはおのずと重大事故を起こした原発も連想させ、そこに深い現代性も感じさせる。誰もが残酷な世界で生きている、その中で生き暴力に打ち克つのは容易ではない、つまりは大人も子供も大差ない、そのようなメッセージさえ読み解けるのかもしれない。


 この小説は読み進むうちに謎が徐々に明らかになっていき、身体が打ち震えるような恐怖すら感じてしまう。けれども、ほとんどの話の筋が頭に残った状態で再読して、よりいっそう味わえた。これは何度でも繰り返し読みたくなる傑作であるに違いない(日本語訳を再読し終えて、早速英語版で読み返し始めている)。


 さて次は、結局観に行けなかった映画『わたしを離さないで』を観ておこうと思うし、イシグロが脚本を担当した『世界で一番悲しい音楽 The Saddest Music in the World』(2003年)と『上海の伯爵夫人 The White Countess』(2005年)もビデオか DVD を手に入れて観てみたい。

 そして残るは最新作の『夜想曲集:音楽と夕暮れをめぐる五つの物語』(2009年)。ここまで6冊集中して精読した分だけ、主人公のキャシー並みに消耗も激しかった。最後のこの作品集はもう少しゆったりした気分で読んでみたいようにも思う。


(この話、少しだけ続く。)





by desertjazz | 2011-11-29 23:00 | 本 - Readings

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