Star Band 研究(7)

Star Band 研究(7)_d0010432_17590907.jpg


 Star Band de Dakar の最後の2枚 "Vol.11" (IK 3030) と "Vol.12" (IK 3031) は、Mar Seck が Number One に移り、ヴォーカル陣は Alla Seck、Pape Fall、Youssou N'Dour という3人体制となっている。彼らの中でも Youssou N'Dour の人気は飛び抜けていたと語られており、彼を中心としたバンドになっていたことはジャケット写真からも伺える。中央でマイクを構える Youssou の左に立つのは、ギタリストの Canta Alfa Seyni だろう。

(余談になるが、Youssou は 'Youssouf' と、最後に f を加えたスペリングになっている。彼には数回サインをもらったことがあるが、それらも全て 'Youssouf' と綴られている。)

Star Band 研究(7)_d0010432_09002279.jpg

Star Band 研究(7)_d0010432_09002506.jpg


 Star Band 後期のアルバムは、現在も Super Etoile de Dakar で Youssou と一緒にプレイし続けるタマ奏者の Assane Thiam が在籍していることもひとつのポイントだ。オーナーの Ibrahim Kasse は初期のアルバムでピアノ(オルガン?)奏者とクレジットされることもあったが、これらのアルバムではベース奏者として参加しているのが面白い(どちらもプレイヤーのギャラを渋ったか?)。そのベースの音はレコードでも割とはっきり聞こえ、堅実な演奏に終始している印象だ。

 この時期はレパートリーのアフロ・キューバンのカバーもあって、ンバラ時代の一歩手前と言えるだろうか。

 Star Band 最終期のレコードについて、今回はここ数日間調べてひとつの曲に関して気がついたことだけを書いておこう。

「Star Band 研究(2)」の中で、「Vol.1 B面最後の "Thiely" は Du Grand Combo の曲となっている。しかしこれは明らかに "Moliendo Café (Coffee Rumba)" のカバーだろう。」と疑問を呈した。"Thiely" という曲は 1971年に発表され、直ちに Star Band 最大のヒットになったらしいのだが。


 今回 Star Band の "Vol.11" を聴き直して、B面1曲目 が "Thieli" という似たタイトルの曲であることに気がついた(作者は Midina Sabah となっている)。これは "Vol.1" の曲の再演だろうか。そう思って聴き比べたのだが、明らかに別曲だ。


 ところで、Youssou N'Dour たちが脱退して結成した Etoile de Dakar も聴き直し始めているのだが、その最初の1枚 "Etoile de Dakar Vol.1 - Xalis" (A. Diaw DA 001) に "Cely" という曲があり、これが "Vol.11" の "Thieli" と全く同じ曲なのだ。


 Gran Gombo(Grand Combo のことだろう)の作曲、Papa Seck のアレンジと書かれている。Pape Seck は "Vol.1" の "Thiely" のリード・ヴォーカルでもある。ということは、ファースト・アルバムに Le Grand Combo の曲としてクレジットされた "Thiely" は、誤って収録された別の曲だったのだろうか? 正体不明の "Thiely" なのだが、どうやら "Vol.11" などで聴ける曲の方が本物?の Thiely のようだ。

 この曲に関しては、Yakhya Fall もインタビューの中で語っている。「私が Star Band に在籍した6〜7年の間に "Thiely"、"Simbonbon" など全部で6枚のアルバムを作った」 これを読んで最初何のことかと思ったのが、Star Band のアルバムにはどれもタイトルがないので、それぞれを収録された代表曲で呼んでいたのだろう。つまり "Thiely" はアルバム1枚目、"Simbonbon" は2枚目ということだ。在籍期間が6〜7年だったというのも Pape Seck ら Number One 結成組の在籍期間と一致する。つまり 1970〜76年の Star Band は Number One の前身グループだったと再確認できたことになる(だとすれば、Orchestre Laye Thiam や Orchestre Cheikh Tall et Idrissa Diope が70年代に「代理バンド」であった可能性はぐっと低くなる)。

Star Band 研究(7)_d0010432_08581904.jpg






# by desertjazz | 2023-09-21 08:00 | 音 - Africa

Star Band 研究(6)

Star Band 研究(6)_d0010432_21590050.jpg


 Star Band de Dakar のアルバム最後の5枚は、Youssou N'Dour の初録音を含む彼の最初のレコード群なので、個人的にはずいぶん探して手に入れた。これらは、Vol.8〜10 と Vol.11, 12 とに分けられる。それは両者でメンバーのクレジットが異なっていて、録音が行われたのは別の時期だと考えられるからだ(ジャケット・デザインの違いも、そのことに準じている。Vol.11, 12 の画像は次回掲載予定。しかし5〜7枚目もそうだったが、毎度 Ibrahim Kasse の写真をはめ込んでいるのが鬱陶しい。彼は相当自意識の強い男だったようだ。レコード番号の IK も彼のイニシャルを意味しているのだろう)。

 これらのアルバムに関しては(初期のアルバム群と同様に)、Vol.8〜10 に Laba Sosseh がクレジットされていることが最大の謎である。1964年に脱退した彼の録音が、どうしてこのような後年のアルバムに含まれているのだろう。ところが改めて確認すると、彼が歌っているのは "Vol.9" の "Mariama" 1曲のみだった。Ibrahim Kasse は古い録音を1トラックだけ加えたのだろうか。それとも他の歌手と取り違えたのだろうか。70年代前半と後半とでギターの音色が違うので(Yakhya Fall の方がワウワウが深く感じる)、それをポイントに比較してみたのだが正直よく分からなかった。この曲は確かに Laba Sosseh が、その独特な声で歌っているように聴こえる。彼は 70年代の一時期、Star Band に戻っていたと都合よく考えたくもなるのだが、そのようなことは読んだことがない。やっぱり謎だ。

(*これを書いている最中、Laba Sosseh が 70年代後半以降にダカールで録音したと思われるアルバムがいつくか出てきた。どうも彼はセネガルと他の国々との間を頻繁に往復していたようだ。詳しいことは後日。)

 Vol.8〜10 に Mar Seck が参加していることにも混乱させられた。しかも "Vol.8" で2曲、"Vol.9" では5曲もリード・ヴォーカルを担当している。1976年に結成された Star Number One のヴォーカリストでもあった彼が Youssou N'Dour と同時期に在籍していたことが謎だった。しかし、前回引用した Teranga Beat がリリースした CD "Vaganode" の彼のインタビューを読んでその謎は解けた。

 Mar Seck は Barthélémy Attisso に誘われて 70年に Star Band に加入したという。しかしその直後、メンバーの大半が脱退して Baobab を結成。Star Band のヴォーカリストは Medoune Diallo と自分の2人だけになってしまった。しかも程なくして Medoune まで Baobab に移籍。取り残される形になった彼は、旧知のギタリスト Yakhya Fall に、さらには Maguette Ndiaye に声をかけて Star Band を再建したのだという。そんな逸話を知った上でその後の経緯を考えると、Mar Seck こそ Number One 誕生の最大の立役者のようにも思えてくる。

 しかし彼は、76年に Number One を結成する時に誘われたものの Star Band に残った。どうやら Ibrahim Kasse への恩義を感じてのことだったらしい。そのようなわけで、76年に 17歳で加入してきた Youssou N'Dour と同時期の録音があるのだ。ところが、Youssou とバンドメイトだった期間も2年で終わる。78年に遅れて Number One に加入したからなのだが、それは Pape Seck を慕ってのことだったらしい。その後、Star Band を離れた Youssou からも新バンド Etoile de Dakar に誘われたが、それを断って Number One に残った。しかし、バンド内の不和が高まって Pape Seck が脱退。Mar Seck は繰り返し肩透かしを食らう宿命にあったようだ。

 Mar Seck が慕ったその Pape Seck に関して、興味深いことを知った。Baobab の Issa Cissoko のテナーサックスは Dexter Johnson のものと音色もフレージングも良く似ていると思っていたが、Pape Seck も Dexter Johnson を敬愛するひとりだったという。彼はヴォーカリストであるよりもサックス・プレイヤーでありたくて、Dexter Johnson に憧れていた。実際いくつかの曲で聴ける彼のサックスも Dexter Johnson に似たテイストだ。そうしたことから Dexter のバンドに加わりたくて、60年代末に彼を追いかけたものの、その少し前に Dexter はアビジャンに拠点を移してしまった。Dexter の元でサックスの力をつけたいという彼の願いは叶わなくなってしまった。そんな Pape Seck が、Star Band や Number One ではメインのヴォーカルを担当し、さらには Africando を結成して世界的大成功を果たしたのだから、なんとも不思議な巡り合わせだ。

 話を Mar Seck に戻すと、彼は Africando が結成される時にも声をかけられていたのだそう。これも彼が Pape Seck とは特に兄弟意識が強かったからなのだろう。残念ながら、この誘いは病気を理由に断ったらしいのだが。

 Star Band に関して(というよりセネガルの音楽について)調べていて、理解を難しくさせる理由のひとつが、似た名前の多いことだ。どちらも Star Band で歌った Pape Seck と Pape Fall の2人にも混乱させられた(両者とも Pape とも Papa とも綴られるので、なおさらややこしい)。

(*追記:Guelewar と Dieuf-Dieul de Thies に在籍したギタリストの名前も Pape Seck (Pape Abdou Aziz Seck) だ。)

 Pape "Serigne" Seck は Star Band や Number One を率いたヴォーカリスト&テナーサックス奏者。Pape Fall は Star Band に最後まで残り、それを看取ったヴォーカリスト。Pape Fall は 1995年に Star Band を解散後(実は Star Band の歴史はそこでは終わっていなかった? そのことについては第8回に書こうと思います)、Pape Fall and African Salsa を結成し、2002年に唯一?のアルバム "Artisanat" をリリースしている。

 ・ Pape Fall and African Salsa "Artisan" (Sterns STEW47CD, 2002)

Star Band 研究(6)_d0010432_07422880.jpg

 Star Band から改名した Kasse Star について確認するために、このアルバムを聴き直したところ、Baobab の Bala Sidibe がセカンド・ヴォーカルとコーラスとして参加していることに気がつき、嬉しくなってしまった。90年代以降 Boabab はメンバーが離散する中(Issa Cissoko と Thierno Koite は Youssou N'Dour et le Super Etiole de Dakar へ)、Bala は Baobab を維持し続けた。翌年2003年に Nick Gold によって Baobab は大復活を果たすのだが、その直前、往年のアフロキューバン・バンドを守り続けた Pape Fall と Bala Sidibe の2人には共感し合うものがあったのかもしれない。

 そんな2人が歌う "Artisanat" は良いサルサ・アルバムだ。しかし Bala がバッキングする声は最高なのだが、曲によっては浮いていると言えばいいのか、取り残されていると言えばいいのか。どんなに魅力的な声でも一人で頑張っているのでは、厚みがなくスカスカに感じられる(ミックスにもよるのだろうが)。Star Band も Number One も Orchestra Baobab も常に強力なヴォーカリストを5〜6人ほど擁した。そこまでの人数が必要なのかとも思ったが、曲ごとに歌い手が変わる音楽的な多様さ、リード・ヴォーカルたちが歌い交わす迫力、そして重厚なコーラスが煽る切迫感を生むためにはある程度の人数が必要だ。"Artisanat" で Bala Sidibe がいくら元気に歌っても貧弱なサウンドだと感じてしまうのは、そうした理由からなのだろう。


(YouTube にこの曲の動画がいくつかアップされているが、どれも音が悪い。その分 Bala Sidibe のバッキング・コーラスの浮いた感が薄まっているのだけれど、、、。)






# by desertjazz | 2023-09-20 08:00 | 音 - Africa

Star Band 研究(5)



 気まぐれで Star Band de Dakar の最初の4枚のアルバム(Vol.1〜4)を久々にじっくり聴いたら、新たな発見が多くて興味深い。その流れで、続く「代理バンド」(Orchestre Laye Thiam、Orchestre Cheikh Tall et Idrissa Diope、Orchestre Saf Mounadem)の3枚(Vol.5〜7)、さらには後期の5枚(Vol.8〜12)も聴き直してみた。

 これら Star Band の LP 12枚を "Vol.1"〜"Vol.12" と呼ぶようになったのは、後年になって便宜的になされたことに過ぎない。Miami Club と Star Band のオーナーだった Ibrahim Kasse がリリースしたオリジナル盤は、初期の4枚も後期の5枚も全てタイトルは "Star Band de Dakar" という表記のみで、副題もヴォリューム番号もない。また、それらの間に挟まる形でリリースされた3枚もバンド名が掲げられているだけで、Star Band とはどこにも書かれていない。実は "Vol. xx" とヴォリューム付けされたのはリイシュー盤のみで、それらも Vol.5、6、7、10 の4枚しか見たことがなく、他にもあるかどうかは不明である。

 前回までに取り上げた Vol.1〜4 の録音時期もリリース年も定かではないのだが、代理バンドの3枚についても同様である。それでも今回資料をいくつか拾い読みしてみたら、推測が進み、少しずつ謎が解け始めてきた。

 ライナーノートなど各種資料に書かれていることを総合すると、Star Band de Dakar のメンバー変遷は概ね次のようにまとめられるだろう。

1960〜64年: Dexter Johnson、Laba Sosseh らが中心メンバー(バンドリーダーは Dexter)。 彼らは 64年に脱退し Super Star de Dakar を結成。

1968〜70年: Orchestre Saf Mounadem(Barthélémy Attisso、Issa Cissokho、Bala Sidibe 他)が Star Band として活動。メンバーの大半は 70年に脱退し Orchestre Baobab を結成。

1970〜76年: Papa Serigne Seck、Yakhya Fall、Doudou Sow、Mar Seck らが中心メンバー。アルバム Vol.1〜4 の収録トラックの多くがこの時期のものだと考えられる。76年に脱退したメンバーが Star Number One を結成。

1976〜78年: Youssou N'Dour、Mar Seck らが中心メンバー。Youssou 含めた多くが 78年に Etoile de Dakar を結成。Mar Seck は Orchesta Number One de Dakar(Star Number One から改名)に合流。

1978〜80年、84〜95年: 1971年に加入した Papa Fall は 80年に一度離脱するも、84年に復帰。Ibrahim Kasse が 1992年7月12日に亡くなった後は、Kasse Star と改名し、解散まで率いる。

「代理バンド」3組のうち Boabab の前身グループ Orchestre Saf Mounadem のメンバーたちは 68?〜70年の間、Star Band に在籍していたとはっきり書かれているものもあるのだが、Saf Mounadem と Star Band のどちらが彼らの正式グループ名だったのかはっきりしない。Teranga Beat 盤 CD "Vaganode" (Teranga Beat TBCD 018) に掲載された Mar Seck の証言によると、集団離脱前のメンバーは、Aly Penda Ndoye、Rudi Gomis、Balla Sidibe、Issa Cissokho、Medoune Diallo、Barthelemy Atisso、José Ramos、Harrison、Bob Armstrong らで、リーダーは Barthelemy Atisso だったという。"Vol.7" には4人のメンバーしかクレジットされていないが、60年代末の時点で Baobab のラインナップはほぼ出来上がっていたようだ。69年または70年の録音と考えられる "Vol.7" で聴ける3曲は、メロディーには後年耳馴染むことになったフレーズが感じられ、またいかにもバオバブらしい演奏で、往年のバオバブ・サウンドがこの時点でかなり完成していることがうかがえる(1975年頃にはサイケなサウンドやファンクも演奏するなど、バオバブの音楽性はかなり広い一方で、同じ曲の再演もとても多い)。

 分からないのは "Vol.5" (IK 3024) と "Vol.7" (IK 3026) のA面に収録された Laye Thiam と彼のグループの経歴である。Orchestre Laye Thiam は1960年ごろから活動していたように書いているものがあり、またリーダー/トランペット奏者の Abdoulaye Thiam (Laye Thiam) は1965年ごろ Star Band に在籍していたとも書かれている。だとすれば、64年に Dexter Johnson や Laba Sosseh らが抜けた後、Laye Thiam たちが穴埋め的に Star Band を 引き継いだのだろうか。しかし、溌剌としたオルガンの演奏が印象的なサウンド(カッコいい!)は、アフロキューバンに軸足を置いた Star Band のイメージからは結構離れている。Laye Thiam が Vol.8〜10 にクレジットされていることも謎である(Youssou 時代まで残っていたということなのだろうか)。

 "Vol.6" (IK 3025) の Cheikh Tall et Idrissa Diope の録音時期や Star Band との関わりも分からない。彼らは 1975年ごろに名作を多く録音しているので、70年代のミュージシャンだと漠然と思っていた。一方で彼らが関係する Le Sahel や Xalam (un) は60年代末から活動していたらしい。だとすると、"Vol.6" は Le Sahel や Xalam に先駆ける時代の録音なのかもしれない。あるいは、Orchestre Laye Thiam も彼らも、Star Band とは全く別のグループだったのだろうか(アルバムには Star Band とは書かれていないことでもあるので)。Idy Diop(Idrissa Diope)が残したアルバムは 70年代の重要作ばかりでもあり、事実関係が気になる。

「Star Band 研究(2)」で明らかにした通り、彼らのファースト・アルバムには Orchestra Baobab などで活躍するアルトサックスの Thierno Koite が参加していた(彼は今でも Baobab でプレイしている)。Star Band について調べていくだけで、セネガルの音楽シーンの人の流れや、音楽的な影響関係が見えてきて実に興味深い。みんなどこかで繋がっていたんだなぁ。

(他にも興味深い事実が次々判明しているのだが、今回も長くなったので、後期の5枚のことなど続きは改めて。)






# by desertjazz | 2023-09-19 17:00 | 音 - Africa

Star Band 研究(4)

Star Band 研究(4)_d0010432_16491416.jpg


 気まぐれに数年の間をおいて綴り始めた「Star Band 研究」、前々回(第2回)はファースト・アルバムにクレジットされた Thierno Koite について、前回(第3回)はセカンドにクレジットされた Bala Sidibe についてと、それぞれ後年 Orchestra Baobab などで大活躍する2人に関することを中心に書いてみた。

 その続きで "Vol.3" (IK 3022) と "Vol.4" (IK 3023) を聴いたのだが、これらでリード・ヴォーカルをとる Laba Sosseh、Doudou Sow、Mar Seck、Magette Ddiaye、さらにはファースト (IK 3020) で歌う Papa Seck (Pape Seck) や Papa Fall のバンド在籍時期が気になってまた調べ始めたのだが、案の定今回もドツボにハマってしまった。


Star Band 研究(4)_d0010432_17294534.jpg


 リイシューLP "Star Band de Dakar" (Ostinato OSTLP006) やデクスター・ジョンソンの充実した発掘作 Dexter Johnson & Le Super Star de Dakar "Live a l'Etoile" (Teranga Beat TBLP 019) のライナーノート、Number One のアルバム群、Dexter Johnson や Laba Sosseh のレコードなどをチェックしている間に、ますます分からなくなってきた。とにかく明らかな誤記や矛盾する記述が多すぎるのだ。


Star Band 研究(4)_d0010432_17300371.jpg

Star Band 研究(4)_d0010432_17301813.jpg


 まず Laba Sosseh の在籍期間は他のシンガーたちとは異なるので、リード・ヴォーカリストによって録音時期は違うはず。Laba Sosseh は Star Band が結成された60年かその直後に加入し、62年(?)に脱退し、それから程なく抜けた Dexter Johnson と一緒に Super Star de Dakar を結成。その後2人は袂を分つのだが、69年にはどちらもダカールを離れてアビジャンに拠点を移している。その後 Laba はニューヨークに移動し、ソロ作を相次いでリリースし、Orchestra Aragon と共演し、Africando にもゲストとして呼ばれる、、、というのが彼の簡単な履歴。だとすると、Laba Sosseh が歌う Star Band の録音は 1962年以前となるが、それはあまりに早すぎるように思う。なので70年代初頭に彼は一度ダカールに戻ったのでないかと以前から推測している。実際そのことを匂わせるライナーもいくつか読んだのだが、はっきりと書かれているものはない。あれだけ誰からも嫌われた Miami Club と Star Band のオーナーの Ibrahim Kassé と和解するなり、彼に録音を提供するなりしたということも考えにく。

 関連して書いておくと、Star Band の8枚目以降は Youssou N'Dour がクレジットされているので、1970年代後半の録音と思われがちがだ、それは決定的に間違っている。Mar Seck や Laba Sosseh がクレジットされているからだ。その点 Bellot/Frochot のリイシューCD "Star Band de Dakar feat. Youssou Ndour, Pape Fall, Mar Seck, Laba Sosseh, Alla Seck : 1978-1979" も同じ間違いを犯している(ライナーにはより大きな間違いがある)。

 Ibrahim に対する批判・悪言と言えば、リイシューLP "Star Band de Dakar" のブックレット後半の Yakhya Fall のインタビューも痛烈だ(このライナー前半は、時代背景的な話ばかりで、Star Band に関してはほとんど語られず意味が薄い)。以前にも取り上げた記憶があるのが、途中からほとんど Ibrahim に対する怨念めいた悪口ばかり。もう少し内容を深めたものにできなかったのだろうかと思うのだが、それでも (1) 自分達の音楽は自然と人々から「サルサ・ンバラ Salsa Mbalax」と呼ばれるようになった (2) 自分達が最初にトーキング・ドラム(タマ)とウォロフ語の歌詞を使い始めた (3) ウォロフで最初に歌ったのは Pape Seck だ、といった証言は貴重だろう(このアルバム、Star Band の久々のリイシュー、しかもヴァイナルということで大いに期待したのだけれど、届いてみたら編集方針の不明なわずか6曲のみで、ライナーも読む価値はほぼなし、写真も Pape Seck 時代のものばかり、それなのに Pape Seck が中心だった1枚目と2枚目からの選曲はなしと、全く謎だらけのものだった。残念)

 余談になるが、そのブックレットに掲載されている Yakhya Fall の写真はいい。ちょっとヤバそうな雰囲気と一皮剥けたファッション・センスを感じさせる。きっとモテたんだろうな。彼のワウワウギターもホント良いと思う。Star Band でも Number One でもPape Seck と彼が中心にいたのは当然だろう。

 Yakhya Fall のインタビューは、ある音楽フェスで他のグループたちが会場が準備した良い機材を使っていたのに、Ibrahim は自分達にそれを許可しなかったことにブチ切れて、メンバー揃って Star Band を脱退した話で終わっている。この逸話は相当有名なのか、他のライナーのいくつかでも触れられている。しかし、ひとつは 1972年、ひとつは 1974年1月、あとひとつは 1976年1月と書かれている。一体どれが正しいのだろう。

 1969年(または70年?)に Star Band からの集団脱退によって Orchestra Baobab が誕生したのに続いて、ヴォーカルの Pape Serigne Seck、Maguette N'Diaye、Doudou Sow、Malick Ann、ギターの Yahya Fall などが一気に離脱したのだから大事件だったことだろう(彼らは新バンドを結成し、Star Band Number One/Star Number One/Orchestra Number One de Dakar/Number One du Senegal などと名乗る・・・このようなバンド名の遍歴も掴めていない。今日調べていて、Papa Djiby Ba が Le Sahel から Number One に合流したことも確認できた)。

 事実確認できないことは、Star Band の結成年もそのひとつ。1960年のセネガル独立を記念して結成したと書かれているものが多い一方で、その前年59年とするものもある。しかし今日読んだライナーには Ibrahim Kassé が 1957年に Dexter Johnson を Star Band にスカウトしたと書かれていた。Miami Club には Star Band の前身 Star de Senui が演奏していたらしいのだが、これとゴッチャになっているのだろうか?

 セネガル音楽の 60年代と 70年代は、調べるほどに謎が深まる。だけど、聴いていて楽しい音楽ばかりだし、意外な発見が相次いで驚かされる。黙って音楽を楽しむだけで十分だろうと思う反面、徹底的に調べたい気持ちも持ち続けている。

 Star Band の "Vol.1"〜"Vol.4" を繰り返し聴き、次の Orchestre Laye Thiam ("Vol.5" と "Vol.7")も聴き始めたら、Laye Thiam は 1960年ごろから活動しており、60年中頃には Star Band に在籍していたと書かれていた。さすがにそれはないのでは?? Star Band にまつわる謎は深まるばかり。。。




# by desertjazz | 2023-09-16 17:00 | 音 - Africa

Star Band 研究(3)

Star Band 研究(3)_d0010432_08532156.jpg


 スターバンドのファースト・アルバム (IK 3020) はラテンやアフロキューバンの有名曲のカバーが中心で、長年セネガルの人々が抱いていたキューバ音楽への熱情が反映されているように感じる。それに対してセカンド・アルバム (IK 3021) で印象的なのはタマとトランペットの音だ。ンバラの特徴のひとつとしてタマの打音が挙げられるが、ンバラ誕生の萌芽が70年代前半のスターバンドのサウンドの中にも感じ取れる、そのような見方もできるのかもしれない。ンバラはユッスー・ンドゥールが一人で作り上げたものではないとしばしば言われるが、確かにその通りだろう(ジャケットのデザインはタマを演奏する男で、これはアルバムのサウンドを象徴するデザインだと思う。残念ながらセカンドプレス?では、なんとも酷いイラストに入れ替わってしまったのだが)。

 前回の記事ではファースト・アルバムのクレジットのいい加減さを指摘したが、セカンドも同様である。ファーストの裏ジャケットに記載されているのは8人、セカンドは9人で、そのうち重複しているのは Maguette N'Diaye、Malick Ann、Badou Diallo の3人だけ。いかにメンバーが流動的だったかを読み取ることができそうだが、そう簡単には判断できない。このアルバムでも、セカンドプレスやレコード盤面のクレジットとの食い違いが散見されるからだ。なので割と適当に名前を並べただけのような気もする。

 記載不一致のひとつが "Yene Khaleyeteye" のヴォーカルとして、ファーストプレスの裏ジャケットに名前のない Bala Cidibe がクレジットされていること。これはオーケストラ・バオバブのオリジナル・メンバーのひとり、バラ・シディベ Bala Sidibe のことだと今頃気がついた。声は間違いなくバラ・シディベだが、その歌いぶりは単調でまだまだ未完成と感じる。また、このトラックは他の収録曲とは雰囲気が幾分か異なるように感じる。

 知られている通り、スターバンドはメンバーが少しずつ入れ替わって発展したグループではない。ギャラを渋るオーナーのイブラヒム・カッセと対立したメンバーたちが、一度に大量脱退することを繰り返したと言われる。そのため、クラブ・ミアミに出演するバンドが入れ替わっても、その都度スターバンドと呼んでいたようなのだ。

 アルバムからもそうした事情が読み取れる。"Star Band Vol.5" とみなされている5枚目 (IK 3024) は、Orchestre Laye Thiam の単独盤で、それ以前のアルバムとはメンバーの重複はない。同様に "Vol.6" (IK 3025) は Orchestre Chihk Tall et Idrissa Diope の単独盤(実質的に Le Sahel と同じバンドだ)。そして、"Vol.7" (IK 3026) のA面は Orchestre Laye Thiam、B面は Orchestre Saf Mounadem による録音である。これら3枚のオリジナル・アルバムには元々 Star Band という表記は一切ない。Star Band とタイトル付けされるのは、星形の共通デザインでリイシューされた時である。

 この後の "Vol.8" からラストアルバムの "Vol.12" までの5枚 (IK 3027〜3031) は、そうした代理バンドではない本来のスターバンドに戻る。ヴォーカリストとしては、ユッスー・ンドゥールやラバ・ソッセー Laba Sosseh がクレジットされている。

 長くなったが、スターバンドの初期の4枚と後期の5枚はアルバム単位で考えて作られたものではなく、カッセが録音したものの中から適当に選んでアルバム化したものではないかと類推している(録音場所はいずれもクラブ・ミアミだろう。セカンドの音の響きは明らかにライブハウスのそれであるし、4枚目には一瞬拍手も混じる)。そう考える根拠はクレジットのいい加減さだ。またユッスーとラバ・ソッセーが一緒に活動していたこともあり得ないので、後年のアルバムは様々な時代の録音の寄せ集めだろうと考える("Vol.9" にもユッスーがクレジットされているが、このアルバムのどの曲もユッスーは歌っていないというのは、そもそもおかしいと思う)。

 もうひとつの理由は、同じアルバム中でも曲ごと楽器編成が異なっていたり、サウンドに違いが感じられたりすることだ。その最たる例が、先に取り上げたバラ・シディベがリードヴォーカルの "Yene Khaleyeteye" である。アルバムの他の曲と比べると、歌と演奏の成熟度にも違いが感じられる。

 "Vol.7" の Orchestre Saf Mounadem のメンバーとして、バルテレミ・アティッソ Barthelemy Attisso、Balla Sidibe、メドゥーン・ジャロ Medoune Dilallo、イッサ・シソッコ Isssa Cissoko の4人がクレジットされている。彼らは 1969年までミアミでプレイしていたものの(イッサは 60年代にラバ・ソッセーのグループ Laba Sosseh et son Orchstre Vedettes Band に在籍し、曲によってはアレンジも担当していた。その縁でミアミでプレイするようになったのだろう)、新しく生まれたクラブのバオバブに引き抜かれてカッセの元を離れた。そのためこのレコードはオーケストラ・バオバブのファースト・アルバム(初録音)とも見なされている。しかし、"Yene Khaleyeteye" も同じメンバーで録音がなされた可能性もあるのではないだろうか(ギターの音などからは判断がつきかねるが、後年のバオバブを思わせるサウンドも感じられる)。しかもこちらの方が古い録音だとすれば、これこそバオバブの初録音ということになるのだけれど。実際はどうなのだろうか?


Star Band 研究(3)_d0010432_09381752.jpg

Star Band 研究(3)_d0010432_09384587.jpg
(Angouleme, France 2003)


 さて、3枚目と4枚目では、タマに加えてワウワウギターやトランペットが活躍し、よりンバラのサウンドに近づいた印象を受ける。そうした続きの話はまたいつか改めて。


#
#
#




# by desertjazz | 2023-09-15 10:00 | 音 - Africa

DJ

by desertjazz
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31