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私論/試論(2)

 昨年「12月31日」の続き、「残りもの感」について。

 ここ数年の間、自分の頭の中で鳴り続けていたのは「残りもの」という言葉だった。3年あるいは4年ほど前のことになるのだろうか、いくら新作を試聴しても、本当に良い、面白いと思う音楽とほとんど出会えなくなってしまい、もう「残りもの」ばかりなのではないだろうかと思い始めたのは。世界中で新しくて意味のある音楽が生まれてくる/見つかる余地がほとんどなくなっているのに、自分は未だにそれを追い求めている気がしたのだった。

(きちんとした説明抜きに「残りもの」という言葉を使うのは、今の音楽をとことん面白いと思っている人にとっては気分の悪いことだろうし、他人への批判と誤解される危険性があっても困るので、これまで決して使わないできた。しかし、近年の自分の思考を整理する上で避けられない要素でもあると思うようになり、また昨年末若干だけ触れた以上はそろそろ少しでも説明を始めた方がいいのかも知れないとも思う。)

 はじめに断っておくと、この「残りもの感」は新しい録音に対してもリイシューに対しても感じている。そのことを確認した上で、改めていろいろな音楽を聴き、じっくり考えてみた。その結果、やはり絶対的に新しい音楽がもう生まれてこない、ある意味でのポストモダン的状況を認めざるを得ないような気がするし、また重箱の隅を突くようなリイシューが増え続けているようにも思う。その一方で、やはり自分は少し考えすぎているのかな、といった反省もした。

 結局辿りついた結論めいたことを書いてみると、この「残りもの感」は、いくつかの主観的要因と客観的要因とが重層的に作用していて、簡単には説明し尽くせないものだということだ(結局、結論になっていない)。それでも最後まで残っている主観的な要因の2つについて書いて、取りあえずは書き始めてみたい。

 ひとつめ、快楽主義との関係。

 どうやらワールドミュージックを聴き始めたときに抱いた心配が現実化したようだということ。どういうことかと言うと、ワールドミュージックを聴き始めたのは、そこに大きな発見や感動があったからこそなのだが、裏を返すと、それまで聴いてきたロックやジャズにそこまでの感動がもう得られなくなってしまったからだとも言える。自分は「快楽主義」者なので、どのジャンルであろうとなるべく最高の音楽を聴いて最大の快楽を得たいと思う。なので、ロックでもジャズでも名盤のうちで自分の趣味趣向に合った作品を一通り聴いてしまうと、大きな感動との出会いはどんどん少なくなってしまう。そうした段階に達した時点でワールドミュージックという鉱脈を知ってしまったならば、そちらに関心が移ってしまうのはある意味で必然なことだった。しかし、その時に考えたのはワールドミュージックも聴き尽くしてしまうと、次は何があるのだろうという危惧だった。

 もちろん、どこかで良い音楽が生まれ続けていることは間違いないし、意義深いリイシューも生み出され続けていることだろう。しかし、そうしたものを見つけるには、出会った音楽や聴いた音楽が増えるほど、そのためにはより多くの時間と財力とエネルギーとが求められる。けれども、自分はそのいずれをも持ち合わせない。

(例えば、時間について。音楽ファンには様々なタイプがあって、とにかくたくさんの音楽を聴き尽くしたいというタイプもそのひとつだろう。自分もそれに近いと思っていたのだが、よくよく振り返ってみると、熱心な音楽ファンや音楽評論家などと比較すると、聴いている量が圧倒的に少ないことに今さら気がついた。と言うのは、毎年その半分程度、旅/出張していて、その間ほとんどCDなどを聴かない、といった生活を続けていたことや、移動中に音楽を聴くこともしないことを思い出したから。財力やエネルギーについても、音楽以外の関心事が多すぎて、無理。)

 あまりこうした表現はしたくないのだが、多分、音楽を見つける効率のようなものが下がり続けてきたことが不満に繋がっていたのだと思う。

(その解決策のひとつは、自分を導いてくれる書き手を見つけることだと思う。実際昔は「この人がこう書くのだから、自分の趣味を合う(合わない)のだろう」といった判断のできる書き手がそこそこいた。しかし、今はそうした方がまず思い浮かばない。ネット時代になって情報が飽和する中、書き手ひとりひとりの趣味性や事情の方が先行して見えすぎているのかな、とも思うのだが、これはまた別のテーマだろう。)

 なにごと快楽を追求し出すと、より強い快楽を求めるのは必然。自分の場合は、音楽という「合法ドラッグ」に麻痺してしまい、より強い刺激を求めてしまった、、、とも言えるのかも知れない。

(つまりは、Salif Keita の"Soro" や Khaled の "Kuche" や Malavoi の "Jou Ouve" や Nusrad Fateh Ali Khan を初めて聴いたときのような衝撃的な刺激を、、、。)

 ふたつめ、セレンディピティのこと。

 ある理由から(これも昨年書く予定だったのだが、それを綴る時間も全くなかった)、自分のウェブサイトとブログを振り返り、そして自分の音楽ライフを振り返ってみたときに思ったのは、「とても楽しかった」ということだ。そう思えた恐らくは最大の理由は、自分自身で面白い音楽やレコード、貴重な音源などを次々に見つけ出せたことなのだと思う。

 特に嬉しかったことのうちのいくつかを並べてみよう(最近の読者のためという訳でもないが)。

・ Fela Kuti のファースト・アルバム "Fela Kuti & the Koola Lobitos" の「発見」。

 10数年前に、それまで存在すら全く知られていなかったフェラのファーストを、アメリカで見つけた文献上で「再発見」し、それが最終的にリイシューにまで繋がった。文献著者(レコード所有者)との音源提供に関する実際の交渉は遠藤斗志也さんにお願いしたのだが、聴いた範囲ではこの録音のリイシューはどれも、この時のレコードの音が使われている。そうした意味では、多くの方々に喜んでいただけた「世界的発見」だったと思っている。

・ Hugh Tracey のリイシューを日本に紹介

 オランダで始まった Hugh Tracey 音源のリイシューをいち早く日本に紹介。後日国内盤の発売に至った。

・ Analog Africa の紹介

 以前からやりとりをしていた Sammy の興したレーベル Analog Africa をスタートする瞬間に日本に紹介。

・ ナイジェリアでカラバリ・ミュージックに遭遇

 これは Konono no.1 以上の衝撃だった。

・ Fassiphone、Reggada、Jalal、Sutaifi を紹介

 これらはフランス旅行中に偶然発見。自分が聴く以前にも Fassiphone や Jalal のCDは若干数日本に入っていたが、これらが一気に面白くなった瞬間をとらえて日本に紹介することができた。Fassiphone から出た El Anka のリイシューも日本で最初に聴き愛聴していたのではないかと思う。

 こうして振り返ってみると、どこからか面白い音楽を見つけてくる嗅覚のようなもの、そしてそうしたものに遭遇したときの瞬発力のようなものが、幸いにも自分には備わっていたのだと思う。
 先に括弧書きした通り、私は熱心な聴き手(コレクターやライターなど)に比べると音楽を聴く量(時間)は圧倒的に少ない。コレクター諸氏のように時間を費やして資料やネット情報に丹念に当たるといったこともまずしない。それでもこうした発見する喜びを楽しみ続けることができたのは、音楽に対するある種のセレンディピティを獲得していたからなのだと思う。

 ただ、このセレンディピティが大きく働くことが、年々乏しくなってきたのではないだろうか。情報発信する限りは、他のメディアやブログなどでも取り上げるものについて語るだけでは物足りない。人と同じことをやるばかりでは、それは時間の浪費なだけだろうと思うのだ。

 自分のサイトやブログは、他では紹介されていない良い音楽について語ることこそがその役割であり、また読んで下さる方々が一番期待されることでもあるだろうと思う。しかし、どうにもセレンディピティが発揮できない。自分のセレンディピティが反応するような音楽が、もうそれほど残されていないのではないだろうか。現実には良い音楽がまだある程度生まれ続けているのかも知れないが、そのような危惧が、自分の中で「残りもの感」を生むひとつの原因ともなっているような気がする。(※ 修正 2/2)

(年々ブログをアップしなくなってきたのも、ひとつにはここで書いた理由が作用している。また、Reggada や Jalal の音楽も、一面では「残りもの」の中で、ギリギリ快楽を呼び覚ますドラック性の高いものを紹介しただけだった、つまりは所詮は「残りもの」だったのかな、というちょっとした反省もある。)

(ついでに Fassiphone に関する余談を書くと、El Anka は自分は楽しんだが、紹介するまでの音楽ではないように思い、ブログではかすかにしか取り上げなかったはずだ。それが、日本盤が出て話題になったのを目にして、最初に抱いたのも「残りもの」が話題になっているという感覚だった。)

 長々書いたが、この「残りもの感」を消し去るような素晴らしい作品に出会うことを、強く望んでいるし、そうしたものをまた紹介できる機会があれば、それは読み手の方々の期待に応えるものになるはずだとも思う。実は、自分自身が、そうしたことを一番に期待している。

(続く)



 ※ これも、私論であり、その試論でもあり、また上手くも書けていない(ほとんど殴り書きレベル)ので、時々書き加えたり書き改めたりすることになると思います。悪しからず、、、。
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by desertjazz | 2010-01-31 22:09

私論/試論(1)

 「1月19日」の続き、「音に対する感性の絶対的変化」について。

 昨年は音楽をあまり聴かない1年だったのだが、それとは反対に音楽や音のことについて絶えず考え続ける年にもなった。音楽を聴かなくなったのには、年初から猛烈に忙しい時期が続いて、音楽を聴いてもくつろげなかったことがまずある。しかし、いろいろ思索していくと、それ以外の理由にも次々にたどり着いていって、そのことについて考え始めると止まらなくなるほどだった。またそれと同時に自分の音に対する感性がどんどん変化していくこと、そのことをとても楽しんもでいた。もしかしたら、昨年はそのことが一番面白い体験だったのかも知れない。

 音楽、というよりも、レコードやCDを聴く時間が圧倒的に減ったのには、やはり自分の中で「レコード絶対主義」が長年の間に崩れ去ったことが大きいのだろうと思う。もちろん総合芸術としての録音作品には、とって代わりうるものがないだけの価値があることは言うまでもない。昔からライブを聴くくらいなら完成された録音作品を聴く方が有意義だと信じ続けてきたし、今でも録音作品にしか生み出せない音世界の数々を愛して止まない。

 しかし、それと同時に、レコードやテレビや映画などの「平面音響」が苦手になってしまった自分も発見することになった。
(ここにたどり着くには、海外の音楽フェスなどに通うようになったこと、自身の関心が音楽の「ローカル性」や「コミュニティー性」「パーソナル性」などに向かい出したこと、さらには様々な音体験をしたことなどがあり、それらが複雑に絡み合っているのだと思う。これらのことについて「書く」と言いながら、全然まとめられていないのだけれど、取りあえず今回も飛ばして先に進むことにする。)

 とにかく、2本のスピーカーから出てくる平面的な音に耐えられなくなってしまったのだった。そして気がつくと、散歩したりベランダでまどろんでいる時に、いつの間にか周囲のなんでもない音に身を預けていることを心地よく感じている自分に気がついた。これは別に、鳥がさえずり梢がささやくような自然豊かな音には限らない。ちょっとした生活音でも、遠くの高速道路から響いてくるかすかな音でも一緒。3次元空間に伸びる音の複雑さに耳を傾けることが楽しくて、また心地よくてしかたなくなってしまった。
 決して自分を美化して語るような気はないのだが、たとえて言うならば、昆布でとった極うっすらとしたダシの味を舌が味わえるように、空間のかすかな響きを味わえるような耳になっていったのかも知れない。別のたとえ方をするならば、生活の中で「4'33"」を楽しんでいたのだと思う。

 もうこうなってしまうと、もうオーディオシステムで聴く平面的な音には耐えられなくなった。ただただ単純な音にしか聴こえない。たまにCDを聴いてみても、「やっぱり違う」とつぶやいて、ベランダに逃げ出し、都市の立体的なノイズを浴び始めるのだった。

(ここまで書くと、「サラウンドならいいじゃない」といった意見もあるかもしれない。しかし、その考えは間違い。サラウンドのスピーカーはある程度の距離内に置かれるため、ステレオ以上に平面的だとさえ言っていい。まるで檻に閉じ込められているような感覚になることは、多くの方にとって共通した感想だろう。対して実際の空間の音は近似的に無限遠点からの音の集積といった成分も多く含まれるから、その広がりかたや空間的な複雑さはオーディオシステムからの人工的な音とは決定的に異なる。それが、日頃周囲には漏らしている自分の「サラウンド嫌い」の理由でもあり、また「閉じ込め感」を上手く利用することにこそ録音芸術の可能性があるのだとも考える。)

 自分が頻繁に森や砂漠に入っていって、自然の音を浴びてくるのには、潜在的に立体的で複雑な音を求めることが大きな理由だったのかも知れないし、逆にこうした体験の積み重ねが自分の耳を作ってきたのだとも思う。そして、こうした音を聞くという行動をするのは、単に気持ちよいからだけなのではなく、さらにはもっと別の理由もあるのではないかと、最近ライアル・ワトソンを読んで思い至った。そのことについては別の機会に改めて。

(続く)



 ※ 私論であり、その試論でもあり、また上手くも書けていないので、時々書き加えたり書き改めたりすることになると思います。



(iPhone 話の流れならば、iPad 発表を受けて電子書籍への期待感を綴りたいところなのだが、ちょっと面倒くさい。)
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by desertjazz | 2010-01-31 19:58

Divas

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 そろそろ音楽も聴こうと思い、あちこちにオーダーを出し、その一部も届き始めている。昨夕はタワーレコーズで新譜や近作をチェック。取りあえず買ったのは4枚、期せずして女性歌手の作品ばかりになった。

(昨年はまともに新作のチェックをしなかったので、買い漏らしていた作品がどれだけあるのか確認してもみたかったのだけれど、案外気になるものはなかった。相変わらず面白い作品が少ない、というよりも、情報収集をしていなかった分だけ自分が浦島状態にあるのかも知れないが、、、。それより驚いたのは、1000円コーナーの広さ。こんなにデフレが進んでいるの?)

 昨晩以降、これら4作を繰り返し聴いてみた。以下、簡単な印象メモ。

・ 松田美緒 "FLOR CRIOLLA"

 もらって聴いたファーストがとても良かったので、中南米の有名曲を中心に歌った今作も聴いてみることにした。これが期待以上の素晴らしさ。全くぶれることのない彼女の歌は、単に抜群に上手いだけではない。'Mama ...' という最初の歌い出しから完全に彼女の優しく透明感のある声の紡ぎ出す世界に引き込まれてしまった。ほとんどピアノとパーカッションだけという演奏との一体感も素晴らしい。また、音の良さにも感銘を受けた。生々しいというのではなく、一音一音が実に美しいのだ。ピアノなどはまるで自分の目の前で演奏されているかのよう。CD を聴いて心震えるような気持ちになったのは久しぶりのことだ。彼女の歌は生でも聴いてみたい。

・ HINDI ZAHRA / "HANDMADE"

 ほとんどジャケ買い。そして、曲作り、歌、演奏、アートワークまで、ほぼ自分ひとりでこなしているという「パーソナル性」に期待。冒頭の 'Beautiful Tnago' は確かに魅力的なトラック。だが、全編英語詩というのは、パーソナルな音楽というよりも戦略優先のような気もする。よく見ると Bluenote からのリリースだった(店頭のポップには「モンゴルのベルベル人」と書かれていたが、「モロッコのベルベル人」の間違いだろう)。

・ DATO' SITI NURHALIZA / "LENTERA TIMUR"

 シティちゃんはどんどん顔が怖くなるので(?)、もう買わないことにしていた。しかし、店頭で立ち読みしたMM1月号の年間ベストに選ばれてもいたので、試しに聴いてみる気になった。しかししかし、ブックレットの顔がますます怖くなっている(ちょっとマイケル化してきたような気もする)。超然とした姿に浮世離れした感じがして聴くのが怖くさえなったのだが、しかししかししかし音楽そのものは今でも美しいようだ。その歌声に、田中勝則さんに紹介していただいて直接会ったときの可憐な少女の姿を思い出す。

・ "DAMIA : LA TRAGEDIENNE DE LA CHANSON FRANCAISE"

 ダミアは、昔(学生時代)から何を読んでも、あまり褒められた書かれ方をされていなかった記憶があって、きちんと聴く機会のないまま過ぎていた。しかし、これまでの印象が食わず嫌いからくるものだったのかも知れない、、、などと思いながら聴き始めている。



 松田美緒が、やっぱり、素晴らしい。



 背景に敷いたのはヌサテンガラ(スンバワかな?)のイカット(しばらくぶり?の登場)。イカットの整理ももうそろそろ進めたい。
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by desertjazz | 2010-01-31 18:39

フムス Hummus

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 ときどき無性にレバノン料理やトルコ料理が食べたくなる。

 以前、イスラエルのエルサレムに半月ほど滞在したとき、レストランの食事がとても美味しいことでも知られているアラブエリアのホテルに泊まった。そこのレストランの味は定評通りで、朝食から美味しいフムスが何種類も出されるものだから、思わず毎日朝から食べ過ぎてしまった。その味が今でも記憶に残っている。

 日本では本格的なアラブ料理を食べる機会がなかなかない。ならば、フムスだけでも自分で作ってみようと思い、作り方を調べて試してみた。以下、その料理のメモ。

1.ひよこ豆(ガルバンゾー)100g を4倍ほどの水に一晩つけておく(200g 用意したのだが、残り半分はサラダ用に保存)。
2.そのひよこ豆を 40 分間煮る。
3.ひよこ豆の薄皮を剥ぐ(これが時間のかかる作業だった)。
4.ひよこ豆と煮汁をフードプロセッサーにかける。緩さは加える煮汁と水の量で加減。
5.フードプロセッサーに、練りゴマ(タヒニ)、レモン汁、すりおろしたニンニク、塩、各適量を加えて、ペースト状にする。
6.皿に盛り、オリーブオイルとスパイス(クミン、コリアンダー、カイエンヌペッパー、バジル)をトッピング。

 さて、早速試食してみると、思っていた以上に美味しく出来上がった。バゲットと一緒に食べ始めたら瞬く間にバケットがなくなってしまうし、野菜スティックにつけても相性抜群。こんなに簡単に作れるならば、もっと早くに試してみればよかった。

 以下、補足。

・ ひよこ豆は今回は成城石井で購入。東京ならば築地の山本商店(確か丸元淑生の本でも紹介されていた店)で安く買えるらしい。昔、渋谷のトルコレストラン、アンカラで大袋を買った記憶があるので、エスニック店などでも安く手に入れられるはず。
・ タヒニは近所の店で手に入らなかったので国産品で代用。これでも全く問題はなかったが、練りゴマの種類によって味が変化しそうだ。
・ 参照したレシピによって使うスパイスが様々だったので、今回は混ぜずに、選んだ4種類をトッピング。試食した印象としては、何を加えても相性が良さそうに感じられた。
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by desertjazz | 2010-01-31 17:00

週末旅行:姫 路

 2010.1.30 (Sat)

 今年2回目の週末旅行は姫路へ(年末年始に群馬を訪れたので、正確には3回目になるのかな?)。

 昔から一度は訪れてみたいと願って姫路城が、この春から数年間にわたる修復工事のために見られなくなる。ならば今のうちに見ておこうとその機会を窺っていた。幸い余裕のある今日の予報は好天だったので、早起きして一路姫路へ。絶好の観光日和に恵まれた。
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 お城は少し離れて拝むと「白鷺城」の名の通りの美しさであり、また近くから見ると堅牢な城塞の姿。とにかく素晴らしいの一言だった。土曜日とあって団体客も多く、午前中に来て正解だったのかも知れない(じっくり見てまわって約2時間かかった)。
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 それから、好古園の庭でゆったりくつろぎ(水音や風音が心地よい)、古い町並みや城壁跡の周囲を散策(西安の街を連想する)。街の印象としては、土曜日のせいか至って静か。世界遺産を置く街に相応しい街のデザインを志しているのか、なかなか気持ちのよいサウンドスケープを楽しめた。
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by desertjazz | 2010-01-30 19:00

Babel Med Music 2010

 今年の3月の開催で6回目となる Babel Med Music のラインナップが今日発表になった(現時点で3日間で30組)。主立ったアーティストやアフリカ勢をいくつかピックアップしてみると次の通り。

・ PAPA WEMBA (Rép. Démocratique Congo)
・ LO COR DE LA PLANA (France / Occitanie)
・ EL HIJO DE LA CUMBIA (Argentine)
・ SEVDA (Azerbaïdjan)
・ INSINGIZI (Zimbabwe)
・ LES ESPOIRS DE CORONTHIE (Guinée)
・ AMAZIGH (Algérie - France)
・ HAOUSSA (Maroc)
・ VIEUX FARKA TOURE (Mali)

 残念ながらアフリカ勢は全く魅力に欠け、個人的にはほとんど面白いと思ったことがないレユニオンのグループも多い。LO COR DE LA PLANA と AMAZIGH は観たいけれど、後者は今年の来日が決まっているので、無理する必要はなさそう。3月23日にパリの Olympia で Youssou N'Dour を観た後、翌24日にマルセイユに移動し、昨年に続いて Babel Med Music に参加するプランも持っていたのだが、しばらく再考することにしよう。恐らく3月の旅先は変更することになると思うが(かと言って、ニュージーランドまで行って WOMAD を観るというのも遠くて疲れそうだ)、音楽フェスは未知の音楽との出会いが大きな喜びとなるものなので、やっぱりまだマルセイユに心惹かれている。
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by desertjazz | 2010-01-29 17:00

Eating, Drinking & Reading

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 Ballantine's & Rocky Salmon !!



 今年最初の週末旅行は、3泊4日で北海道へ。相変わらず毎月のように短期旅行のようなことを繰り返している。今年もこんな過ごし方になるのだろうか。

 今回の一番の楽しみは、毛ガニ!!

 外食はほぼ全くせず、誘われても飲みに行かない生活を始めて半年以上になる。不味いものや身体に悪そうなものは食べたくないし、少しでも節約したいと考えたこともあって始まった生活の変化。時折遠方から来客があった時に豪遊するのを除くと、必然、毎日3食とも自炊ということになっている(相変わらず昼食は弁当持参)。しかしこうした毎日だと生活圏で手に入る食材には限りがあるために、どうしても似たような味になってしまう。たまにはガツン!とした刺激が欲しい。最近は特に毛ガニに禁断症状。

 そういう訳で、神戸空港から北海道に飛び、千歳空港に降り立ってすぐに土産店のフロアへ直行。大振りの毛ガニ2杯を少し値切って購入。卵がたっぷり詰まったハタハタ(4尾で ¥1050)と鵡川産のシシャモ(メス10尾で ¥2980)も購入。前回はいつものS店で買った毛ガニがあまり良くなかったので、今回は試しにG店で買ってみた。そして、実家の近所のスーパーではホッキやカスベを購入。毎晩たっぷり北の味を堪能。肝心の毛ガニはまだまだベストのものではなかったけれども、それでも満足。やっと腹が落ち着いた気分だ。

 帰りの土産はもちろん大好物のロッキーサーモン。世の中にはこれほど美味いものがあるなんて、もしかしたらここ数年間で一番の驚きかも?(ちょっと大袈裟。)



 『ロビンソン・クルーソー〈上〉』(ダニエル・デフォー、岩波文庫)読了。ジャズのスタンダードに例えるならば、ミシェル・トゥルニエの『フライデーあるいは太平洋の冥界』と池澤夏樹の『夏の朝の成層圏』がカバー・ヴァージョンで、やっとそのオリジナル・ヴァージョンを味わったことになる。音楽と同様に、三者三様の味。トゥルニエは意外なほどにオリジナルを踏襲しながら(名前やら難破船の価値やら途中から加わるフライデーまで)独自性を出し、またカトリック/プロテスタントからの影響も大(そのあたりは日本人にとっては臭く感じられるはず)。無人島に置き去りにされた際に真っ先に気になるのは、いかに火を獲得するかだと思うのだが、デフォーもトゥルニエもそれには答えない一方で、池澤はそれに対する答えが絶妙であることが彼のヴァージョンを格段に面白くさせている。終わり方も池澤が好き(現実的ではないのだけれど)。全体的な読後の印象が最もいいのは、トゥルニエかな。

 下巻は評判があまり良くないようなので、パスするつもり。実際上巻を読んだだけで、その後の物足りないであろうことが予見された。それよりも、高橋大輔の『ロビンソン・クルーソーを探して』を読んでみようか。



 人付き合いをほとんど断ち、隠遁生活に近づいている現在は、どこかしらロビンソン・クルーソーになりつつあるのかも知れない(?)。いや、そろそろ人と会う算段を様々せねばならないのだろう。ただ、ひどく遅読なのにも関わらず、平均すると1日か2日で1冊ペースで読書し、毎日3食作っていると、ほとんどそれだけで毎日が過ぎていく。弁当のおかずも7〜8品入れるようにしているので、それなりに時間がかかる(実際は相当に早いけれど、、、)。

 ながらで音楽を聴くということをほとんどしないので、相変わらずCDを聴く時間も取れない。それでも今夜は Bugge Wesseltoft の "Playing" を繰り返しプレイング。最近は Maravoi の新作を聴いていたので、これが今年聴いた3枚目になるのかな?



 数年振りにバランタイン Ballantine's の17年を買ってきて(自分の小遣いで買える範囲では、やっぱりこれが一番好きな酒)、バカラのグラスでその上品な味を楽しむ。至福なり。

 この酒を買う際、時々贅沢な気にもなるのだけれど、よく考えたらCD2枚分ほどの値段。その程度の出費でこれだけ満ち足りた心地になれるのは幸せなことだと、今さら気がつく。
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by desertjazz | 2010-01-25 22:17

Readings

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『日本文学史序説』(加藤周一、筑摩書房)の下巻を読了。

 深夜 1:40。なんとか下巻 530 ページを4日(5晩)で読み終える。明日から北海道。中途半端に読み残した厚い本を携えるのも邪魔だし、少しだけ読み残して置いていくのも嫌だった。なので、今日は1日で残りの 220ページを読破。さすがに疲れた。

 通読してまず、『古事記』の時代からの土着世界観、此岸的で今を重視する態度的が、現代にまで続いていることを感慨深く思う。そして何故か嬉しい。

 この上下2巻を面白く思うのは、自分が日本の文学をほとんど読み切れていないこと、さらには日本の歴史をまともに知らないこと(日本史よりもアフリカ史の方が詳しいほど)の証拠なのだろう。

 だからこそ、これから読む本に対するひとつの指標を与えてもくれたのではないだろうか。いずれにせよ、読もうと思っていながら過ぎてしまった本や、再読したい本がたくさん。

#

 この間、頭休めに読んでいたのは、『おひとり京都の愉しみ』(柏井壽、光文社新書)や F. Scott Fitzgerald の "The Great Gatsby"(英語版で再読)など。今年は京都を歩こう!
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by desertjazz | 2010-01-22 02:00

iPhone

 遅ればせながら Photoshop elements 8 が昨年の秋に発売になったらしいことを知り、早速欲しいと思って出かける。elements 7 は Mac 版が出なかった(Win 版のみ)ので、Mac 版はもう出ないのだと思っていたので、歓迎したい発売。しかし店頭にはなかったので、まだ品薄状態なのだろうか。

 いや、本の目的は iPhone。やっぱり iPhone は面白そうなので、そろそろケータイを買ってもいいかなと思ったのだった。しかし、ネット上の Softbank の説明ではよく分からないことがあったので、料金などについて販売員にいくつか質問。その結果、経費に関して分かったこと(以下、3GS 16G について)。

・電話もネットも全く使わなくても、月々 3600円ほどかかる。
・わずかに10ページほど見ただけでもパケットの上限に達するので、電話を使わなくても月々 6000円ほどかかる(つまりは2年後には上限の料金が元に戻るので月々7000円ほどかかる)。
・つまりは2年間で20万円くらいの出費が考えられる。

 思っていたより遥かに高くて、自分にとっては贅沢だ。これでは買えないと考え、あえなく断念。だけど iPhone は欲しいなぁ。

 自分がケータイを持たないのは、「持つことによって失うものが大きい」と考えているから。加えて、ある意味「持たない」実験を行っている気になっているという面がある。ケータイがないと不便に思うことも多いが、逆にないことによって気がつかされることは多々ある。もうしばらくこの実験を楽しんでみることにしよう。

(昨年の転居時は、不動産会社を始めどこからもケータイの番号を尋ねられた。そのようなものはないので、一時的に先方から自分に電話連絡ができないという一種の「似非ホームレス」状態になってしまったのは不便だった。いや、今時ホームレスでもケータイくらいは持っている人も多いので、このたとえはおかしいか。)

 振り返ってみると、昨年ほとんど音楽を聴かなかったことで、あれこれ考えたり、自然と気がついたりしたことも多かった。「聴かない」実験を予期せず試みていたのかも知れない。
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by desertjazz | 2010-01-19 23:00

Readings

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 『日本文学史序説』(加藤周一、筑摩書房)の上巻を読了。

 このところの読書が小説や新書など読みやすいものが中心になっていたので、もっと本格的な書物にじっくり取り組もうと考えた(始まった余生には、これまでの読み残しや名著をなるべく読もうとしていることの一環でもある)。そこで今年最初に選んだのがこの本。今月8日から読み始めて、550ページを読み通すのにちょうど10日かかった。これは、精読とまではいかないものの、ある程度丹念に読み込んでいったからだ。

 加藤周一という評論家は、とても深い思索を分かりやすく解説し、決して難しい言い回しもしない人だと昔から思っていた。しかし、この本にはさすがに苦戦。漢文やかなまじり漢文の引用が数多く、しかも大概は何ら詳述されることもなく先に進んでいくので、我が頭の方はその都度急停止。何度読み返しても分からないところは、無理矢理想像力を働かせて進むことにもなった(特に第4章、第5章あたりには悶絶。自分は「古文・漢文」が猛烈に苦手だった)。

 それでも10日というのは漠然と予想していたよりもかなり早かった。それというのも、圧倒的に面白かったから。「こんな凄い本があったのか!」と絶えず思い続けることに。読み始める前には数多の作品を並べた「文学史」だと思っていたのだが、この考えは全く甘かった。単なる文学史には留まらず、日本で著された歴代の名著や有名書などを読み解きながら、日本の歴史、特に日本人の思想の歴史について見事に分析したものになっている。なので、自分では読んだことのない本ばかりについて語られるのに、自分の思考までもがひたすら刺激されることになった。学生時代に読んでおきたかったと、つくづく後悔も。

 この本は多くを語られてきた名著(著者による私論なので、勿論反論を投げかけられそうな部分はいくらでもある)であろうから、短い雑感だけに止める。さてこれから下巻だ。

# 余談(近況メモ) #
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by desertjazz | 2010-01-17 19:43

DJ
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