読書メモ:トマス・ピンチョン『重力の虹』

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 トマス・ピンチョンの『重力の虹』を読了。読んでいる間に強く感じ続けたのは、ピンチョンという人間がこの巨大な作品を生み出すために集約し、そして解き放った膨大なエネルギーだった。


 「ピンチョン全小説」もいよいよ最終作品。先に書いた通り、昨年末に『逆光』2冊(ピンチョン最長の作品)を2週間ほどで読み終え、続けて『ヴァインランド』に突入したものの思うように進まず、これ1冊に2週間も費やすことに。それでも勢いに乗ってそのまま『重力の虹』までゴールしてしまおうと思ったものの、これがさっぱり進まず。

 ピンチョンを1ヶ月で3冊も読んだ疲れが出たのだろうか。読書していて久し振りに怒りとイライラがピークに。いくら丁寧に読み進めても書いていることがさっぱり頭に入ってこないのだから。ここまでイライラしたのは、カズオイシグロの『充たされざる者』以来かも知れない。

 いや、これは『重力の虹』が彼の他の作品よりも数段難解度が高いからなのだろう(読み終えた今はそう思う)。第一部から全然進まないものだから、何度も途中で放り出したくなってしまった。

 それでも「第二部から読むと読みやすい」という訳者のことばをどこかで目にして、それで第二部に入るまでは頑張ってみることにしたのだった。結局第一部340ページを読み終えるのに実に2ヶ月もかかってしまった(その間他にも何冊もを同時に読んでいたからでもあるのだが)。

 それで結果どうだったかと言うと、確かに第二部〜第三部は(第一部より)分かりやすく、いくらかは楽に読み進む。最後の第四部で再び「何だこれ?」と意味不明な展開が待ち構えているのだけれど、もう最後は勢いでどんどん読めてしまう。休日が多かったことも幸いして、1日ほぼ100ページというペースで駆け抜けた。


 ピンチョンの作品には、歴史、地理(主にアメリカ、ヨーロッパ、アフリカ)、社会、政治、宗教、物理、化学、数学、航空力学、文学、音楽、映画、等々、常人には遠く及ばないレベルの多種多様な知識が組み込まれている。それらの情報の量と深度は想像を絶するまでのものなので(確かに常識はずれに「ものを知り過ぎている」)、彼の作品を完全に理解することは(書いている本人以外には)不可能だろう。正しくこの『重力の虹』こそ、その最たるものだ。しかし、予備知識を持たない文章内容には拘らなくても一向に構わない(し、そうするしかない)。

 内容が多岐に渡り、まるでいくつもの作品を重ね合わせたかのような構造も持ち合わせている分、自然とテキスト量も莫大になる。しかしそれでいてひとつひとつの文章の密度が尋常じゃない。もう信じられないくらいに濃い。濃すぎて辛い。比喩表現だけとっても、これでもか!というくらいに休みなく繰り出してくる。

 それでいて、これだけ書きまくっているのに、文章としては極めて不親切だ。ただでさえ馴染みない言葉が相次ぐというのに、場所や日時や話者を明示するような描写が大胆に省略されている。なので、どの場面での話なのか、文中どの箇所で場所と時間を話者が変わったのか迷うばかり。

 本作の登場人物は何と400人!? それが数百ページも間が空いて誰だったかすっかり忘れた頃に再登場することもしばしば。ひとりひとりをそんなに覚えていられるはずはない。今回特に参ったと思ったのは、ある主要人物が途中で別の名前になっていたこと(P.612)。後で読み直して、やっとそのことに気がついたのだった。そんな具合にさりげない一文が後で意味をなしてくるので、一行たりとも気を抜けないとも言える。が、それにも限界がある。

 途中で思ったのだが、ピンチョンは読者に理解してもらおうという考えなどハナから放棄しているのではないだろうか? ピンチョンはレーモン・ルセールにように大金持ちなので、道楽として自分のためにだけ書いているのではないかといった疑念さえ浮かんできた。

「解説」を読んでなるほどと思ったが、あまりに多くの内容を入れ籠み過ぎたがために収拾つかなくなって放り出した感もある。

 そうした特質を持っているが故に、この作品は容易な読解を拒否するかのようである一方で、神話的であり、長い詩を読んでいるようでもある。それが『重力の虹』が醸し出している魅力の一端ではないかと感じた。

 <かれら>とは?<ホワイト・ヴィジテーション>とは? そのような謎解きを楽しむ小説でもあった。ただ、今回もいくつかの謎は解消しなかったのだが。

 ピンチョンの長い小説は毎作そうなのだが、読み終えた瞬間に全体像や伝えたかったメッセージがほんわりと見えてくる(それは勝手な解釈なのかもしれないが、読書は自由なのでそれでいい)。それが読後の心地よさとなっている。それで、もう一度読み返したくなるだろうか?(「3回読めば理解できる」らしいのだが…。)

 改めて<かれら>とは?と問うと、第二次世界大戦の背後で経済原理に基づいて蠢いていたもの、ピンチョンが真に危惧したものが浮かび上がってくる。またそれは、今現在、日本で軍需産業、武器輸出をなりふり構わず拡大させようとする動きへの警告、予言としても響いてくる。だとすると、ピンチョンは理解されることを放棄しているのではなく、理解されることを求めているのだ。


 ・・・ただ、これほどまでのエログロの連発振りは辛かったな。理解不能。


  それにしても、30代半ばにしてこんなトンでもない作品を書き上げたってのは、やっぱり凄すぎる!




 思うに『重力の虹』の大きな魅力は百科事典並の情報の組合せにあるのだろう。それも平面的/ウェブ的というよりか、立体的に。

 レベルは違うものの、ピンチョン的に博学な小説として思い浮かぶのは、高野和明の『ジェノサイド』。アフリカを舞台にした小説はついつい買ってしまうので、この作品も出版されてすぐ一気に読んだ。最初の方はとても面白い。でも、著者自身の持つ知識や調べたことをプロット上都合良く並べただけなことに気がついて段々飽きてきてしまった。援用されている科学も非科学的だし。どうせ書くならば、伊藤計劃くらいにぶっ飛んだ切迫感も欲しかった。

 何が言いたいかというと、『ジェノサイド』は単線的だということ。情報が一直線に並んでいるだけで、深みに欠ける(そして、読む前にエンディングが分かってしまうというのも大きな欠点。昔、横山秀夫の『半落ち』のエンドに全く落ちなかったことを覚えているけれど、『ジェノサイド』の誰もが分かってしまうエンドには身体がずり落ちた)。

 そんな『ジェノサイド』が「このミス1位」なったことになるほどと思った。要するに「分かりやすい」作品ほど受けるし、最大公約数的な評価を得るということなのだろう(最近だと同じく「このミス1位」のピエール・ルメートルの複線的な『アレックス』にも似た傾向がある。友人のひとりも書いていたが、暇つぶしにしかならなかった)。それは例えば音楽についても同様だろう。賞やランキングの類は所詮は最大公約数的な評価になりがちなのだから仕方ない。なので、個人的にはグラミー賞などにも昔から全く興味がない。

 話が脱線してしまったが、『重力の虹』はプロットが単線的でない。全く反対で、その小説の中の化学描写と呼応するかのように、分子的な立体構造を持っている。そんな複雑を堪能できることがピンチョン小説に共通する大きな魅力となっていると思う。

 読書に分かりやすさを求めるのであれば、ピンチョンは真っ先に避けるべきだろう。反対に知識と情報の密林の中に入り込んでイメージを膨らませることを喜びとする読者なら、ピンチョンの作品群にも大いに惹かれることだろう。ただし万人向けとは思わないけれど…。




 これにて「トマス・ピンチョン全小説」を完読。

 トマス・ピンチョンの小説は歴史ものとポップなものとの振れ幅がある程度ある。それら2タイプに無理矢理分けてみたら(ホント無理矢理勝手だけれど)、ほぼ交互に書いていることに気がついた。これって、村上春樹が長編出したり短編集出したりを繰り返しているのに似ている??


・『V.』 V. (1963年):歴史小説
・『競売ナンバー49の叫び』 The Crying of Lot 49 (1966年):ポップ
・『重力の虹』 Gravity's Rainbow (1973年):歴史小説
・『スロー・ラーナー』 Slow Learner-Early Stories (1984年):短編集
・『ヴァインランド』 Vineland (1990年):ポップな歴史もの
・『メイスン&ディクスン』 Mason & Dixon (1997年):歴史小説
・『逆光』 Against the Day (2006年):ポップ(やや歴史的)
・『LAヴァイス』 Inherent Vice (2009年):ポップ


 ピンチョンを読んでみたいけれど長い作品を読み切る自信のない、そんな方にはまずポップな作品から入ることをお薦めしたい(どの作品とも、アメリカ歴史上の細かな事実や、ネイティブなアメリカ人でないと分からないような言い回しやジョークも多いのだが、ポップ作の方がそうした部分に頭を痛める負担が幾分か薄いのではないかと思う)。

 個人的感想として、

 ・一番読みやすかったのは『LAヴァイス』
 ・最高作を選ぶなら『重力の虹』
 ・一番好きなのは『メイスン&ディクスン』

 ・・・と思います。





(もうちょっとじっくり書いてみたい気分でもあるけれど、『重力の虹』巻末の「解説」が大変充実しているので、素人による長い感想は不要だろうし、読みたい本が増えるばかりなのでザックリと。今はガルシア=マルケス全集に戻っていて、これが面白くて溜まらない! 『逆光』と『ヴァインランド』も読後に感想をメモしたものの、殴り書き状態なのでさすがに公開不可。)






by desertjazz | 2015-02-24 00:00 | 本 - Readings

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