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118) アゴタ・クリストフ『悪童日記』
119) アゴタ・クリストフ『ふたりの証拠』
120) カズオ・イシグロ『遠い山なみの光』(再読)
121) アゴタ・クリストフ『第三の嘘』
122) カズオ・イシグロ『浮世の画家』(再読)
123) アゴタ・クリストフ『昨日』
- - -) カズオ・イシグロ「日の暮れた村」(再読)
124) カズオ・イシグロ『日の名残り』(再読)
125) カズオ・イシグロ『充たされざる者』(再読)
126) カズオ・イシグロ『わたしたちが孤児だったころ』(再読)
127) カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』(再読)


 今月読了したのは、またまた10冊。しかし例月とは異なってカズオ・イシグロ(とアゴタ・クリストフ)に集中、没頭した1ヶ月だった。


 カズオ・イシグロの再読作業、いきなり始めて残り1冊とその目処がついてきた。村上春樹の長編とカズオ・イシグロの小説の再読という今年の目標がどうにか達成できそうだ。

(思い返すと、これまでにほぼ全作品を読んだのは福永武彦とインドネシアのプラムディヤ・アナンタ・トゥール(邦訳のみだが)くらいかもしれない。他にあと誰がいたかな?)

 それにしてもカズオ・イシグロという作家はとてつもないスケールの存在だ。特に『わたしたちが孤児だったころ』と『わたしを離さないで』が達成している高みはどれほどのものなのだろう。

 今回再読した動機は単純にもう一度読んでみたかったからなのだが、実際改めて読んでみて、カズオ・イシグロの小説は一作目から順に読んでいくことが断然面白く、また再読した時の方がずっと深く味わえたことが発見だった。順に読むことでイシグロ・ワールドの全体像が見え、それぞれの繋がりや個々の作品が結びついて描く世界も現れてくる(このことは村上春樹も指摘している)。

 じっくり読み返して、ひとつの作品中で細かな連関が緻密に張り巡らされていることも発見だった。頭の中で完成したものを文章化しているからなのだろう(これは村上の書き方とは対照的)。再読して気がつかされたことが実に多かった。

(類似点を感じさせる村上の作品との大きな相違点は、イシグロの小説には性描写がほとんどないこと。そのことも思いながら『わたしを離さないで』を読んだのだったが、この作品で急にセックス描写が増える。

 もうひとつ、村上との共通点について。どちらも大変な音楽好き。ジャズ喫茶を経営していた村上の小説には絶えず音楽が流れていて、ジャズに関する著作もある。ミュージシャンを目指していたイシグロの方は、音楽家が主題だったり主人公だったりする作品が多い。自分はそんなところにも惹かれているのだろうか。)


 この1ヶ月間、神経を集中してカズオ・イシグロの6作品(+1)に取り組んできたことは、少々大袈裟に書くと自分の生涯で最大級の感動に浸り続ける日々だった。カズオ・イシグロを読むことは実に感動的体験だと思う。


 しかし、さすがに消耗が激しく、もう頭も眼も、クタクタ、ヘトヘト。すっかり運動不足になってしまったし。来月『夜想曲集:音楽と夕暮れをめぐる五つの物語』を読み終えたら、読書は少し休もうかとも思う。





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by desertjazz | 2011-11-30 23:59 | 本 - Readings

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 カズオ・イシグロの第6長編小説『わたしを離さないで』(2005年)読了。5年振りの再読。


 この作品に関しては様々語られ紹介されてきたものの、少しでも内容に振れるとネタバレになる危険性があるし、柴田元幸の解説(単行本)にある「予備知識はすくなければ少ないほどよい作品」だとの指摘にも同感である。やはりこの作品の具体的内容については一切書かないというのが流儀なのだろう(ただし、著者自身はネタが明かされても構わないように語っているし、実際その通りだとも思う)。

 それと同時に、読後の感想や語るべきことがあまりに多い作品でもある。極めて独創的な発想から、構成から、文体から、心に落ちてくる感慨まで、何から何までが素晴らしい。前作までは瑕疵と感じられる箇所やささやかな疑問を時折抱くところもあったが、この作品に対してはそのようなことが微塵もない。まさに完璧な小説だと思う。

 前作『わたしたちが孤児だったころ』を読んだ時には「なんて悲しい小説なんだろう」と思い続けた。本作では引き起こされる悲しみがさらに深く、そんな悲しさを通り越していて残酷と言った方が相応しいだろう。あまりに残酷なストーリーで、もう涙の一滴すら浮かんでこないほど。

 11/8 の読書メモで、ナボコフの『ロリータ』、ジョナサン・サフラン・フォアの『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』、カズオ・イシグロの『遠い山なみの光』などは、守り切られなかった子供が主たる登場人物となる小説と言えるのかもしれない、と感じたことを書いた。この時は、ル・クレジオのいくつかの作品やクッツェーの『恥辱』なども頭に浮かんだ(後者に登場するのは女子大学生だが)。『わたしたちが孤児だったころ』と『わたしを離さないで』も似た特質を持っている。

 いや、『わたしたちが孤児だったころ』と『わたしを離さないで』が描く世界の方がはるかに悲劇的だ。子供は守られるべき存在、必至で守ろうとする大人が現れる。けれども、現実世界はとても理不尽で不条理で暴力的で残酷なもの。子供時代にはそのことを知らないが、大人になっていく過程で徐々にそうした現実を学んでいく。ただし、この2作品では最後に救いがあったのかなかったのか。現実の暴力性/残酷さが勝っていると受けとめるべきなのだろうか。

 著者は当初、この小説では原子爆弾を題材にして、科学のもつ限界や矛盾を象徴させようと構想したらしい。その観点からはおのずと重大事故を起こした原発も連想させ、そこに深い現代性も感じさせる。誰もが残酷な世界で生きている、その中で生き暴力に打ち克つのは容易ではない、つまりは大人も子供も大差ない、そのようなメッセージさえ読み解けるのかもしれない。


 この小説は読み進むうちに謎が徐々に明らかになっていき、身体が打ち震えるような恐怖すら感じてしまう。けれども、ほとんどの話の筋が頭に残った状態で再読して、よりいっそう味わえた。これは何度でも繰り返し読みたくなる傑作であるに違いない(日本語訳を再読し終えて、早速英語版で読み返し始めている)。


 さて次は、結局観に行けなかった映画『わたしを離さないで』を観ておこうと思うし、イシグロが脚本を担当した『世界で一番悲しい音楽 The Saddest Music in the World』(2003年)と『上海の伯爵夫人 The White Countess』(2005年)もビデオか DVD を手に入れて観てみたい。

 そして残るは最新作の『夜想曲集:音楽と夕暮れをめぐる五つの物語』(2009年)。ここまで6冊集中して精読した分だけ、主人公のキャシー並みに消耗も激しかった。最後のこの作品集はもう少しゆったりした気分で読んでみたいようにも思う。


(この話、少しだけ続く。)





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by desertjazz | 2011-11-29 23:00 | 本 - Readings

Youssou N'Dour の引退?

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 ユッスー・ンドゥールが音楽界を去り、政界を目指すというニュースがネット上で流れている。→ 今日付けの The Telegraph

 全てのコンサートをキャンセルし、来年1月2日以降は次のセネガルの大統領選挙に向けて動くという内容。かなり以前から将来の大統領候補として彼の名前が挙がっていたので(本人はその可能性を否定していたが)さほど驚く話ではない。またここ10年ほどは記憶に残るような音楽活動が多くはかったので、もし本当にミュージシャンとしては引退するのだとしても悲しむ音楽ファンは少ないのではないか思う(私自身もライブの度に '7 Seconds' を聴かされることに少しウンザリしていた)。

 ただこのニュースがどこまで本当なのかまだ確証がない。事実であるならば、取りあえずお疲れさまでした、これまでありがとうと感謝の言葉を向けたいし、これからの政治活動にも期待してみたい。




 ネットで少し調べ始めているのだけれど、今日のところはハイチの Wyclef がハイチ支援基金から着服した疑惑(1000万ドル超!)の方が着目されている?




(追記)

・ 民主党 おがた林太郎の個人ブログ

 今日の朝刊(どこ?)にも載っていたらしく、他にもボチボチ情報が流れ始めている。





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by desertjazz | 2011-11-29 22:00 | 音 - Africa

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 カズオ・イシグロの第5長編小説『わたしたちが孤児だったころ』(2000年)読了。


 読後に浮かぶ感想は「なんて悲しい小説なんだろう」 ただただそれに尽きる。


 この小説はこれまでの作品よりももう一段深いものを目指して書かれたのものなのではないだろうか。それは部分的には成功しており、部分的には至らなかったように思う。

 これまでと同様、主人公が懐古的に語るスタイルであるだけに、彼の語ることにどこまでリアリティーがあるのかと考え続けさせられた(そこが、イシグロ流のリアリティー/ノンリアリティーとしての迷いを浮かばせるのであり、「過去を捏造する」と語られる所以でもあるのだろう)。そして最後には、主人公(大物探偵)がそれほどの大物なのかという疑問を抱かせるのだった。こうした主人公の特徴は『浮世の画家』の小野や『日の名残り』の執事のようでもある。

 不成功に終わっていると思うものの一番は、サラ・ヘミングスの扱い。彼女が随所で登場する役割がよくわからなかった。特に「マカオ行き」の一件では、主人公のダメさ加減は度を超しているようで、いくつかの解釈のどれを取るか迷ったままだ。

 引き取った孤児ジェニファーの効果も薄いのではないだろうか。小説のキーターム「孤児」の象徴であるはずなので、もっと厚く書かれていてもおかしくないのではないだろうか。

 ただし、主人公にもジェニファーにもイシグロ自身が投影されている感はある。イギリス、中国、日本、香港、カナダなどが舞台となり、イギリス人と中国人と日本人が交錯する(フランス人も出てくる)。そこに著者の経歴について考えてしまうが、初期2作に較べるとアイデンティティーへの迷いが払拭され、自己の立ち位置がより作品に活かされている感がある。

 終盤、戦場に舞い込むシーンはもっと激しかった記憶がある。なので、初読時は主人公の妄想のようにも感じた。だが読み直してみるとかなりリアルな書き方がされている。再会したアキラはアキラではないという感想は変わらず。


 少々細かなことをいくつか。

・イシグロ作品では、どれでも「肩をすくめる」という表現が頻繁に現れる。これは英文学では常套句なのだろうか。

・イシグロ作品を読み続けて気がついたのは、妙にませた子供がいること。これは村上春樹の小説を読んでも思ったこと。例えば『羊をめぐる冒険』でも『海辺のカフカ』でも『1Q84』でも。これほど大人ぶった子供ってあり得るのだろうか?

・村上作品との類似性では、どちらもとても音楽好きだということ。ふたりの対談でも小説のことより、ジャズについて話していたらしい。


 ついでにひとつ余談。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 』を読んだときの発見(ブログを再読しているのだが、それが何だったかまだ見つからない)と同様なものに気がついた。「モーガンブルック&バイアット社」が一カ所だけ「モーガンブルック・アンド・バイアット社」なっている(P.44)。一文一文を頭に刻み込むごとく精読していたからのことだろう。


 様々なことを考えながら再読した小説だった。疑問やモヤモヤした感触も度々だった。しかし、最終部でこれらが一気に払拭された。終盤での謎解き、核心に迫る筆致は凄まじい。とにかく凄い小説だ。もしかするとカズオ・イシグロの作品の中では最も語られることの少ない長編だったり、評価がさほど高くない小説だったりするのかも知れない。それでも、個人的には一番に惹かれる作品だと思う。荒削りで未完成に思える部分があっても、それを補って余りある独特な魅力を感じる。


 それにしても、なんて悲しい小説なんだろう。心がヒリヒリし出して、耐えられなくなる。まるで Joni Mitchell のアルバム "Blue" を聴いている時のようだ。



 いや、もっと書いておきたいことがあったような気がする。後で書き加えるかもしれない…。





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by desertjazz | 2011-11-27 21:00 | 本 - Readings

"Frank Zappa / Carnegie Hall"

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 Frank Zappa のオフィシャル・サイトにオーダーしていた CD/DVD-Audio 10タイトルが到着。プレオーダー中だった最新作(第102作目)"Frank Zappa & The Mothers of Invention / Carnegie Hall" のリリースを待っての発送だったのだけれど、アメリカでの発売/発送(11/19)から、昨日たったの5日で送られて来た。

 早速聴き始めているところで、4枚組の "Carnegie Hall" はモノラル録音ながら、やはり内容はかなり良さそうだ。しばらくの間、またザッパ漬けになりそう。



 この項、順次追記していきたいと思う。


→ → → そう思いながら全然追記できない。時間が足りなくて、そもそも4枚組の半分もまだ聴いていないのだから。当然他のアイテムも棚上げ状態。/1971年10月11日の2公演(2ステージ目は午後11時スタート。もしかしたら、語呂合わせで11年11月11日のリリースを目指していたんじゃないかな??)を完全収録したもの。/The Persuasions(懐かしい!)のアカペラ・コーラスのステージからちゃんと収められている。/後年のようなマルチ録音どころか、音質自体さほどクリアなものではないが、演奏そのものはとても密度が高く感じられる。/毎度特殊パッケージを楽しまされたり困惑させられたりするのだけれど、今回は割合まとも?な造り。/オフィシャル・サイトを見るとまだ Pre-Order プライスのまま。$42 というのは良心的な価格なのではないだろうか?(11/29)






 ところで FZ は毎度 UPS 便なのが不便だ。UPS 便は早いし、円高のおかげで激安なのも有り難い。けれども、UPS は3度までしか配達しないし、土日の受け取りも時間指定も不可。ホントに不便だ。





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by desertjazz | 2011-11-25 23:00 | 音 - Music

25 Years of Sheila Majid

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 シーラ・マジッドの歌手歴25周年記念ライブ盤 "The Malaysian Philharmonic Orchestra Celebrates 25 Years of Sheila Majid - 1, 2 & 3 October 2010" が、長年のファンにとっては感涙ものの素晴らしさだ。事前にこのコンサートのことを知らず、現地に行かなかったことを後悔したほど(チケット入手は困難の極みだっただろうが)。どうしてライブDVD をリリースしてくれなかったのだろう。



 今年の秋/冬のテーマにしようと思っているもののひとつがマレーシア。最近久し振りに P. ラムリーやシーラ・マジッドなどを聴いたりしているところだ。そのきっかけを与えたことに、そのシーラ・マジッドの復活がある。昨年クアラルンプールで開催した25周年記念ライブの実況盤をリリースし、それに続いて、今年はハリラヤ・アルバム "Memori Aidilfitri" も発売になった(ハリラヤはイスラムのマレー人にとって正月のようなお祭り)。

 女性シンガーの中では、アドリアーナ・カルカニョットもエレフセリア・アルバニターキもカウシキ・チャクラバルティーも好きだけれど、シーラ・マジッドも同じくらいに大好き。かすかにハスキーな声質が好みなのだが、さして声量のなさそうなそのような声を張って生まれる情感にも惹かれる。同じマレーシアならシティ・ヌルハリザの方が断然、声質もテクニックも優れているのだろうし、それに対してシーラの方はムードで聴かせてしまうところがある。けれど、どちらがより好きかと問われるならシーラ・マジッドかな。まあ、比較することではないだろうが。

 25周年ライブ盤は、聴き馴染んだ曲がずらっと並ぶ2枚組。オリジナル・アルバムからそれぞれ何曲選ばれているのかざっと調べてみた。

 (1) Dimensi Baru(1985年) 3曲
 (2) Emosi(1986年) 3曲
 (3) Warna(1988年) 2曲
 (4) Legenda(1990年) 5曲
 (5) Ratu(1996年) 2曲
 (6) Ku Mohon(1999年) 1曲
 (7) Cinta Kita(2004年) 3曲

 自分がシーラ・マジッドを好きな決定的理由は、P. ラムリーに捧げられた4作目 "Legenda" の素晴らしさにある。東アジアの全アルバムの中でもとりわけ愛聴してきた作品だ。そして、このアルバムを頂点に初期の5年間が彼女の絶頂期だったのではないかと思う(それ以降は、時折良い曲もありながらも、「ムード」に流れすぎてしまった感もあって印象が薄い)。

(意外に思ったのはファーストから3曲も選ばれていること。カセットでリリースされたこのアルバム、今の耳で聴くとまるで荻野目洋子風な80'sポップ。けど曲そのものはいい。)

 このライブ盤の選曲を見ても、初期4作から13曲、中でも "Legenda" からは最多の5曲選ばれている。しかも Disc 2 に至っては2曲を除く全てがそうした初期ヒット曲のオンパレードだ。そしてそのハイライトはラス前 'Antara Anyer dan Jakarta' のイントロが流れた瞬間のオーディエンスの反応。これはもう鳥肌もの!!(この曲、どうしてこれほど人気があるのだったかな?)彼女がマレーシアで広く愛される国民歌手であることが伝わってくる。

 "Legenda" の素晴らしさは、ラムリーが書いたメロディーの良さや、珠玉のアレンジにあると思う。本作ではそれがマレーシア交響楽団のオーケストレーションによって見事に再現/再生された感がある。それに乗って歌うシーラ・マジッドの歌も思わず聴き惚れてしまう。やっぱりこのライブは生で聴いてみたかったなぁ。




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 デビュー25周年にオリジナル・アルバムを集めた8枚組セットもリリースされている(85年のファーストも初CD化?)。買い漏らしもあるはずなので、これも入手しておこうかと思って、彼女の公式サイト(ここのディスコグラフィー、使い勝手が悪く、近年のリリースも入っていないが、データとしてはかなり有益だ)を参照して調べてみたら、オリジナル・アルバムが手元に揃っていることに気がついた。それより意外だったのは、最新作 "Memori Aidilfitri" まで含めてもスタジオ盤が8枚しかないということ。これだけ寡作だから買いそろえていたんだな。

 それと同時に昔はレコードやCDをそれだけ丹念に買い集めていたということなのだろう。ヴァージョン違いを収録しているベスト盤やライブ盤、日本盤なども初期のものはほぼ揃っている。ファースト・カセットなんて一体どうやって手に入れたのだろうか? 当時は今とは較べようがないほどに忙しかっただけに不思議だ。ネットを活用する以前だったが、逆に WAVE などがあって、ある意味で恵まれた環境だったのかも知れない。インドネシアのバリ島には毎年のように行っていたので、シーラ・マジッドのインドネシア仕様盤にもすぐに気がついたんだったよな(これは後で TOWER かどこかに入ってきたのではなかったかと思うのだが、その記憶は怪しい)。

 そのようなことを思い返し、このブログを綴りながら、ファーストの "Dimensi Baru" から順に聴き返し始めている。





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by desertjazz | 2011-11-24 00:00 | 音 - Music

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 最近聴いているのは、モコーベ Mokobe の新作、ジャラル Jalal el Hamdaoui の新作、グェレウォー(グエレワール?) Guelewar のリイシュー盤など。

 Mokobe の "Africa Forever" は Youssou N'Dour や Salif Keita がゲスト参加した前作 "Mon Africa" ほどの豪華さはないものの、今作も楽しいフレンチ/アフリカン・ラップに仕上がっている。

 Jalal は相変わらずの金太郎飴サウンドだけれど、アルバム後半にいくつかとても良いトラックがある。聴いていて久し振りにDJをしたくなった。Jalal のこのサウンドはフラメンコの亜流と捉えることが可能なのではないか? いや、全くの思いつきなのだが。

 西アフリカ、ガンビアのンバラ・バンド Guelewar の "Hallelin N'Dakarou" はちょっと驚きの発掘ライブ音源のCD化だ。「彼らのLPは4枚」とライナーに書かれているが、これは昔作成したディスコグラフィーのデータと一致する。彼らに注目しLPを4枚とも持っている人はそう多くはないと思うので、このグループについてはそのうちに少し書いてみたいと思っている。それにしても今年はセネガンビアのリイシューの豊作年なんじゃないだろうか。

(この頃のプレンバラ〜ンバラは本当に好きだ。Tr.7 'Cilss' は Youssou N'Dour のある曲によく似ているように思う。もしかしたら Youssou はこれを参照したのかも知れない。)



 これら以外にも、"OPIKA PENDE AFRICA AT 78 RPM"、マダガスカル音楽の新譜、Peter Gabriel、Sheila Majid などについても書いてみようと思いつつも、今はその時間がない。

 それと言うのも、突然カズオ・イシグロの小説の再読を始めたら、面白くて止まらなくなってしまったから。食事も軽めに済ますことが多くなり、毎日読書に没頭している。ネットに接するわずかの時間さえ勿体なくなってしまった。ネットからほぼ離脱した状態なので、ブログの更新はできず、ツイッターも(一時的に?)止めてしまっている。

 今年の秋/冬はいくつかのテーマを持っている。全部で5つほどあるうち、カズオ・イシグロ再読はどうにか軌道に乗ってきた。それ以外のものは、ようやく端緒についたり、取っ掛かりを掴めないでいたり。



 ブログの読書メモは最近も備忘録的に軽く綴っていたが、アップはしないでいた。それは、このブログには音楽情報を求めてくる方が多いと思ったから。このまま非公開でもいいかと思ったが、自分の周辺にはカズオ・イシグロのファンが数名いるので、彼らとの会話のきっかけにはなるかと思いアップすることにした(約2週間分の走り書きをまとめてアップ)。後で自分が思い出すためのヒントのような記述ばかりだが、興味のある方は11月8日の分から順にどうぞ。

 音楽について書くこともそろそろ再開したいのだけれど、それはカズオ・イシグロの再読を終えてからにするかもしれない。





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by desertjazz | 2011-11-23 11:00 | 音 - Music

 カズオ・イシグロの長編小説5作目『わたしたちが孤児だったころ』を読み始める。急に寒くなり風邪気味のせいもあって、今日はさほど進まず。だが PART 1 からすでに、人間心理の微妙な機微の表現に感心させられることしきり。

 この小説を最初に読んで印象に残っていることのひとつが、前半と後半とで相当に違った作品になっているということ。まるで 'Band On The Run' のように異なる2つの作品を合体させたよう、というはおかしな喩え方か?



 前作『充たされざる者』で主人公ライダーは3日間ほとんど食事することがない。そのためか読んでいて腹が減ってくる気分になる小説でもあった。それとどこかの解説で指摘されていたことだが、ライダーが招く空腹感とは対照的に食べるシーンが確かに異常に多い小説でもある。村上とはまた異なった食べることへのこだわりがあるのだろうか。





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by desertjazz | 2011-11-22 23:59 | 本 - Readings

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 カズオ・イシグロの再読は最難関の『充たされざる者』を終えて、もしかしたら個人的には一番好きかも知れない『わたしたちが孤児だったころ』と最高傑作『わたしを離さないで』へ。いよいよ楽しみが膨らんできた。けれど、3週間読み続けてさすがに疲れたので、その前に一息つきたい気分。ちょっと良い酒を飲みたくもなり、会員登録している心斎橋の酒屋へ。

 大阪市内でも最大規模?のこの店、改増築してのセールが昨日で終わったばかり。やっぱり昨日までに来たかったなと思いながら、モルト・ウイスキーを2本選ぶ(最近話題となっている新進 Kilkerran の 'Work in Progress' のセカンドと、スモーキーなテイストと香りが好きな Ardbeg を選択)。試しに「もう通常価格なんですよね?」と訊ねると、「(セール価格で)対処いたします」との返答。結局、昨日までの割引価格にして下さった。

 そういえば、今住んでいるマンションも契約時に値切り交渉すると、期待していた以上に安い金額を提示された。関西では何でもダメ元で言ってみるもので、賃料も値切るのが常識だという。こんなところが関西/大阪の良さなのかも知れない。


 今日はレコ店にオーダーしていたCDがまた一個口届いたのだけれど、開封してみると中にはサービスで1枚余計に入っていた。これ聴いてみたかったんだよな。

 パリ(バルベス〜シャトールージュ)でもマルセイユ(ベルザンス)でもCDを10枚買う度に1枚プレゼントしてくれたことを思い出す。こうしたことは何もフランスのCD店に限ったことではない。

 考えてみたらこの類の経験はいくらでも思い出せる。かつて、一度も酒代を払ったことがない行きつけの飲み屋というのさえあった。

 けれども、こんなことをされる度に、またここで買ってあげよう、知り合いに紹介しようと決めてしまう。単に自分は乗せられやすいだけなのかもしれないのだけれど…。





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by desertjazz | 2011-11-21 23:57

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 カズオ・イシグロの長編4作目『充たされざる者』を読了。初読時には作品の性質がわからずにイライラしっぱなしで、フラストレーションの極地に陥ったのだが、その構造が分かってしまうと今度はスラスラ進んだ。それでも9日を要した。もう2度と読みたくないとさえ思ったこの作品を再読し終えて、ちょっと不思議な気分になっている。

 その初読時よっぽど辛かったのか、今回読み直してみたら8〜9割を忘れていた。本当に読み終えたのかと疑問に思ったほど。かなりはっきり憶えていた中盤のあるシーンが実はラストシーンであったりもして、記憶は相当に曖昧だ。

 読み進むに従って、夢の中にいるような、あるいは長い夢の話を聞かされているかのような気持ちになっていった。人は極短い時間でもとても長い夢をみる。それが非現実的なものであっても、安らぎをおぼえたり、不安に苛まれたり。そのような特質の備わっている夢というものを文学作品で構築して見せられた気になる。登場人物たちの振る舞いや語りからは、人が夢の中にもつ潜在意識が浮き立ってくるようにも思えた。

 前回読んだ時にはかなり支離滅裂で脈絡のない印象だったのだが、じっくり読み直すときちんと筋が通っており、突然の話の展開にも、はるか前の方で伏線が貼られていることに気づかされた。グスタフは『日の名残り』の執事の父と似たようなモチーフであったり、『夜想曲集』はこの作品のエッセンスを100分の1にしたようなものと感じたりもした。

 とても長い作品で多様な要素が詰め込まれている分だけ、様々な読み解き方が可能な作品だ。なのでもう一度読み返したくなっている。




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by desertjazz | 2011-11-21 21:00 | 本 - Readings

DJ