83) 高野和明『ジェノサイド』
84) 高村薫『マークスの山』(上巻)
85) 高村薫『マークスの山』(下巻)
86) ポール・マイヤーズ『トッド・ラングレンのスタジオ黄金狂時代 魔法使いの創作技術』
87) 古賀茂明『日本中枢の崩壊』
88) 古賀茂明+須田慎一郎『日本が融けてゆく』
89) 佐藤剛『上を向いて歩こう』
- -) 谷崎潤一郎『吉野葛・盲目物語』・・・「吉野葛」のみで「盲目物語」は後回し?
90) 池澤夏樹『真昼のプリニウス』
91) 村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』

 今月読了したのは9冊。相変わらず海外文学からは離れているままだ。いろいろなことに時間を奪われた上に、スキヤキ・ツアーがあったので、どうしても読書する余裕がなくなって、読み終えたものには軽めの作品が多い。その中で面白かったのは、86) と 89) 。ぞれぞれの感想メモはツイート済み。





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by desertjazz | 2011-08-31 23:59 | 本 - Readings

京都散策(8/31)

8/31(水)

・北野天満宮 > 上七軒



 昨日に続いて京都へ。今日も暑い。


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 昼休みに北野天満宮を訪問。


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 学業の神様とあって、学生(高校生?)が多かった。


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 上七軒の店も散策し、漬物を購入。通りの風情に、粕谷さんにご案内いただいた金沢の東の街を思い起こす。





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by desertjazz | 2011-08-31 23:00 | 旅 - Japan

 8月25日(木)、スキヤキ・ツアー最終日。カウシキの大阪公演を観るため、東京から大阪に移動。

 しかし幸先良くないことが続く。新横浜で新幹線に乗るつもりでいたら、豪雨の影響を受けて横浜線が止まっている。それはすぐに運転再開したのだけれど、新横浜に着いたら、今度は見たことのないような大行列ができている。熱海辺りでの集中豪雨で新幹線も大幅に遅れていて、予約変更のためにカウンターに並んでいる様子だった。幸い自分は指定券を買っていなかったので、並ばす自動券売機で買えたのだが、それでも1時間半待ちになった(それより前の列車の自由席に乗ってしまう手段もあったのだが、激混みの中立っていくのはさすがに辛い)。

 カウシキ一行も当日新幹線で大阪入りすると聞いていたので、果たしてサウンドチェックの時刻まで着くのだろうか。そんな心配をするとともに、こんなとき同じ列車になったら嫌だなと(富山からの移動の時と同様に)感じてもいた。後で聞いてところによると、彼女たちの方が遅い列車だで、何とかサウンドチェックにも間に合ったそうだ。




 会場は「玉水記念館ホール」で、キャパ300人とのこと。天井も高く、東京の会場(浅草アサヒ・アートスクエア)よりもずっとゆったりした造りだ。どこに座って聴くかまた迷ったのだが、予定よりも遅れて行ったのにも関わらず最前方で開場を待つことになったので、結局今度も最前列中央(やや右寄り)の席を選ぶ。福野と東京の経験から、ここが一番見やすいを知ってしまったのだった。

 大阪も集客が厳しいと聞かされていたものの、そのようなことはなく、東京公演と同様に席を追加するほどの大盛況になった。前座の演奏が終わり、休憩を挟まずにカウシキたちの演奏を始めることが告げられる。彼女たちの登場を待つ期待に満ちた緊張感が背後からもひしひしと伝わってくる。

 セット転換が済んでカウシキとスバシスとアジャイが登壇。

 1曲目 'Raag Bageshree'、カヤールを聴くのも今夜が最後。じっくり拝聴しようとしたのだが、気のせいかPAからの音が幾分濁って聴こえるし、伸びも欠けて感じられる。これは最前列で聴いているせいなのか。今回だけは席の選択を誤ったのだろうか。そう思っていたらカウシキがモニターバランスに注文をつけ始めた。こんなことは福野でも東京でもなかった。そのためだろう、カウシキにはどこか集中力が欠けているように見受けられる。

 結局モニターバランスの指示を繰り返しながら、最後にとても長いアドリブを一発決めて終了。時間は約45分。福野の30分よりは長いが、東京の60分よりは短い。気持ちが入らなくなったので早めに切り上げてしまったのだろうか。それとも最初からこの長さの予定だったのだろうか。

 カウシキは歌い始める前に左膝の前に腕時計を置いていたので、演奏時間の管理はしていたはず。もし公演時間に制限があったのならば、前座なしにして東京と同じ尺でやって欲しかったと、個人的には思う。

 勿論、歌声もそれを駆使したパフォーマンスも伴奏者2人の演奏も素晴らしいものだった。けれど、それを上回っていた東京公演でのカヤールを思い起こしてしまい、どうしても邪念が混じってしまう。そう思っていると…。

 2曲目 'Dadara - Raag Mishra Maru Bihag' が始まった途端、何かがすっかり変わった。このダドラの美しさは一体何なのだろう。カウシキの声は澄み切って響き渡り、空間の中に伸びやかに浸透していく。最早モニターを気にすることもなく、神経が行き届き、それでいて気迫さえ感じさせる歌だった。気がつくとモニターの音は微かな濁りもないクリアなものに一変していた。これこそ自分がカウシキの歌に求めていたものだ。カウシキが今夜の条件を感じ取って軌道修正したのか、あるいは全ての条件が理想的に合致したのか、奇跡を見る思いだった。思わず目頭が熱くなり、涙が溢れてきそうになったほどだ。

 1曲目に対する戸惑いと、2曲目に対する感動があいまぜになっているうちに、3曲目 'Meera Bhajan - Raag Mishra Tilang' も終える。今夜はアンコールなし。1曲目が短かった分だけ、全体としても70分ほどのセットだったと思う。

 福野、東京、大阪と、演目や色合いの違った3公演。それぞれに良さが感じられたが、今夜のダドラはそれらの中で最高のもののひとつだった。そして、その日の条件次第で劇的に変化することに「音楽って生きものだ」とつくづく感じたのだった。

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Ajay Joglekar に書いてもらったトラックリスト。「Mishra は Mix のことだよ」と教えてくれた。




 終演後、仲間たちの感想は「良かったー」「素晴らしかった」というもの。ただし当然のごとくモニターの件に関してはいろいろな人から「何があったの?」と尋ねられた。またいくつかの不手際も見受けられた。

 主催者側からの依頼もあったので、タブラのスバシスに尋ねたところ、細かに詳しく丁寧に説明してくれた。「会場の音響は良かった。とても良かった。けれど…」と。しかしそれを繰り返すことに意味はないだろう。彼が語ることによって、彼自身の気持ちが吹っ切れたようにも思えたし(実際そうであって欲しいと思う)。

 そうしたことよりも、カウシキが日本に、そして大阪に来て歌ってくれたこと、その歌を聴いた多くの人たちが何かを感じたり感動したことこそが重要だ。自分が感じ取った東京公演との差は実際は微々たるものなのかもしれないし、大阪しか見ていなくても確実に感動したことと思う。なので、主催者の方々には本当に感謝しています。ありがとうございました。




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 終演後にロビーに出て来たカウシキ姫は至って上機嫌。バックステージでは彼女の方から声をかけてきてくれたし、サイン会も東京の時と同じく長蛇の列。ファンを写真に撮ったりまでして、本当に楽しそうだった。




 仲間6人で近所の店に流れて乾杯。スキヤキ1週間が無事に終えられたことを祝し、慰労しあう。自分もスキヤキ7日間を皆勤できたことが感慨深い。(5日ないし6日間来た人は他にもいたけれど、7日通しては他にはいなかったようだ?)

 翌日、カウシキとスバシスはコルカタへ、アジャイはムンバイへと帰って行った。またいつか会える日を心待ちにしています。




 (2011.09.25 記、大阪公演からちょうど1ヶ月の日に)

 (続く ???)





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by desertjazz | 2011-08-25 23:01 | 音 - Festivals

 スキヤキ・ツアー6日目(SUKIYAKI TOKYO 第3夜)。アマジーグ・カテブ東京公演。

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 スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド最終日、南砺市福野の円形劇場ヘリオスでの3つのステージを観て感心したのは、その組み合わせの妙だった。音楽芸術の究極を探求するカウシキ、実験性の先に新たな音楽を模索するクアトロ・スキヤキ・ミニマル、民族アイデンティティーを確認しながら肉体衝動を喚起する強さをもったアマジーグ(これはオマラ・モクタル・ボンビーノにも共通した特質)。そして、それぞれの音楽の目指す方向性は異なっていても、聴き手には音楽に触れる喜びを等しく感じさせる。一口に音楽と言っても様々あること、またどんな音楽でも同じように楽しめることを、ワールド・ミュージックを聴いたことのない人々にも分かりやすく伝えていたと思う。

 翌日以降、彼らは東京や名古屋に移動していった。そして各々の単独公演で先に記した方向性をより強めた音楽を展開していった。例えば昨日23日のカウシキは、1時間半という通常(に近い?)の時間枠とインド音楽に長けた聴衆を得ることで、その本領を発揮できたと思う。そして、自身の真価を最もはっきりを示すことの出来たのがアマジーグだった。

 クアトロ・スキヤキ・ミニマルの名古屋公演は、アマジーグの東京公演と日程が重なったので、当然観ていないが、彼らもヘリオスで奏でたサウンドをより深めたパフォーマンスを披露したのではないかと推測する。




 アマジーグ、4年振りの東京公演(前回は自身のグループ、グナワ・ディフュージョンを率いての来日だった)、会場は代官山 UNIT。開演時刻19時半より少し遅れて辿りついた。

(久し振りの東京だったので、昼は好みの店「霞町すゑとみ」で昼食、それから新作映画を観たり、評判の飲茶店に行ったりしているうちに、いい時間になってしまった。)

 アマジーグもチケットが思うように売れていないと聞いていたが、フロアに降りて行くと結構人が集まっており、すでにDJ(プレイしていたのはアマジーグのバンド・メンバー)で盛り上がっている。空いている訳ではなく、それでいて場内を動きやすかったので、客としては理想的な人の数だった。

 …が、関係者に言わせるとまだまだ「足りない」そうだ。

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 30分ほどプレイされたDJから、そのままの流れでアマジーグたちがステージに加わって、本編スタート。誰もが素晴らしかったと絶賛したライブ、特に後半の大グナワ大会については詳しくは書かない。

 すでに各所で語られているし、これから出る各紙にも良いレビューが載ることだろう。

 そのかわり個人的に印象的だったことについて少しだけメモしておこう。それは、音楽は「場」の与えられ方によって大きく変化するということ。

 福野でアマジーグを聴いていて、その音楽の素晴らしさに納得はするものの、何か少し物足りなさのようなものもおぼえていた。例えば、各楽器の音が分離してしまって、疎な音空間が感じられてしまう。本来グナワに備わっているような強固な音隗といった印象が幾分薄いのだ。

 対して UNIT で聴く音は極めてハードで厚くて激しくドライブしている。とりわけ身体に響いてきたのはアマジーグが演奏するゲンブリのサウンドの太さと重さだ。ゲンブリは本当はこういう音なのだということをやっと実感した思いがする。

 そして、ゲンブリの音に限らず、あらゆる音が渾然一体となって迫ってくる。UNIT のような箱はこうしたライブ向きに作られているのだから、多目的ホールのヘリオスと比較することに意味はない。ただ、サウンドが自身が発した出音(でおと)に適した「水」を得たなという実感は強かった。

 サウンドに相応しい「場」であったあとひとつの理由は、オーディエンスの質だ。アマジーグのライブ・サウンドに、耳と身体を本気で向き合わせたい、心行くまで踊りたいという層が厚かった。特に同郷アルジェリアの若者たちの反応が素晴らしい盛り上げ役を演じていた。フロア最前方に陣取って、叫び、旗を振りかざし、仕舞にはステージに上がって踊り出す。アマジーグの音楽は、ポップ・ミュージックとして素晴らしいばかりではなく、その内には彼のアイデンティティーが濃密に込められている。そのアイデンティティーをぶつける対象が目の前で激しく反応しているのだから、その音楽も触媒を得て活性化し沸騰しないわけがない。

 終わってみたらタイムリミットぎりぎりの2時間半(DJ含む)のセット。アンコールを演る時間が足りなくなったほどに突っ走ったライブだった。

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 正直なところ、昨年も今年も SUKIYAKI 関連のライブを東京でも開催することについては幾分かながら疑問だった。もちろん富山県の南砺市福野まで来られない人たち向けの公演という意味は分かるのだが、福野のスキヤキだけで完結しているんじゃないかという考えもあった。

 数日前のこと、スキヤキのプロデューサーのニコラさんと橋本実行委員長からメッセージ(ツイート)をいただいた。スキヤキは「交流」を大切にしていると。スキヤキが世界各地の音楽を紹介する「場」に留まらずに、ミュージシャンや音楽ファン、一般市民の交流の「場」でもあるとすれば、SUKIYAKI TOKYO はそうしたミュージシャンたちに完璧なショーケースを披露させる「場」である。ならば、両者はしっかり役割分担が出来ているのではないだろうか。そこに SUKIYAKI TOKYO を開催する意義のあることに思い至った夜だった。

 くどくなるが、福野と代官山のどちらの内容が良かったかという比較の問題ではない。それぞれ違ったものも求められているので、一方が勝っているという言い方をするのは適当ではないのである。





 個人的には一昨日のオマラ・モクタル・ボンビーノ(渋谷クアトロ)以上に多くの旧知の方々と再会できたことが嬉しかった。東京を離れて2年、上京する度に外様気分が強まっていたので、たくさんの人たちから声をかけてもらえたことは素直に嬉しかったです。その分ダラダラ飲みながら語り合っている時間が長かったような…。まあ、それがいいのだけれど(結局今日は昼から飲みっぱなしという良い1日だった)。

 さて、アマジーグはグナワ・ディフュージョンを再結成してレコーディングに取りかかっているという情報も流れて来ている。順調に新作を発表し、今度はグナワ・ディフュージョンとしてまた日本に来てくれるよう願っている。

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オマケ:

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 発売日は都合がつかなかったので、代わりに買っておいてもらったチケット。番号は1番と2番。ということは最初に売れたチケットか?




 (2011.09.13 記)

 (続く/・・・ざっと書いた後に修正中。もう少し手を加えると思います。)



 (2011.09.22 追記/修正)

 (今年初開催となった SUKIYAKI TOKYO が昨年も行われたように書かれているのは誤りだというご指摘を受けたので、その部分も含めて修正しました。)



 (2011.09.25 再追記)



 SUKIYAKI TOKYO の堀内さん、他のみなさんにご協力いただきました。どうもありがとうございます。





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by desertjazz | 2011-08-24 23:01 | 音 - Festivals

SUKIYAKI TOUR 2011 (14) : Day 5

 スキヤキ・ツアー5日目(SUKIYAKI TOKYO 第2夜)。カウシキ(コウシキ)東京公演。

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 会場は浅草アサヒ・アートスクエア。開場30分前という中途半端な時間に着いてしまったので、スカイツリーを眺めながら待つ。事前に聞いた話ではチケットが思うように売れていないとのことだった。けれど、200席程度の小さなホールなので、まあ大丈夫だろうと思っていたところ、実際明けてみると待つ列が次第に伸びていく。

 18時半開場。イスの並びを見て早速迷う。今日は後ろの方でじっくり音を聴こうかと相談していたものの、やはりカウシキの歌う姿も楽しみたいし、客席が平場なので余り後ろだと周囲の人たちが気になって音に集中できないようにも思えた。結局、中央よりやや前目(3列目だったかな?)、上手(向かって右側)寄りの席を選ぶ(これは、福野ではカウシキが上手のハルモニウム方向に顔を向けることが多かったから)。

 'アサヒ' とあって場内後方ではビールやワインが売られている。仲間たちは美味しそうに飲んでいるが、自分だけはじっとガマン。インドのコンサートの流儀に従った訳ではなく、途中でトイレに行きたくなるのも、眠くなるのも恐かっただけなのだが(インド音楽に通じている人によると、インドの会場でアルコールが売られるなんて考えられないことだそうだ)。



 そうこうするうちに開演時刻19時半になった。イスが急遽追加されたので、後ろを振り返ってみると立見も多数出ている。正に盛況といった様相。

 恐らくこれだけ集まったのには、ネットの効果が大きかったはず。前売りチケットを買っていなくても、直前にツイッター(ブログも)を見て行くことを決めた人がかなりいたのではないだろうか(先日、渋谷クアトロの Marc Ribot などは、その端的な例だろう)。ともかくこれでカウシキを歓迎する条件は整った。



 定刻よりちょっとだけ遅れて、下手から、カウシキ Kaushiki Chakrabarty Desikan、スバシス Subhasis Bhattacharya(タブラ)、アジャイ Ajay Joglekar(ハルモニウム)の3人が登壇。

 1曲目はもちろんカヤール(タイトルは Raga Bihag とのこと。taro terahara 氏のツイートによる。以下、同じ)。演奏時間はちょうど1時間(か、僅かにそれに足りないくらい)。とにかくこれが素晴らしかった。前半はゆったり歌われるアラープ。一節ずつ、一音ずつ、繊細な表現と微妙な変化を施していくのだが、そこには乱れも一切の無駄も全くなく、それでいて至極心地良い。生の歌声を聴いているというよりも、不思議な響きに身を委ねているといった感じか。

 中ほど30分頃のところでリズムが上がって後半パートへ。そのハイライトはハルモニウムとタブラとのやりとり(コール&レスポンス)。カウシキが技巧を駆使して超絶フレーズを投げつけると、アジャイが同様のフレーズを返す、これがしばし続いた後、今度はスバシスの番。また激しいインタープレイの繰り返し。

 演奏中、カウシキが右膝を打って次のリズムを指示するきっかけや、小首を右に傾げてアジャイにソロ演奏を促す仕草なども、今日はよく観察することができた。そして何より我が眼が喜んだのはカウシキの笑顔を拝んだとき。アドリブで神業的一節を諳んじた後や、アジャイ、スバシスとの激しいやり取りを終える度ごとににっこり微笑む。これが良くて、聴いている方にも気分が感染してくる。

 1時間も続くカヤール、途中でウトウトしてしまうのではないかとも思ったのだけれど、結果は全然逆だった。集中して聴いているうちに、聴く耳がどんどん研ぎすまされていって、(仲間たちが語っていた通り)これなら2時間でも3時間でも聴き続けられると思った。

 2曲目はロマンティックなトゥムリ(Thumri Mishra Charukeshi)。確か約18分。3曲目は Bhairavi。約10分。福野で聴いた後半2曲のような派手さはないけれど、しっとりとした歌い口が印象的だった。しかしそれを超えて最初のカヤールが良かった。

 予定していた3曲が終わるなり、絶賛を示す拍手。そしてそれが止まない。とうとうインド音楽禁断(?)のアンコールのために再登場し、もう1曲披露することに。



 明後日の大阪公演について綴る前に結論を書いてしまうと、全3公演の中でこの東京のステージが圧倒的に良かった。

 福野が劣っていた訳ではない。スキヤキでのパフォーマンスは、1時間という制約、広い幅の観客層といったを諸条件を考えると、文字通りこの上ないという意味で最高のものだった。

 カウシキも伴奏の2人もかなりノッていたと思う。福野で喝采を浴び、立見の出る大入りとなり、ホールのアコースティックも申し分なし。歌っている最中もとてもリラックスしている様子で、アジャイとスバシスと微笑みを交わす表情も実に和やかだ。

 終演後、タブラのスバシスと話したときも、ここアサヒ・アートスクエアのアコースティック(音響)をしきりに褒めていた。隣にいたアジャイも同意するように頷いていた。スバシスは昨年も兄とここで公演を行っているので、そうした感想はカウシキとアジャイにも事前に伝わっていたのかも知れない。

 それでも真剣勝負していることがはっきり伝わってくる瞬間があった。スバシスに複雑で高度なフレーズを投げかけ、それに対してスバシスが素早くタブラを叩き返す。その瞬時、カウシキが再度一節切り替えそうとしたものの、彼女自身がそのタイミングを捉えられず入っていけなかったのだ。自身が挑みかけたスピードにカウシキ本人がついていけない、技術的にもそれだけギリギリのパフォーマンスを演じていた証拠だろう。その時の苦笑いも可愛かったのだが…。

 今夜のライブを観てつくづく心に抱いたのは、人間が生み出した音楽という芸術が、これほどの高みにまで達したのかという感慨だった。個人的な声楽の体験としても、日本で観た中では、アゼルバイジャンのアリム・カシモフを超え、横浜WOMAD で観たパキスタンのヌスラット・ファテ・アリ・ハーンに匹敵するものだった。

 スキヤキ直後に、カウシキのことを「個人的にはヌスラット級」とツイートして、正直後から冷や汗をかいたのだったが、それに対して反論はなく、賛同する声があったのには安堵した。

 インド音楽については詳しくないので、カウシキ以上の歌い手は現在もいるのかもしれない。実際、故 M.S スブラクシュミなどは彼女を遥かに勝っていたことだろう。けれども、少し言い方を変えれば、かつてニューヨークで開催されたスブラクシュミのコンサートで彼女の歌に接したニューヨーカーたちの感想は、今回自分がカウシキの生の声を聴いて抱いた感慨と同じようなものだったのではないかとも思う。


 とにかく素晴らしかったとしか言いようがない。恐らくこの公演のことは生涯忘れることはないだろう。





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 終演後のサイン会には長蛇の列。カウシキも上機嫌で気さくに応えていた。

 そして手元には常に白い iPhone が。彼女の iPhone は来日中、何かと話題になっていたなぁ。




 (2011.09.12 記)

 (続く)





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by desertjazz | 2011-08-23 23:01 | 音 - Festivals

 スキヤキ・ツアー4日目。ホテル(アミュー)をゆっくりチェックアウト。フェスを盛り上げたアーティストたちも、次への出発準備中だったり、すでに旅立った気配だったり。フロントに荷物を預けて福野の街中を散歩。

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 宴が終わってどの通りもすっかり静かに。

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 出会うのはネコくらい??


 ホテルのレストランで海鮮丼食べて腹ごしらえ(これが美味かった)。そして富山空港へ。今度は至ってスムーズな移動だった。が、都内につくなりひと揺れ。地震が日常時と化しているようだ。

(本当なら午前便にしたかったのだが、直行バスがなかった。それと、ひと便早めると出演者たちと一緒になりそうだったので、それは避けた。なぜか世界各地の空港や飛行機でアーティストたちと一緒になる機会が多い。その度に、まるで追っかけやっているような気分になるし、疲れている彼らと毎日顔を突き合わせてしまうのも悪いような気がして…。)




 スキヤキ・ツアー中日、今日だけはオフにするつもりだったものの、お誘いがあったので渋谷・クアトロへ。"SUKIYAKI TOKYO 2011" の最初のステージ、藤本一馬のトリオとオマラ・モクタル・ボンビーノ Omara Moctar Bombino を聴きに行く。

 藤本一馬は最後に最新ソロ作のタイトル曲 "Sun Dance" を30分フルヴァージョン?の演奏。

 オマラ・モクタル・ボンビーノはもちろん 'Iyat Idounia Ayasahen (Another Life) ' の1曲狙い。オマラは今夜もギターをキメまくっていた。しかし彼らのステージも3度目となると、その「単調さ」(そうした素朴さが魅力でも物足りなさでもあるのだが)に良くも悪くも?慣れてしまう。クアトロの箱が良いせいか、カラバッシュ(大きなヒョウタンを半球型に切って伏せたパーカション)の鳴りがしっかり伝わってきて、その分だけ気持ちよく身体を揺らすことができた。

 噂通り集客が厳しいようで(フジなどの大型フェスが終わった直後の月曜日で、知名度も低いボンビーノでは苦戦は避けられなかったか?)、クアトロにしてはかなり寂しい入りだった。けれども、久し振りに会う方々から次々声をかけられて、近況などをうかがうことができたのは嬉しかった。

 ただ、福野で一緒だった面々は自分も含めて少々疲れ気味だったかな? まあ明日も明後日もあるし…。

 終演後サイン会の席でオマラと挨拶。彼らとは今度どこで会えるのだろうか。




 (2011.09.08 記)

 (続く)





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by desertjazz | 2011-08-22 23:01 | 音 - Festivals

 スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールドもいよいよ佳境。最終日、その大トリを務めるのはもちろんアマジーグ・カテブ Amazigh Kateb である。

 アマジーグはゲンブリとカルカベをプレイし、他はベース、ドラム、キーボード、DJという5人編成。ソロ・アルバム "Marchez Noir" の曲を中心に構成、グナワをベースに、ヒップホップやレゲエをミックスした、いかにも汎地中海ミクスチャーといったセット。誰もが彼のステージを待ちわびていたわけで、もちろん大盛り上がりとなった。

(スキヤキ日記も12本目、正直息切れしてきたし、そろそろ記憶も薄れ出した。何よりアマジーグに関しては3日後の東京公演のリポートが多数書かれるだろうから、ここでは軽めに済ませておこう。)

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 今日のヘリオスでは友人たち8人ほどで集い、ステージ真下に陣取ってかぶりつき状態で観ていた。始めのうちは、カウシキが終わったら後は後の方でのんびりライブを眺めようかと思っていたものの、カウシキが終わってもクアトロ・スキヤキ・ミニマルが終わっても誰も動かない。やっぱり皆アマジーグのステージを存分に楽しみたいのだな。そう思っていたら、アマジーグが登場するや、やはり場内総立ちで踊り始めた。

 カウシキは眼と耳と肌で震える声を堪能した。クアトロ・スキヤキ・ミニマルは期待した以上の興味深さで思わず頭も使う聴き方になった。それらに対して、アマジーグはやっぱり身体で楽しむ音楽だった。余計なことなど考えずに頭を軽くして、彼らの強いビートに身体を任せてしまうのが一番。そんな痛快で心地よいサウンドだった。アマジーグ本人も気持ち良さそうに全力で歌っていたようだ。

 先にも書いたことだけれど、グナワ・ワークショップの効果大で、アマジーグたちのリズムパターンの変化に自然と身体が反応している自分に気づくこともしばしば。

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(いや、「女子部」はボンビーノ以上に眼でも楽しんでいたようだ。アマジーグが一枚ずつ脱いで、早々に半裸、途中から腰ばき状態になってしまったものだから…。)

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(写真も「頭撮り」的に軽く撮影したのみ。あとはのんびりと音に浸っていた。)

 ただ、自分自身ちょっと集中力が足りなかっただろうか。問題のひとつはヘリオス屋内ではビールを買えないこと。カウシキのステージがあるので午前からアルコールをずっとガマンしていたのだが、そのカウシキが終わった後も外までビールを買いに出るのが面倒。もうひとつの理由は、今年のスキヤキがこれで終わってしまうのかという名残惜しさが頭の中を巡り始めたこと。アマジーグのステージがこのままずっと続いて欲しいと願うし、そろそろ終わってビールが呑みたくもあるしと、ふたつの思いが堂々巡りしてしまった。

(ただ、聴いていてアマジーグのサウンドに何かが足りないような感触もずっとあった。その答えは、24日の東京・代官山 UNIT でしっかり示されたのだった。)


♪♪

 ということで?、熱いライブが終わるなり、隣でご一緒していた音楽評論家の五十嵐正さんと外に繰り出して、スキヤキ特性生ビールで乾杯。目前では毎年恒例のフィナーレがすでに始まっている。様々な人種と楽器とダンスが入り乱れて、リズム豊かな爆音をまき散らす。こんな光景を眺めながらのビールがまた美味い。

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 次第に陽が傾く中、雰囲気のいい光景だなと思っていると、橋本委員長が声をかけてきた「いい眺めでしょ。でもいつまでもやっているので、どう終了させるかが難しいんです」と言いつつも、その顔はとても満足げだった。橋本さん、ニコラさん、そしてスタッフ、ボランティアのみなさん、どうもお疲れさまでした。


♪♪

 今年のスキヤキで印象的だったこと。

1. さほど大きくもない地方自治体が世界的なアーティストを集めて開催した奇跡的なフェスティバル
2. それでいて市民が協力し一緒に楽しむ夏祭り的な良さがある
3. 招かれたアーティスト達はそうした空気に感化されてか熱心なパフォーマンス
4. 主役アマジーグとともに、サカキマンゴーがすっかりスキヤキの顔となった
5. ワールドミュージック系のフェスが国内では皆無に等しいことを考えると、貴重なフェスで意義深い


♪♪

 知人、友人たちは、それぞれ東京、金沢などへと離れて行ったので、今夜は静かに呑むことに。ニコラやサカマンが紹介してくれた、国内外アーティストお気に入りの店「蔦」へ(小路にあるために地元の人に聞かなければ絶対場所が分からなかった)。ここが実に味も雰囲気も良い店だった。地元の食材を使った料理がどれも工夫の凝らされたものばかりで、素朴なんだけれど丁寧に作られている。おかげでお店の方と話していても暖かくなった。

 そのうち話が亡くなられたカンバセーションの芳賀社長のことになった。芳賀さんがいかにアーティストや関係者たちから愛されていたかについて伺う。カンバセーションの芳賀さんがいたからこそスキヤキが走り始めることができたとも聞く(思えばニコラと私を結びつけたのもカンバセーションだった)。芳賀さんが蒔いた種が福野でしっかり育っていると言って構わないのだろう。そしてそれがもっともっと大きくなって欲しいとも願う。スキヤキがどれだけ大きく成長するか、これからも見続けたい。

 たっぷり楽しんだ3日間だった。本当に良い音楽フェスだと思う。できれば来年もまた、スキヤキと蔦にやって来たいな。




 (2011.09.07 記)

 (続く/・・・カウシキのインタビューが残っているので、まだ終われない。





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by desertjazz | 2011-08-21 23:04 | 音 - Festivals

 スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド最終日、カウシキの次にステージに登場したのは、クアトロ・スキヤキ・ミニマル CUATRO SUKIYAKI MINIMAL 。昨年の SKIAFRICA に続くスキヤキ・オリジナルのスペシャル・ユニットで、メンバーは、ファン・パブロ Juan Pablo(メキシコ)、フェルナンド・ヴィゲラス Fernando Vigueras(メキシコ)、チャン・ジェヒョ 張 在孝(韓国)、サカキマンゴー(日本)の4人。

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 各人が持ち寄った曲とアイディアを核に、それをセッションを通じて実験的に膨らませていったような歌と演奏。序盤は様々なヴォイス・パフォーマンスを披露。フェルナンドを除く3人が頬を叩いて多様なサウンドを聞かせたり、ホーミーを重唱したり、さらにそれらをループさせていく。途中からは、アルコや携帯扇風機でギターを弾いたり、ペンチで親指ピアノを叩いたり、チューブやヤスリなども持ち出して、視覚的にも楽しい音の玉手箱といった様相。アドリブ的に音を探っているときには、アルゼンチン音響派をちょっと連想させるところもあった。静かな演奏から次第に音圧を上げて盛り上げていく構成もよかった。

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 フェルナンドのテーブル。

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 2日前のフローラルステージで短いパフォーマンスに触れただけで、彼らについては何ら予備知識がなかったことも幸いしてか、かなり面白く聴けた。メンバーが多い分、各人の役割が分かりにくかった昨年スキヤキ時点での SUKIAFRICA(チウォニソやチャン・ジェヒョがいる意味が薄かったと思う)よりも良かったと個人的には感じた。このまま続けて、レコード1枚作るところ進んでみたらどうだろうとも…。

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 何と言っても嬉しかったのは、サカキマンゴーの新曲 'Small' を早くもライブで聴けたこと。これは彼の最新作 "OI!LIMBA"(本日 9/4発売!)のラストに収録されている曲で、最初に聴いた瞬間から虜になってしまった、切なくも暖かい名曲。年末に「今年の1曲」を考えたとしたら、きっとこの 'Small' を選んでいるんじゃないだろうか。このスキヤキでのステージも見事な絶唱だった。

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 (2011.09.04 記)

 (続く)





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by desertjazz | 2011-08-21 23:03 | 音 - Festivals

♪♪♪

 ゆったりと宙を泳ぐ2本の腕と10本の指先。
 真綿を優しく引き延ばすような左右の手のしぐさ。
 胸先に抱えた鞠を撫で付けるような動き。
 音高を確認するかのように激しく上下する手のひら。

 ふたつの瞳は、時に見開き、時に微笑む。
 首を勢いよく振って声音をふわっと飛ばす。
 右手で膝を打ってリズムをシフトさせる。
 小首を右に傾げ、さあ行け!とばかりに合図を出す。

 桃源郷の空の上から舞い降りてくるかのような声に浸りながら、
 我が眼は、姫の瞳と指先と腕の細やかな動きに釘付けになっていた。


♪♪♪

 14時半、ヘリオスステージ開幕。カウシキの歌声がついに聴ける。ここ何ヶ月もの間、毎日この瞬間を待ちこがれて続けてきた。

 カウシキ Kaushiki Chakrabarty Desikan はインド・コルカタ(カルカッタ)在住の若手女性歌手。主に北インド(ヒンドゥスタニ)の古典声楽を歌い、国内外から高い評価を得ている。4年前に彼女のCDを聴いてからすっかり惚れ込んでしまい、機会を作ってコルカタまで聴きに行きたいとさえ思っていた。そんな彼女がまさかの来日、こんな日が訪れるなんて夢にも思わなかった。

 そのようなことをまた思い返しつつ、円形劇場ヘリオスへ。カウシキだけは特に集中して聴きたいので、今日は朝から生ビールを飲みたい気持ちをじっと堪えている。こんなことは自分にとって滅多にない。

 聴く場所には迷ったが、今日はカウシキの歌う姿をじっくり見つめたいと思い、彼女の真下、一番見やすいポジションを確保した。後方の方が音響条件が良いだろうとも思ったのだけれど、彼女のステージは初体験なので、まずは近くで拝見させてもらうことにする。



 定刻を少し過ぎて、ハルモニウムのアジャイ・ジョグレカー Ajay Joglekar とタブラのスバシス・バタチャルヤ Subhasis Battacharya を従えてステージに現れる。ステージを眺めて意外に思ったのは、座布団のようなものが用意されていないこと(長時間座すのは辛くないのかと思うのだが、インド音楽ではこれが当たり前なのか? そんなことすら知らない)。

 下手(ステージ向かって左側)に座ったスバシスが、タブラをハンマーで入念に叩きチューニングを確認し始める。中央のカウシキが電気タンプーラに手を伸ばした瞬間、これから始まる演奏の基調音が漂う。そしてうっすらと声を発し、上手(右側)のハルモニウムと音合わせに入る。この時間がとても長く感じられて、いやでも期待に胸が膨らむ。

 最初の演目はもちろんカヤール(北インド古典声楽の主要な形式)。まずハルモニウムの伴奏でゆったりとしたアーラープのパートを丹念に歌い始める。続いてタブラが加わると、空間は3人だけの世界。シーーンと静まりかえったホールには、妖艶で典雅で幻惑的な空気が広がっていく。

 このアーラープは意外なほど短い時間に納め、テンポを早めて盛り上がる後半部に移る。タブラのビートが増し、カウシキはラーガ(いつくかの規則に従ったインド音階)に則って高速フレーズを連発、会場は一気に盛り上がり、ワザを決める度に大喝采。次第に音域を広げながら、これが5度も6度も繰り返す。通常は約1時間やるところを今日は約30分。超絶な歌唱を必至に追っていくうちに過ぎてしまった。

 続く2曲目は何とカルナータカ。まさか南インドの曲を選ぶとは。しかしこれはインド音楽を全く聞いたことのない耳にも親しみやすそうな演目だった。彼女のCDはほぼ全て聴いてきたつもりだけれど、これだけノリの良い録音は記憶にない。きっと子供からお年寄りまで楽しめたことだろう。

 そして最後はトゥムリ。可憐で優しくロマンティックな歌声がたまらない。正しく至福の時間が瞬く間に過ぎてしまった。もっと聴きたい!(けど、これは来週までじっとガマンだ。)

 恐らく持ち時間は1時間と伝えられていたはずで、2曲目と3曲目はそれぞれ10分強。全体でも約1時間のプログラムだった。カヤールはアーラープ部を短くすることで派手さを演出するとともに、全体にリズムと旋律が明るくはっきりした曲を選んでいたのは、このフェスの客層を十分に意識してのことだったのだろう。



 それにしてもカウシキの歌声は実に素晴らしかった。伸びやかで美しい声。ダイナミックレンジも広く、歌い進めるに従って幾段にもステップアップして強めていく(こんな歌い方記憶にない)。音程も声調も全くぶれず、テクニック面で欠点がない。形容するなら「完璧な楽器」。それでいてひたすら暖かい。最前列ではPAの音が十分には届かないかと危惧したのだが、途中声に張りが増してからは声がホール全体に伸びていって、ひたすら気持ちよく響く。どこで聴くかなど杞憂だった。

 感心したのは、意識してなのか分からないが、マイクやPAの特性を完璧に活かしていること。基本的に正面ではなく脇(左右の口元)にマイクを置いて澄んだトーンにする。かと思えば低いフレーズの箇所では口をマイクぎりぎりまで持っていって太い音色にする(専門的に書くと、「近接効果」で低音が強調される)。またまた、マイク正面で顔を素早く左右に動かして変化をつけたり、身体を反り返してふわっと声を飛ばしたりもする。

 とにかく生で体感したカウシキの歌声はCDで聴くレベルを遥かに超越していた。声の美しさ、テクニックの高さ、表現力の深さ、いずれの面においても最高の歌い手だと思う。現在世界最高の女性歌手のひとりなのではないだろうか。少なくとも自分が今一番好きな女性歌手であることははっきり確認できた。

 結局のところ、今夜のカウシキはどう表現しても足りないように思う。ただただ圧倒された。音楽を聴いて感動するとはこういうことなのだろう。これほどの体験は生涯でそう何度もない。


 パキスタンの故ヌスラット・ファテ・アリ・ハーン、アゼルバイジャンのアリム・カシモフを日本で観たときも感動したが(もちろんユッスー・ンドゥールにも)、人の声に打ち震えたのはそれ以来だろうか。自分にとって今のカウシキはヌスラット級の存在だ。彼女に匹敵しうる女性歌手は、今世界を見渡してもパキスタンのアビダ・パルヴィーンくらいだろうかとも思う。




 公演中、カウシキの歌に集中しながら、彼女の眼や手の動きにも魅了され、それをずっと追っていた。歌とのコンビネーションが美しくて魅力的だったからだ。しかし残念ながらそれを写真で紹介することができない。

 今回スキヤキでの写真撮影に関しては「慣れてるでしょうから(任せます)」といったように伝えられていたものの、カウシキだけはどこまで許されるのか直前に確認した。すると「後方とステージ袖からはOKだけれど、演奏中近くで撮るのは止めてください。歌に集中できないと言っていました。」との返事。ちょっと残念だが、これは至極当然のことだろう。それより嬉しく思ったのは、彼女がそれだけ真剣に歌うつもりでいると伝わってきたことだった。

 カヤールが終わった時点で後方に移動して撮影することも事前に一応考えたのだが、演奏が始まると、もうカウシキの歌に集中することしか頭に浮かばなくなった。邪念を交えるのは勿体ないことだと心底思ったのだ。会場の誰もが同じ気持ちだったのではないだろうか。周囲からはそれくらい適度にリラックスした緊張感(矛盾する表現だが)のようなものが伝わってきた。

 それでも歌い終えた瞬間にシャッターを押して撮ったのが下の3枚。彼女のステージ写真はピントの甘いこれらしかない。

 オフィシャルカメラマンが福野と東京それぞれ一人ずつ入っていたので、その一部は後日公開されるのだろう。とても楽しみだ。




 カウシキの日本初公演が終えるとともに、感動の波が広がっていった。夢のようなひとときを与えてくれたカウシキ姫に感謝。



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 (2011.09.02 記)

 (続く)





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by desertjazz | 2011-08-21 23:02 | 音 - Festivals

 スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド3日目、いよいよ最終日。半年以上待ちこがれたカウシキのコンサート、そしてアマジーグのライブが待ち構えているので、それまでホテルでのんびりすることに。

 ところが…。

 Wifi の通じるホテルのロビーで iPad でネットをチェックしていると、ゲンブリのハードケースを引きずって降りてきたアマジーグとばったり。そして「シンポジウムに来るよね」と声をかけてくる。

 やっぱり行くかと思い直しながら、時間調整?しているアマジーグと一緒に記念撮影したり、最新作 "Marchez Noir" にサインをもらったり。前回来日した際にも同じことをしていたなと思いながら、「5年前にもあちこちで会いましたよね」と話かけると「そうか、会ったような気がしたのだけれど、思い出せなかったんだ」と。多分すっかり忘れているはずなのに、さりげなくこんな気遣いをできる男。



 ということで、12時半から「シンポジウム:アラブ諸国民主化運動と音楽〜ジャスミン革命以後〜」へ。パネラーは、粕谷雄一、サラーム海上、アマジーグ・カデブ、モハメド・セルジュ(オマラ・モクタル・バンビーノの「学者」プレイヤー)など6名。

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 まずは粕谷先生による北アフリカ諸国の近現代の歴史ガイダンスからスタート。参加者そぞれぞれが語りたいことがたっぷりあって、内容の詰まったシンポジウムだった。

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 アマジーグが語り始めると止まらない。来日中のインタビューもどれもが充実したものになったようだ。

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 サラーム海上さんはグナワについてモロッコでの映像を交えて解説。彼が披露したエジプト滞在中に撮影したビデオ(民主化デモの映像など)は、これまでこれを観る機会のなかった人たちにとっては新鮮だっただろうと思う。

 彼が泊まっていたホテルに催涙弾が落ちたとき「催涙ガスを吸うと怒りっぽくなるので、窓を閉めた」と話していたが、こうした特徴は知らなかった(以前イスラエルでパレスチナを取材中、催涙弾を投げつけられたことがあったけれど、催涙ガスの強烈さは実際に体験しないと分からないと思う。呼吸しずらくなるし、まともに喰らうととても眼を開けていられない)。

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 盛り上がったのは、サラームさんが「アマジーグのソロ・アルバムがミュージック・マガジンの年間ベストで1位」と紹介したとき。アマジーグは自分の作品がこれほど高評価されていることを知らなかったそうだ。

 もともと今回のテーマに関心の深い人が集まっているなら、北アフリカの基本事項やグナワ、アマジーグとモハメドの音楽についての紹介などはもう少し簡略して、さっさと「ジャスミン革命」についてのフリーな討論に移ってしまっても良かったんじゃないかな? はっきりしたことは言えないけれど(なぜならカウシキのコンサートの席取りをするために最後まで居られなかったから)。

 粕谷さんとサラームさんがきちんとリポートすると思うので、これ以上詳しいことは書きません(と、丸投げ…)。





 ライブ、ワークショップ、写真展などと並行して、こうした取り組みを続けているのもスキヤキの魅力だと思う。

 この夜、リビアでカダフィが逃亡、彼の政権が崩壊しら報が世界を駆け巡る。何か符号しているような気もする。




 (2011.08.31 記)

 (続く)





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by desertjazz | 2011-08-21 23:01 | 音 - Festivals

DJ