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 高野秀行『謎の独立国家ソマリランド 〜そして海賊国家プントランドと戦国南部〜』を紹介したついでに、ソマリ(ソマリア)音楽についてもちょっとだけ書いておこう。


 今世界で一番有名なソマリア人アーティストといえば、何と言っても、モガディシュに生まれ内戦を機にカナダに移民したケイナーン K'naan だろう。彼のような特別な例を除くと、ソマリアの音楽はなかなか聴くことはできない。特に1991年に内戦が始まるより以前の音源を耳にする機会は少ないが、それらの中で個人的に気に入っているのがこれ。

・ Somalia Sings Songs of the New Era (Radio Mogadishu SBSLP-100)

 1972年に発表されたこのLPで聴けるのは約40年昔の「新時代の音」、これが圧倒的に面白い。隣国エチオピアよりもスーダンあたりの音楽に雰囲気が近いのは、同じくイスラムが多いからだろうか。もしこんなレコードがザクザク出て来るのなら、ソマリアにまで行ってしまいそうになる。

 このレコードの音源は以下のページなどで全曲試聴できるし、まとめて DL することも可能。

SomaliMusic | Somalia Sings Songs of the New Era
Likembe | Somalia Sings Songs of the "New Era"

 SomaliMusic というサイトはなかなか面白い。他にはこのようなページもある。

SomaliMusic | Top 10 Somali Wedding Songs
SomaliMusic | Top 10 Somali Music Videos

 ソマリ・ミュージック、本気で探り始めるとハマってしまいそうだ。






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by desertjazz | 2013-05-31 00:00 | 音 - Music

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 高野秀行『謎の独立国家ソマリランド 〜そして海賊国家プントランドと戦国南部〜』読了。500ページ超のぶ厚い本だけれど、あまりの面白さにほとんど一気読み。いやぁ、凄い!凄い! 今年のベストブックスの一冊に確定。いや近年読んだノンフィクションの中でも白眉の名著だ。

 大陸東部、アフリカの角と称されるソマリアは、1991年に内戦に突入した後、欧米諸国の思惑に翻弄されて国がまとまらず、ソマリランド、プントランド、南部ソマリアに3分裂。うち北部のソマリランドは国としてまともに機能しており、通信等のインフラも整備されているものの、諸外国は彼らの独立宣言を認めない。反対に南部はいまだにグッシャグシャ状態で、外国人が入るのは困難、、、といったことくらいはさすがに自分も知っている。しかし、その大前提として持っていた基礎知識ですら、根底から覆されてしまった。色々な意味で目の覚める凄い本。

 何が凄いかというと、(1)好奇心旺盛な著者がビザが必要かどうかすらはっきりしないのに、体当たり的に旧ソマリアに向かい、分裂した3か国をとうとう無事に訪ね歩いたこと(2)現地の人々への聞き取りを重ね、鋭い閃きを加え、徹底的に調べ考察することで、ソマリの歴史と全貌に迫ったこと(3)単なる紀行ものではなく、学術レベルに匹敵するほどの調査/分析がなされていること(4)実際に行かなくては知り得ないような新事実を次々と明らかにしていったこと(5)あまりに複雑すぎてこれまで十分に理解できないでいたソマリ(ソマリア)の氏族関係/政治情勢についてすっきり説明していること(6)所属する氏族や職業の異なる様々な人々との関係の構築振りが素晴らしいこと(7)そうしたことをユーモア溢れる文章で面白く書き綴っていること、などなど。

 感想をこう簡単に書いてしまうと実にそっけないのだが、「えっ!そうなの!」という驚きの連続。破綻国家と思いきや、まっとうなロジカルで国づくりが進められている様子を紹介したり、衝撃的事実を伝えたり。例えば、犬がたくさんいて可愛いと喜んでいたら、実は、、、いや書くのは止そう。実際に読んでほしい。

 それにしても、「欧米諸国の思惑に翻弄されて国がまとまらず」悲惨な状況にある、と思い込んでいたのが、そもそも欧米経由の報道を信じ切ったことによる思い違いだったとは。もちろん負の面が多いのは間違いないが、最後の方でソマリランドの人が「日本の議会制度は意味がない」といったことを語るのには素直に納得。たしかにソマリランドの議会制度の方が優れているんじゃない? ソマリ(ソマリア)をとことん好きになってしまった著者は、とうとう最後に自分もソマリ人になってしまう(?)のだから、ますます凄い展開だ。

 人がやらないテーマをいかに見出し成し遂げるか、カート(麻薬的習慣性のある葉っぱ)を道具にコミュニケーションを深めて話を聞き出す姿などからは、学ぶ所も大きかった。

 21世紀はグローバル企業が国家というフレームを越えて(無視して)活動する時代。ビジネス拠点の置き方、税金の逃れ方、TPP戦略などを見ていると、国という縛りの意味が薄れ始めていると思う。そしてソマリアでもまた、グローバリズムとは全く対極的なあり方で、従来の国家観を越えた国が生まれつつあることも、とても興味深く感じたことだった。






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by desertjazz | 2013-05-30 00:00 | 本 - Readings

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 レアグルーヴの文脈で語られるような類の音楽は買ってもほとんど聴かないので、日頃は手をのばすことはない。けれど「Peter King か、なつかしいな」と思いつつ "African Dialects" を試聴してみたら、冒頭のずっしり重いイントロが耳に食いついた。思わず購入し、ここ数日聴いている。断然いいのはやはりアルバムトップのタイトルチューンで、歌のフレージングは正にナイジェリアのローカルっぽい。後半、鋭く切り込むソプラノサックスも痛快。ハイライフ、ファンクだけでなく、レゲエやカリプソ調のトラックも交えて軽やかに仕上げているあたりは、イギリス生活の長さが反映しているようだ。

 PK こと、ピーター・キング Peter King は 1938年ナイジェリア中南部エヌグ Enugu の生まれ。19歳のときに Roy Chicago のステージにマラカスもって立ったのが音楽キャリアのスタート。23歳でロンドンに渡り Trinity School of Music で学んでいる(生年だけでなく、トリニティーに籍をおいていたこともフェラ・クティと共通していると、ライナーが指摘している)。このロンドン時代に The Cats を結成、ジャズやソウルを吸収し、サックスを始めとして、マルチインストゥルメンタリトとしてのトレーニングも重ねたようだ。
 69年にナイジェリアに帰国すると、すぐに The Voice of Africa を結成しホテルなどで演奏活動。71年に再びロンドンに戻り、ここでジャマイカ人プロデューサー Clinton "Sonny" Roberts と出会う。彼を通じてラヴァーズロックなどのジャマイカンスタイルを吸収していき、75〜78年の間に4枚のアルバムを制作。
 翌79年にももう1枚分レコーディングし、それは "African Dialects" としてリリースされるはずだった。アルバムデザインも完成していたものの、事情によりイギリス盤の発売は見送りになり、別ジャケットでナイジェリア盤のみ世に出たという(その辺りの経緯はライナーに詳しい)。この年ピーターは再びナイジェリアに戻っている。

 そんな幻のアルバム "African Dialects" がようやくオリジナルデザインで CD 化されたということのようだ。そういえば "Shango" も74年にレコーディングを終えていながら、2002年に Strut が発掘&リリースするまでは未発表のままだった。その "Shango" もどうやら来月、こちらもオリジナルアートワークで(?)再リイシューされるみたいだ(ジャケットは前回の Strut 盤とは全く異なっている)。

 Wikipedia などを参考に彼のリーダー作をリストアップしてみると、以下の通り。意外と少ない。

 1) "Shango" ( ? , 1974 / Strut, 2002)
 2) "Mikki Sounds" (Orbitone, 1975)
 3) "Omo Lewa" (Orbitone, 1976)
 4) "A Soulful Peter King" (Orbitone, 1977)
 5) "Moods" (Tyrone Records, 1978)
 6) "African Dialects" (Grandstand, 1979)
 7) "Omolewa" ( ? , ? )
 8) "The Palm-Wine Vendor" (PK 1, 2002)


 ということは 2002年にナイジェリア・オンリー(?)でリリースされた "The Palm-Wine Vendor" が彼の最新作ということになるのだろうか。8年前にラゴスで(ポートハーコートでだったかな?)買って聴いたときには、ナベサダ・フュージョン風といった感じで何とも緩いなぁと思ったのだった。けれど久し振りに聴いてみたら印象が少し変化。10ピースという大編成バンドによるアフロジャズ、ハイライフ、アフロビートのミクスチャー(全編インストゥルメンタル)で、トラックによっては案外悪くない。ヴィクトリアアイランドの Jazzhole 系にも通じるサウンドである。

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 (この CD の情報は、さすがに全く見つからないなぁ…。)






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by desertjazz | 2013-05-29 11:00 | 音 - Africa

 堀内 孝の『マダガスカルへ写真を撮りに行く』を読むと、マダガスカルの音楽をもっとたっぷり聴きたいなと改めて思うのだけれど、近年リリースされたマダガスカルものの中では一昨年に買ったこの2枚が気に入っている。

・ V.A. "Fanajana : A Collection of Recordings and Photography from Madagasikara" (Cultural Knot / Mississippi Record 067, 2010)
・ V.A. "Fanafody : A Collection of Recordings and Photography from Madagasikara Volume II" (Cultural Knot / Mississippi Record 092, 2011)

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 Charles Brooks なる人物が1997年以降数度にわたってマダガスカルで現地録音し、それらをアナログLPのみでリリースしたもの。ヴァリ Valiha を巨大化させたような楽器から、インド出自と思しき弦楽器、手作りギター、歌やコーラスなどなど、庶民の奏でる様々な音楽が味わい深い。雰囲気たっぷりの写真満載の大判のブックレットがついていて、これもとてもいい。

 この2枚より前にアナログ3枚組 "Fihavanana – A Collection Of Field Recordings And Photography From Madagasikara" (Mississippi Record 061, 2010) もリリースしているらしい(200セット限定)。聴いてみたいけれど、さすがにもう手に入らないだろうなぁ〜。(・・・と思って調べてみたら、まだいくらでも手に入るようだ。本当に200セットのみ?)


 Charles Brooks によるこのアルバム2枚、レビューを書こうと思いながら時間が取れずできていない…。






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by desertjazz | 2013-05-28 00:02 | 音 - Africa

 「プルースト後遺症」から徐々に脱しつつあるようだ。ようやく読書を再開し、割合軽めの本を何冊か読み終えた。以下、それらに関する簡単な感想。


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・ダニー・ラフェリエール『ニグロと疲れないでセックスする方法』

 カナダのモントリオールに暮らすハイチ人作家のデビュー作(1985年)。まあタイトル通りの内容か? ハードバップ・ジャズやスウィング・ジャズが全編にわたって流れる下での、ニグロのモテ男と(インテリ)白人女性との交歓。小説に登場する人物が揃って個性的。詩のようなリズム良い文体が気持ちいい。

 今年1月頃に『2666』と『失われた時を求めて』を読んでいる最中、これも読み始めたものの、最初の1ページだけで全く先に進まなくなった。けれども今度はサクサク前進。あの頃はきっと活字の需要限界を超えていたのだろう。


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 ダニー・ラフェリエールの邦訳はこれが3冊目。やっと訳書が出た今度の処女作が一番面白く読めたかな(もちろん先の2冊の内容が重かったせいもあるのだが)。


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・勝俣 誠『新・現代アフリカ入門 〜人々が変える大陸』

 昔読んだ『入門』も良かったので、この新版も即購入。最近までのアフリカの政治状況を概観するには適当な入門書。ただしアフリカ全体を薄い新書で説明するには当然限界がある(本書でも地域をかなり狭めて語っている)。今中国がアフリカでやっていることは、自国の都合最優先といった点ではかつての欧米や日本がやってきたことの焼き直しに過ぎないと理解した。結語が期待(理想論)で終わっている点は、諸問題の解決困難さを示しているか。

・絲山秋子『北緯14度 〜セネガルでの2ヶ月〜』

 ドゥドゥ・ンジャエ・ローズに憧れてセネガルに旅立った話ということで期待したのだが、ここ10年くらいの間に読んだ中で中味が一番薄い本だった。まるで赤の他人の日記を読んでいるかのよう。旅費を出した出版社が、予算回収だけを目的にしたような本。残念。

・堀内 孝『マダガスカルへ写真を撮りに行く』

 著者はマダガスカルに出会って恋焦がれ、通い続けて写真を発表するまでになった。そうした憧れることの強さが伝わってくる一冊。マダガスカルについてはそれなりに知っているつもりだったが、広大な島ゆえに自分の知らない魅力に満ちていることを教えられ、ますます行きたくなってしまった。(インドネシアや沖縄にもある)複葬文化には昔から興味があって調べているが、その辺りについても書かれていた。何より著者の音楽体験が羨ましい。深澤秀夫氏所有のSP盤から著者自らストリートで録音した音楽まで、すべての音が気になる。





 たまたまアフリカに関する本が続いたが、正直なところアフリカについて読んでいてもなかなか集中できないでいる。今の日本を見つめるとこの先不安ばかりで、読書している最中にも「アフリカについて読んでいる場合だろうか」といった考えが絶えず頭をよぎる。

 最近読んだ中で最も説得力を感じたのは、内田樹が朝日新聞のオピニオンに寄稿したこの文章。日頃考えていることと重複するところが多く、ほとんどの部分に同意する。

 ・ 朝日新聞の「オピニオン」欄に寄稿

 日本の現状を憂い、何をすべきか考えてばかりいると消耗してしまうので、アフリカについて読むことは、より大局的に物事を考える道具となると同時に、雑事を忘れられる楽しみにもなっているのかも知れない。






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by desertjazz | 2013-05-28 00:01 | 本 - Readings

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 今年は第5回アフリカ会議(TICAD V)が開催されることもあって、ここ数ヶ月はアフリカ関連のイベントが目白押し。しかし今のところほとんど行けていない。

 それでも 25日(土)には、横浜中区のヨコハマ創造都市センターで始まった「小沢剛 高木正勝 アフリカを行く」展 ―日本とアフリカを繋ぐ2人のアーティスト―」と、緊急に決まった特別企画「高木正勝 x 川瀬 慈 スペシャルトーク」の様子を覗いてきた。

小沢剛 高木正勝 アフリカを行く」展 ―日本とアフリカを繋ぐ2人のアーティスト―


 高木さんの作品は、今年の春に10日間の日程で訪れたエチオピア(アジスアベバ、ラリベラ、など)で撮影したビデオ映像をベースにした『うたがき』。5つの大スクリーンに映し出される14分間の作品で、映像もサウンドもとてもカラフル(モノクロ/スローなパートもあったけど)。短期間で撮影、編集・映像加工し、さらには音声まで完成させたことを知って、アーティストの集中度はすごいと改めて思った。

 それより、高木 x 川瀬 のスペシャルトークを聞いて、一度だけ旅したエチオピアが懐かしくなってしまった。エチオピアは再訪問をずっと探り続けている国のひとつ(なので、制作論よりもエチオピアを旅した感想をもっと聞きたかった)。

 会場ではスキヤキトーキョーを主催される novus axis の堀内求さんと雑談(作戦会議?)。そのスキヤキトーキョーには高木さんも出演することが発表になったので楽しみだ(会場の渋谷WWWでは彼の映像作品も披露される予定だそう)。終了後はしばらく高木さんと立ち話。




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 それから連れ立って中華料理店・三陽へ。「幻の餃子」をつまみながら乾杯(ここって有名店なの? 店の姐さん、席に着くなり注文もしていない生ビール持ってくるし、まるで押し売りのように注文を取るしで、超ファンキー!)。横浜まで出かけたのは久し振りだったな。





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by desertjazz | 2013-05-27 00:00 | 音 - Music

Botswana Music Guitar (2)

 「凄い!」「弾き方、間違っている!」「男?女?」と話題を集めている?ボツワナギター、別の動画もアップされているとご教示いただいた。



Botswana Music Guitar - Ronnie - "Happy New Year 2011".

 この映像により、謎のこの人物、おばさんではなく若い男性だと判明。

 Bokete7 さん、他にもボツワナギターを YouTube に多数アップしている。背景の雰囲気は首都のハボローネ Gaborone っぽくないなと思っていたら、どうやら北西部のマウン Maun(オカバンゴの入口に街でもある)で撮影したらしい。




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 1993年9月30日に同じマウンで撮影した写真(独立記念日を祝ってダンス中)が出てきたので一緒にアップ。(後でネガからスキャンし直した方がよさそうかな?)






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by desertjazz | 2013-05-26 19:00 | 音 - Africa

 プルーストの『失われた時を求めて』を読み終えた後にもたらされたのは、大きな達成感とたくさんの「抽き出し」だった。そして読んでいる最中、常に頭に浮かんでいたのはヴェネチアの景色だった。

 『失われた時を求めて』の語り手はヴェネチアに憧れ続け、小説の終盤近くでようやく訪ねる(驚くほどに短い描写なのだが)。この小説においてヴェネチアが重要な舞台のひとつになっているのだが、そうとも知らずに昨年12月にプルーストを読み始めたのだった。

 自分にとってもヴェネチアはいつか訪れたいと長年思い続けていた土地。イタリアには出張で二度滞在し、ローマ、ナポリ、トリノ、アッシジなどはある程度知っている。けれどヴェネチアは近郊のレオナルド・ダビンチ空港に深夜に降り立ったことがあるだけ。イタリアはヨーロッパの中でも特に好きな国のひとつなので、フィレンツェ、シチリアとともにヴェネチアにはいつか必ず行こうと決めていたのだった。

 その夢が昨年遂に果たせた。



 マルセイユで毎年10月後半の週末、2週続けて開催される Fiesta des Suds、昨年は全日程観るように旅のプランを立てた。だがマルセイユに10日もいたところですることはない。なので、2つの週末の間は他所で過ごすことにした(後から Moussu T のレコーディングを見においでと誘われたり、Toko Blaze のレコーディングがあることを知っりもしたのだが)。

 そこで思いついたのはヴェネチアかフィレンツェに行くこと。調べて見るとヴェネチアの方がずっと魅力的なようで、Air France のチケットを早めに購入すれば ¥17610で往復できることも分かった。

 そのようなことで、昨年 10/21〜10/25 の4泊5日の日程でヴァネチア滞在を実現。

 ヴェネチアに絶対行こうという気持ちを後押ししたのは、E.H.ゴンブリッチの『美術の物語』を読んだから。この本に影響を受けて、即座にマドリッドに飛んだことは昨年4月に書いた通り。全く同じ理由で、ヴェネチアの美術や建築も見尽くしたいと思ったのだった。

 その間の日記は Twitter に書いていた。読み返してみると、サン・マルコ広場、グッゲンハイム美術館、プンタ・デッラ・トガーナ、S.M.G.d.フラーリ教会、サン・ロッコ教会、サン・ロッコ大信者会、カ・ドーロ、ドゥカーレ、サン・マルコ寺院、サン・ザッカリア寺院、アカデミア美術館、フランケッティ美術館、サンティッシマ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会、スクオーラ・ダルマータ・サン・ジョルジョ・デッリ・スキアヴォーニ、旧造船所、等々を訪ね歩いている。

 たったの中3日の滞在だったのにも関わらず(風邪気味で半日ホテルで静養もした)、事前に調べて興味を持ったところはほぼ行き尽くし、ティントレットやティッツィアーノの諸作、ベッリーニ『玉座と聖母と諸聖人』などヴェネチアの名作はかなり網羅できたのだった。

(ヴェネチア滞在については旅行記を書きたかったのだけれど、いまだにできていない。せめて写真くらい整理しておこうか?)



 プルーストを読む直前にヴェネチアを実際旅してきたのだから、小説の中でヴェネチアを描写する文章が現れる度に具体的なイメージが頭の中に浮かんできた。語り手が思い描いた教会や絵画、実際に歩いた広場や建物、それらについて語られるごとに、自分の頭の中ではっきりと像を結ぶ。旅した体験は偶然にも読書を大いに助けることになった。こんな巡り会わせってあるんだなぁ。





 話は突然変わって、、、ロキア・トラオレが共著を出していることに気がつき、取り寄せて拾い読みしてみた。

 ・ Toni Morrison "Desdemona" Lyric by Rokia Traoré
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 アメリカ在住の黒人女性作家であり1993年にノーベル文学賞も受賞したトニ・モリスンが執筆し、ピーター・セラーズ Peter Sellars が舞台演出した『デズデモーナ』の脚本で、ロキアが詩を担当している。『デズデモーナ』すなわち、シェークスピアの『オセロ』、ってことはこれも舞台はヴェネチア!? こんなシンクロニシティーは楽しい。

 2011年にロンドンなどで公演されたこの舞台の映像をネットで探索して見ると、ロキアはコラ奏者などと一緒にパフォーマンスをしている。このステージは観てみたかった。せめてビデオでフルに観られないものだろうか(2時間ほど行われたシンポジウム等は簡単に見られるのだが…)。


 DESDEMONA: Toni Morrison, Peter Sellars, Rokia Traoré.






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by desertjazz | 2013-05-26 00:00 | 本 - Readings

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 どうやら「プルースト前」「プルースト後」といった考え方があるらしい(?) つまりは、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』を読んだことがあるかどうかによって、文学作品の読解の仕方や、表現方法、感じ方などが違ってくる側面があるということ。それを捉えた言い回しなのだろう。確かに「20世紀フランス小説の最高峰」と讃えられるだけあって、「プルースト的」といったように参照・言及される場面に度々出会う。また数多の文学作品にも多大な影響を及ぼしており、実際そう感じる文章に巡り会うことも多い。確かにこの作品を読んでおく意味はとても大きいに違いない。


 自分にとっては、プルーストを読んだ後で何か変わっただろうか? 5ヶ月間かけて完読した余韻のようなものがいまだに残っているが、ひとつ大きく感じるのは、自分の内部に抽き出しのようなものがたくさん生まれたということである。『失われた時を求めて』はとにかくありとあらゆる要素から構成されている。しかもそれらは単線的にストーリーを描くような並び方をしていない。そのために、それらのひとつひとつが自身の体内の各所に保存され、常に参照できるよう控えているような感覚がある。結果、何らかの価値ある蓄えを無数に分散して蓄えもっているとでも言うのか…。

 今年の黄金週間、『失われた時を求めて』集英社版13冊の各巻末にあるエッセイ13篇をまとめて読んでみた(これだけでも100ページくらいある)。四方田犬彦、姜尚中、加藤周一ら13人の作家や識者が様々な角度から『失われた時を求めて』を見つめて語っている。その間自分は「そうだよな。そうなんだよ」と呟きながら。この作品は、読者が100人いればそれぞれがまた100通りずつの語り方が可能なほど、とても複雑なものなのだと思う。

 読み終えた今も、体内にストックしたパーツを縦横に組み合わせて反芻し改めて味わうという楽しみが消えずにいる。そのような知的作業を通して生まれる出るもの、それは人によって異なり、またいくらでも組み上げ可能だろう。文学論、絵画論、建築論、色彩論、服飾論、貴族社会のありかた、旅のスタイル、食べること、ジェンダーや同性愛の問題、ユダヤ問題、戦争論、老いの哲学、人間の二面性の、等々と実に数限りない。そればかりか、もっともっと細やかな襞を織りなし重ね合わせることで、この超大作の中に別の新たな構造を見出し思索することも可能となる。自分にとって言えば、音が誘起する潜在的記憶のことがとても興味深く思える(果たしてそうかな、と批判的にも考えながら)。プルーストが語ったところを、また別の読書体験や実体験と照らし合わせることによって、新たな発見が待っているようにも思う。

 『失われた時を求めて』という作品は、ただ読んで面白かったというに止まらず、こうした蓄えももたらしてくれる。それゆえ、その蓄えを思い出し活かすためには、繰り返し読むことが望ましいのだと思う。一度読んでそれっきりというのでは勿体ない。それほどに圧倒的な読書体験だった。


 しかしそれだけに、読み終えた後の消耗は激しかった。連日朝5時頃に読み始める日々。深夜寝るのが遅くなっても、翌日は早起きして読み続けた。そしてとうとう読み終えてしまったという脱力感。疲れ切ったこともあるが、次に何を読んだらいいのか分からないというのが正直なところなのだ。ならばすぐに今度は岩波版で2周目に進んでもよさそうなのだが、さすがに今はそんな気力も体力もない。おかげで今月は読書がさっぱり進まなくなっている。


 もうひとつ、自分にとっての『失われた時を求めて』は「ヴェニス体験」だった。だが、ここに書いている文章がうまくまとまらないため、ヴェニスの話まではなかなか辿り着けないでもいる。



(つづく?)






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by desertjazz | 2013-05-25 00:00 | 本 - Readings

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 久し振りに Tower Records へ。
 新譜を6枚ゲット。
 たまには国内盤も買います。
 たまには ZAZ だって聴きます。






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by desertjazz | 2013-05-24 21:00 | 音 - Music

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