村上春樹『サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3』からの雑感(2)

 村上春樹のエッセイ集『サラダ好きのライオン』を読んで、著者と一緒のことを考えていると気がついた例をもうひとつ。

「こういうのがあれば世の中はもう少し便利になるのにな、と常日頃考えているのに、なかなか商品化・実現化されないものがある。
 たとえば小音量のクラクション。」(「いわゆる新宿駅装置」P.102)


 村上は「前の歩行者に「車が行きますよ」と軽く注意したい」ときの「ささやかモード」があれば便利だろうというのだ。

 私もこれと同じことをずいぶん昔から考えていた。歩いているとき、いきなりクラクションを鳴らされると、ビックリしてしまうし、正直気分もよくない。それがもし「ホワン」といった感じの優しい音だったら、そんな驚きや気分も和らげられるのではないだろうか。

 この「ソフト・クラクション」ないしは「ソフト・モード」、絶対登場するはず。そう思いながら何年経っても実現しない。こうなったら直接自動車会社に売り込んで、ついでに特許も取って儲けてやろうと何度思ったことか。

 だけど、村上春樹も考えたくらいだから(?)、同じアイデアを思いついたに人が他にも大勢いるに違いない。ましてやエンジン音のしない、あるいはハイブリッド型の電気自動車が増えている時代だ。後方から近づく車に気がつきにくい分、ソフト・モードの需要はますます高まるはず。ケータイ画面に夢中になって歩いている人に対しても効果があるだろう。

 それが何故商品化されないのか。やっぱり柔らかい音だとクラクションの機能としては中途半端すぎるのかもしれない。ヘッドホンで耳を塞いで歩いている人に対しては、どんな音で注意してみても無意味だし。


 思い出すのは昨年秋のモロッコ旅行のこと。フェズやマラケシュのメディナ(旧市街)の主な路地は日中、人やロバや手押し車などでごった返す。狭い通りに人々が密集し、まるで渋谷センター街レベルの密度になる。ところがこんなところを歩いていても、日本の都会の通りとは違って不思議とストレスを感じない。その要因のひとつは、誰もが正面に顔を向けていて、周囲を伺いながら歩いているため、自然と身をかわすことが出来ているからだと気づいた。


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Fez, Morocco 2012

(・・・現代人の一部は生き物としても生存本能を捨てているなと改めて思う。この話を始めると長くなりそう。なのでまた別の機会に。)


 コミュニケーションの問題を工業技術的な方法だけで解決するには、恐らく限界があるのだろう。特別なクラクションなど必要としない、普通のコミュニケーションが当たり前にやりとりされる世の中を取り戻す、きっとそれが最も望ましいことなのだと思う。


(つづく)






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by desertjazz | 2013-02-12 00:00 | 本 - Readings

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