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■ Music of Bushman - 17 : Records of Bushman (10) ■


◆ 1970年代のボツワナにおける貴重な録音

"Musiques & Traditions du Monde : Pygmées & Bochimans"(CBS 80212、1976)

 これまでにリリースされたブッシュマン(サン)のレコードのうち、入手できず長年探していた最後の1枚を遂に手に入れた。これは中村とうよう『アフリカの音が聞こえてくる』(ミュージック・マガジン、1984)の「ピグミーたち」の項で紹介されている(P.170/171)のを目にして以来、40年間一度も見たことがなかったレコードである。それをたまたま見つけることができたのだが、幸運なことに何とジャケットもレコードもピッカピカの超ミント。おそらく数回しかレコードに針を落としていないのではないだろうか?

 このレコードは変則的な構成になっている。A面の全部とB面最初の1トラックが、ガボンのバカ・ピグミー Baka Pygmy の録音で、B面の残り6トラックがボツワナのブッシュマンの録音である(だから『アフリカの音が聞こえてくる』のピグミーのところで取り上げられていた)。

 困ったことに、録音内容に関する情報が非常に少ない。まず録音年なのだが、バカ・ピグミーの録音が 1973年2月で、レコードのリリースが 1976年であることから、ブッシュマンの録音も 1970年代前半だろうと推測される。次に録音場所についてなのだが、最初の4トラックがクン(!Kung)・ブッシュマンのものと書かれているので、これらはボツワナの北西部、ナミビア国境に近い地域で録られた可能性が高い(クンの多くはボツワナ北西部とナミビア北東部で暮らしている。'Lone Tree' のそばとも書かれているが、オカバンゴ地帯には昔から、ポツンと1本だけ立っているためにそう呼ばれる木がある)。最後の2トラックは Mabebé での録音と記されている。地図でその場所を確認すると、ボツワナ北部のほぼ中央、オカバンゴ・デルタの東の端あたりだったので、これらもクンの音楽だろうと思う。

 このアルバムのブッシュマンの録音を行ったのは、フランスの Hubert de Fraysseix という人物。彼は Research director at CNRS and director of the Musiques & Traditions du Mondecollection とのこと(CNRS : The Centre National de la Recherche Scientifique / National Center for Scientific Research)。どうもフランスの公的機関?によるリサーチで録音されたもののようだが、どういった目的でなされたのだろう。

 各トラックとも「小さなアンサンブル」「大きなアンサンブル」「男性デュオ」「闘い」「女性の小さなアンサンブル」といった具合に、各パフォーマンスに加わった人たちの規模を示すだけで、具体的な曲名、音楽の主題や内容などには全く触れていない。そのことから想像すると、これは元来レコード化を目的とした録音ではなかったとも考えられる。それでも録音状態はいい。


 収録トラックは次の通り。

 Musique Des Bochimans !Kung Du Botswana

  B2) Petit Ensemble 3:10
  B3) Grand Ensemble 4:30
  B4) Duo D'Hommes 1:48
  B5) Combat 2:35

 Musique Des Bochimans De La Région Mababè

  B6) Petit Ensemble De Femmes 3:05
  B7) Petit Ensemble De Femmes 3:40

 B2 は女性たちによるコーラスとハンドクラップ(手拍子)。参加しているのは4〜5人くらいだろうか。こうした類の音楽は、どのブッシュマンでも女性だけで行われる(男の咳払いが聞こえるが、参加はしていないと思う)。その歌い方は、特に歌詞のないヨーデル風である。ピグミーのポリフォニーコーラスと同様、ユニゾンのコーラスではなく、一人ひとりが異なるメロディーを口ずさむためとても複雑な響きで、それがモワレ状に広がっていくところが魅力的だ。輪唱的な特徴も感じられ、アイヌの女性コーラスのウポポ(あるいはウコウク)を連想させもする。
 ハンドクラップは基本4拍子だが、全員がジャストなビートを打つのではなく、一人が裏打ちを入れることで複雑なものにしている。最後、全員同じタイミングでハンドクラップを止めて突然終わる。ブッシュマンのコーラスとハンドクラップを聴く度に、どのようなきっかけで息を合わせて終わるのか不思議なのだが、音を聴いただけではその仕組みがよくわからない。

 B3 は典型的なヒーリング・ダンスだろう。ブッシュマンの集落では、時々住民が全員参加して夜通しヒーリング・ダンスが行われていた(現在も継承されているかは不明)。ヒーリング・ダンスでもコーラスとハンドクラップは全員女性である。彼女たちは焚き火を囲んで車座になり、手を打ち鳴らして歌い続ける。
 これは4拍子のリズムで、B2 よりもテンポがかなり速い。ハンドクラップはほぼ全員同じパターンだが、コーラスは皆バラバラのタイミングで異なるフレーズを口ずさんでいる。また、コーラスとは別に一人の女性が時々全く別の叫び声を上げている。
 そうした女性たちの周囲を、男たちが力強くステップを踏みながら回り続ける。一人吠えるような声を発しているのは、病人に対してヒーリングを施すヒーラーである(途中から別の男の叫びも加わって賑やかだ)。テンポは途中から幾分ゆっくりになっていき、最後、ハンドクラップがダブルカウントになってピタリと終わるところが実に見事だ。
 ヒーリング・ダンスはブッシュマンたちにとって最高の楽しみだという。数分間コーラスとダンスで盛り上がり、その後ひと休みしながらの賑やかな談笑の時間に。それらを交互に繰り返しながら、ヒーリング・ダンスは明け方まで続けられる。

 B4 は男性2人の歌で、互いにほとんど異なるメロディーを別々のタイミングで口ずさんでいる(時々全く同じにもなる)。こうした歌は記憶になく、かなり珍しいのではないだろうか。2人とも「ウォー」「ウェー」などと発声しているが、その言葉には特に意味はなさそう。なんとものどかな雰囲気の歌だ。

 B5 は「闘い」と題されており、数人の男たちが短い叫びを交わし合っている。まるで野獣が牙を向いて吠えているようで、これはライオンのような猛獣たちの戦いを模しているのかもしれない。歌というより、武道か何かで気合を入れる声、あるいは狩猟の時に獣を追い立てる声を聞いているようでもある。ハンドクラップが聞こえるので(4拍だが最後の4拍目は休止している)、女性たちも参加しているのだろう。この類の録音も他では聴いた記憶がない。

 B6 は、女性たちのコーラスとハンドクラップ。ハンドクラップはハチロクのリズムを生んでおり、全員一緒のタイミングで打っているように聞こえるが、よく聴くと一人が裏打ちを入れており、それが変化を生み出している。

 B7 も B6 と同じメンバーによるものだろう。全部で5人くらいだろうか。今度は4拍子のリズムだ。一人が口ずさむフレーズに対して、他の女性たちが同じフレーズを返しており、コール&レスポンスのようになっている。B6 と B7 はステレオ感のある録音のため、各人の歌の特徴が捉えやすい。


 レコードやストリーミングで聴くことのできるブッシュマンの録音は元々少なく、1970年代のものに限れば他にないはず。そうした観点からは、このアルバムの録音は貴重な記録と言えるだろう。短めの録音が6つだけというのは物足りなくもあるが、ブッシュマンのヴォーカル音楽の典型をいくつか紹介しており、それらの多様性も感じられて面白い。

 アフリカ狩猟採集民の音楽といえば、まずピグミーのものが有名だが、ブッシュマンの音楽も同様に素晴らしい(両者に共通点の多いことも興味深い)。なので、ブッシュマンの音楽ももっと広く知られてほしい。このレコードの音源はインターネット上で公開されていないだろうか?


 なお、アルバムのジャケットは表も裏もブッシュマンのものである。また、ブックレットにもブッシュマンの子供たちを写した写真が1枚大きく掲載されている。


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 これで、ブッシュマンに関しては、オフィシャルにリリースされた録音を全て聴くことができた。第4回で取り上げた "Instrumental Music Of The Kalahari San" (Folkways Records FE 4315, 1982) だけはまだ未入手なのだが(マーケットには1枚出ているが、4万円!)、この音源はネットで聴けるし、私の関心の中心はヒーリング・コーラスと親指ピアノ(デング)であ理、求めていた音源が全て手元に揃ったので、これで一区切りつけて次に進めるだろう。


(ピグミーに関するオフィシャルな音源も多分全て?入手できたはず。ブッシュマンの次にはピグミーの全録音を整理したいと考えているのだけれど、ピグミーはムブティ、エフェ、アカ、バカと4つに分類されるなど種類が多く、またリリースされたレコードも相当数あるので、ブッシュマンと比べるとずっと難しそうだ。)








# by desertjazz | 2024-09-06 19:00 | Sound - Bushman/San

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 中村隆之『環大西洋政治詩学 二〇世紀ブラック・カルチャーの水脈』(人文書院、2022)読了。

 中村隆之さんの書かれたものをここ最近よく読んでおり、この本もたっぷり楽しめた。全編書き下ろしだろうと思って手にしたところオムニバスだったのだが、それでも時期の離れた原稿がうまく並べられて構成されていて、流れがとてもいい。マルティニック(マルティニーク)島やグアドループ島の黒人たちの、植民地状況への抵抗、それを支える思想などについて理解しながら、5日間で読み通してしまった(ゆっくり読もうと思っていたのにも関わらず、先が気になってしまって)。


 今年はアフリカとカリブ海の歴史や思想について学び直そうと考えて、中村達『私が私が諸島である カリブ海思想入門』(書肆侃侃房、2023)、マリーズ・コンデ『生命の樹 あるカリブの家系の物語』(平凡社、2019)、山口昌男『アフリカ史』(講談社、2023)、河野哲也『アフリカ哲学全史』(ちくま新書、2024)などを読んでみた(昨年は復刻したマンゴ・パーク『ニジェール探検行』なども)。『環大西洋政治詩学 二〇世紀ブラック・カルチャーの水脈』も、そうした流れで選んだ1冊である。

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 『アフリカ哲学全史』や『環大西洋政治詩学』を読むことで、レオポール・セダール・サンゴール、エメ・セゼール、フランツ・ファノン、エドゥアール・グリッサンなど名前は知っているものの、きちんと理解していなかった重要人物たちに関して頭の整理をできたことは大きい(それにしても、マルティニックという小さな島から偉大な作家や優れたミュージシャンが相次いで登場したのはどうしてなのだろう)。

 ネグリチュードがフランスに集ったフランス植民地の若者たちが打ち立てた概念であることもあって、従来より、そうした仏語圏の詩人・作家や政治家に関する研究が先行している観がある。そうしたことを指摘しつつ、英語圏カリブ文学を研究し、英語圏カリブのフランス語圏に劣らない重要性、歴史や現状について著した『私が私が諸島である』は興味深い。ただ、常に仏語圏の研究を参照点としながらも、英語圏の特殊性が何かというところまで捉えきれていない印象を受けた(フランス語圏とは異なり、カリブの英語圏の島々には労働力を補うためにインド人が多数移民していることをこれを読んで知った。読後時間が経っており、著者の中村達さんは最近各所で評価されているようなので、この本は再読すべきだろう)。

 もう一人の中村さんのことに話を戻そう。フランス語文学や音楽を含めたアフリカ文化などを専門に研究されている中村隆之さんの存在に気がついたのは(遅ればせながら)約2年前。アラン・マバンク『アフリカ文学講義 植民地文学から世界 - 文学へ』の翻訳やオレリア・ミシェル『黒人と白人の世界史ー「人種」はいかにつくられてきたか』の解説を読んで、良い仕事をされていると感じたのだった。それで、結構な数出ている彼の著書を少しずつ読んでいるところだ。

 しかし、中村さんへの興味の契機となったのは、なんと言っても彼があるフランスの歌手について著した『魂の形式 コレット・マニー論』だった。細田成嗣さんが編集された『AA 五十年後のアルバート・アイラー』に圧倒されて以来、カンパニー社の本はほぼ全て読んでいるのだが、この『魂の形式』はどうするか正直しばらく迷った。コレット・マニーなる歌手は全く知らなかったので。ところが読んでみたら、これが圧倒的に面白かった(フランスのジャズ界との関係なども初めて知る興味深いことばかり)。実はこの頃はまだ、アフリカやカリブの研究者である中村氏と同一人物だとは気がついていなかったのだが。

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 そして、岩波書店の『世界』(2023年8月〜2024年1月)で連載された「ブラック・ミュージックの魂を求めて」を読んで中村さんへの興味が決定づけられた。アフリカから奴隷として連れ去られた人々が、アメリカやカリブでどのように音楽を支えとして生きてきたか、それが現代の音楽までどのように通じているのか。全6回という長くないテキスト量に、音楽を主軸とした広い世界観と長い歴史観が見事に描かれていたのだった。

 中村隆之さんの著作に惹かれる理由は、視点の興味深さ、研究の精緻さ、論考の深さなどに圧倒されるからだ。可能な限りあらゆる資料に目を通し、作品を読み/聴き、対象とする人物に、まるで旧知の仲であるかのように肉薄する。そのレベルが尋常じゃないのだ(振り返ると、グリッサンやフォークナーへの迫り方は、コレット・マニーの時も一緒だ)。そうした内容もさることながら、文章の読みやすさにも感心してさせられる。加えて、文章に間違いがなく、誤植やケアレスミスもほとんどない。一体どれだけ時間をかけて丁寧に書かれているのだろう。

(・・・余談になるが、最近専門書を読んでいてスムーズに進まないことが多い。内容を十分に理解できないことは自分の責任だとしても、何度読み返しても意味が掴めない文章、明らかに日本語としておかしな文章、延々同じ語尾を繰り返してリズムの悪い文章、極端に長い一文、基本的事項の誤り、読点の位置が悪い、助詞が間違っているなどして正しい意味を掴むのに苦労する文章、そうしたものがとても目に付く。そうした本に限ってケアレスミスも多い。最近は編集者は校正までしないのだろうか? 例えば中村とうようさんや、友人の作家たちは、内容の深いものをとても読みやすく書く。こうしたスキルは結構重要なのではないだろうか。)

 河野哲也『アフリカ哲学全史』と『環大西洋政治詩学 二〇世紀ブラック・カルチャーの水脈』はどちらもクロード・マッケイを重要人物として挙げている。やはり彼の代表作『バンジョー』くらいは読んでおかなくてはいけないか。
 昔マッシリア・サウンド・システム Massilia Sound System のリーダーのタトゥー Tatou がムッスーT Moussu T e Lei Jovents を結成した直後、マッシリアとは別のグループを始めた理由をタトゥー本人に直接尋ねたことがある。それに対して彼は、クロード・マッケイの『バンジョー』を読んで、かつてマルセイユの港にはアメリカやカリブから来た黒人の船乗りがいて、彼らがバンジョーで奏でるオペレッタなどがあることを知った。そこからムッスーTを着想したのだと語ってくれた。それでマッシリア・サウンド・システムのギタリストのブルー Blu がバンジョーを弾き始めたのだった。
 だが、『バンジョー』は訛った英語で会話がなされるので、英語が不得手な自分には少々手強く、一向に進まない。いつか日本語訳が出ることを期待しているのだが(訳しにくいし、売れないだろうな)。

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 『環大西洋政治詩学 二〇世紀ブラック・カルチャーの水脈』は装丁の美しさも魅力である。しばらく前に読もうと思い実際の本を探したのだが、図書館にも近所のどの書店にもなかった。高いので迷ったが、結局内容を確認せずに買ってみたら、これが正解。この本に限らず、『第二世界のカルトグラフィ』(共和国、2022)などもデザインと装丁がよく、それだけで手元に置いていて嬉しくなる。

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 さて、『環大西洋政治詩学 二〇世紀ブラック・カルチャーの水脈』を読んで、グリッサンやシャモワゾーも読みたくなったものの、そのような時間は取れるのだろうか。ところが、書棚には 1995年に翻訳されたパトリック・シャモワゾー+ラファエル・コンフィアン『クレオールとは何か』(平凡社、1995)が並んでいた。1990年代初頭には、マラヴォワ Malavoi やカリ Kali の音楽を熱心に聴き、いつかマルチニックやグアドループを訪ねてみたいと考えながら、このような本も読んだのだった。しかし、「エピローグ フランス海外県ゼネストの史的背景と<高度必需>の思想」を読んで、カリブの美しい楽園というイメージが生やさしすぎることを痛感させられた(東琢磨『全--世界音楽論』の書名はグリッサンを真似たものだと気がついたりも。このことは著者自身が「はじめに」に書いていた)。

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 ところで、専門家でも研究者でもない私がこうした類の書物を読むことに意味があるのだろうか。あくまで個人的趣味、知的好奇心を満たす楽しみで十分だと思っている。だが、アフリカやカリブの音楽を聴く上での心構えとして、こうした知識は持っていた方がいいと思う。そして、それらは意外なところで結びつき合い、新たな視点も与えてくれる(実際、レコードの解説や雑誌の原稿を書く際に生きてくる)。

 『環大西洋政治詩学 二〇世紀ブラック・カルチャーの水脈』で、植民地政策が人種差別を生み出したこと、差別する者がそれを意識していないことを繰り返し解説している。そして、それと全く同様な構図が日本にも当てはまること、それが今の日本におけるヘイトスピーチ/弱者への差別を生み出していることを認識させられた。

 続いて、石田昌隆さんの新刊『ストラグル STRUGGLE - Reggea meets Punk in the UK』(TypeSlowly、2024)を読んだ(石田さんの本は毎度面白く、今回も一気読み)。英語圏カリブ(ジャマイカなど)とUKとの関係が、仏語圏カリブとフランスとの関係と、植民/被植民という観点から捉えるとそっくりだと感じた。その本の「Chapter 1 ウィンドラッシュ世代の移民 UKにおけるレゲエとパンクの出会い」は、最後に The Special AKA の「傑作」"In The Studio" の中の1曲 'Racist Friend' の一節を取り上げている。

 「あなたの友人が人種差別主義者なら縁を切れ」

 そういうことなのだ。人種差別は他人事ではなく、無自覚であってはいけない。そのことを心に刻み、自身の行動を考える上でも、「読んで考える」必要があるのだと思う。

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 中村達さんは『私が諸島である カリブ海思想入門』の終盤で、先代の作家や学者には、ジェンダーやフェミニズムやクィアに関する視点が欠けているという批判の高まりについて書かれている。中村隆之さんも、ジェンダーやセクシュアリティの視点の不十分さについて、反省を込めて指摘されている。最近そのような潮流があるのだろうか。しかし、あらゆる研究も前世代からの積み重ねによって進む物であり、最初から一気に全てを網羅するようなものなどあり得ない。なので、そのような批判にこそ無理があるようにも感じた。
 だが、それを許してしまうと、無意識的に植民地化/奴隷化を行っていた人々に対しても「そうした時代だった」と前時代性を理由に許容してしまうことにもなりかねない。そのことを深く認識しているからこそ、2人の中村さんには、前向きな反省と自己批判があるようにも思った。


##


(考えてみると、カリブーフランス、カリブーUKという関係性は、マグレブーフランスとの関係性とも共通する点が多い。特にかつての植民地アルジェリアとの関係においてそれは顕著で、私が1995年〜96年にマルセイユに移民問題の取材で滞在した時にも「対立」が顕著だった。その時を含めてマルセイユに都合9回通っているのも、マグレブ移民社会の定点観測やオクシタン/カタルーニャ問題への関心が少なからずあるからだ。今年7月に久しぶりにマルセイユを歩いた時にも、そうしたことを意識した。
 ところが、今回マルセイユで様々な人たちと語り合った中で最も印象に残ったのは、トルコによる虐殺からマルセイユに逃れてきたアルメニア移民と、1970年代に彼らが起こした凄惨なテロに関する話だった。ニューヨークに渡ったアルメニア移民の生み出した豊かな音楽、2011年に旅したマレーシアのペナン島のアルメニアン・ストリート、そして 2018年に旅したアルメニアの首都エレバンから見上げた(トルコに奪われた)聖なる高山アララトを思い出したながら、重い話を伺ったのだった。そのようなことは、また別の機会に。)







# by desertjazz | 2024-09-02 14:00 | Book - Readings

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◆1◆ Nakibembe Embaire Group - Live in Tokyo


 ウガンダの巨大な木琴を演奏する6人組、ナキベンベ・エンバイレ・グループ Nakibembe Embaire Group は、昨年 Nyege Nyege Tapes からリリースされたアルバムを聴いて、一発で気に入ってしまった。ナキベンベ・エンバイレ・グループと彼らのアルバムについては、以前このブログでも紹介した。


 そのナキベンベ・エンバイレ・グループがまさかの来日! これは絶対生音を体験すべきと確信して、7/20 代官山UNIT のライブを観てきた。そこで体感した音楽は、レコードで聴いた印象以上の素晴らしさで、期待や予想を遥かに超えていた(今回の来日公演、佐渡島と代官山の2回だけなので、彼らが出演する佐渡島のフェス「アース・セレブレーション 2024」にも行こうとしたが、宿もチケットも取れなかった。無念)。

 誰もが衝撃を受け、大興奮したステージ。周囲や SNS では「とんでもないものを観た」「一生の思い出」「今年最高」「生涯最高」といった感想が飛び交っている。個人的にも近年観た中でベストライブのひとつだった。そんな代官山公演について、忘れないうちにメモしておこう。

(ライブでは音楽に集中したいので、近頃は写真やビデオは全くあるいはほとんど撮りません。先月のマルセイユで観た Massilia Sound System は例外ですが。そのためライブ当日の写真は iPhone でメモ程度に撮った数枚のみです。悪しからず。オフィシャルのビデオカメラも入っていたので、後日公開されることに期待しましょう。)


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・ナキベンベ・エンバイレ・グループは、ウガンダ東部ブソガ王国の小村ナキベンベで、エンバイレという失われつつある木琴(シロフォン/ザイロフォン)を演奏するグループ。

・ウガンダの巨大な木琴を6人で演奏するだけの、言ってみれば民族音楽的なライブなのに、なんと前売り券が完売。客層は結構若めで、ワールド系ライブの常連さんの姿はほとんど見かけず。一体何が起きているのか? Nyege Nyege Tapes のレコードを買っている人などほとんどいないだろうし。みなさん、どこから情報を得ているのだろう?

(主催したのが FLUE なので、それ経由で情報を掴んだ人や、FLUE のフェスが気に入っている人が集まったのだろうか? Nyege Nyege Tapes の作品には、ジャンク感があり、正直物足りないものも多く、ヴァイナルとデジタルDLが中心で CDを制作していないこともあって日本にはあまり入ってきていない。そうしたことから、ワールドミュージック愛好家などまでには情報が届いていなかったのかもしれない。)


・対バンの日本人グループの演奏が終わった後、巨大な木琴エンバイレが客席に対して垂直方向にセットされる。彼らは腰掛けて演奏するので、フロアからは楽器がよく見えない。その分、上方から撮影した映像をステージの背景に映し出してた。これは良い工夫だ。

・20時にライブがスタート。幾度となく観たベルリンのライブ映像(下記のリンク)と同様、一人ずつ順番にステージに登場して、自分が担当するビートを打ち始める。一番手は最低音部を担当する男(ウガンダの木琴は音の高い方から番号づけするとのことなので、6人をA〜Fと名付け、低音部担当の彼をFと呼ぶことにする)で、右手に持ったスティックで一番音の低い音板をゆっくりとしたシングルトーンで打ち始める。

(*)彼らが使うのは、西アフリカなどでよく見られるような、先にゴムを巻きつけたマレットではなく、シンプルな棒切れなので、スティックと呼ぶ方が良いだろう。奏者たちは楽器の左右に3人ずつ対面して腰掛けるため、音板の中央を打つのではなく、音板の端の角を叩いていた。)


・続いて高音部を担当するBが登場し、オクターブ間隔の2つの音板を両手で打つ。3番手のCはBの向かいに腰掛け、Bと同様にオクターブ間隔の2枚を打つ(ベルリンでは、BとCの登場順は逆だった)。3人の打ち出す力強いビートは至ってシンプルなパターンで、曲の基調をなすベースラインを提示している。そこに若干のタメが加わって、グルーブが生まれ始める。

・この後、A、D、Fが順に出てきて、基本パターンのビートに別のビートを加えて次第に複雑になっていく。6人ともこれでもかというくらいにスティックを激しく振り下ろし、音板に叩きつける。この時点で、もうリズム構造が全く掴めない。そこにBがちょっとしたアクセントを加えると、アンサンブル全体も別のリズムパターンにシフト。そうしたことを繰り返しながらどんどんビートを速めていき、仕舞いには怒涛の超高速な連打で猛烈なグルーヴ。もの凄いテンションだ。20分近くに及ぶこのオープニング曲は、彼らの音楽構造を理解させる上でとても効果的だった。オーディエンスはもう大興奮・大熱狂で、周囲の人たちは叫び狂っていた。

・最後に登場したEはヘッドセットマイクをつけて、彼だけは歌も担当(他のメンバーも歌っていたが、マイクはなし)。小柄な彼はグループのリーダーのようだった。

・演奏曲はいずれも超高速。基本はハチロクのポリリズムで、その間、2拍/4拍を強く感じたり、3拍が浮き上がってきたりした。うねるように変化し続けるトランシーで超高速なビートの嵐がエクスタシーを誘う。
(後で調べたところ、ウガンダの王宮で演奏される木琴のスピードは 500〜600bpmだと書かれていた。この点については後述。)

・快感をもたらしたのには重低音の役割も大きい。前方の3人が両手にスティックを持って演奏していたのに対して、後方の3人、D、E、Fはスティックを握るのは片手だけで、もう一方の掌では音板を叩いていた。これで低いビートを生み出していたのだろう(ミュート、あるいは音板が跳ね上がるのを止めているようにも見えたが)。特にFは最低音の音板を握り拳で叩きつけて、超重低音を響かせていた。

・メンバー6人ともいい顔をしていたのも印象的だった。これだけ演奏し続けたのに、全く汗をかいていなかったのは不思議。いや、最低音域担当のFだけは汗で全身ずぶ濡れだった。左手を最低音のキー(木片)に叩き続けるのには、相当体力がいるのだろう。

・6人がひとつの楽器を囲む様子を眺めていて、昔どこかで見た光景に似ていることを思い出した。1996年のウガンダだ。音楽することの喜びに溢れる雰囲気が、記憶の奥から蘇ってきた。



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・演奏を観ていて、昔バリ島ヌガラ村のスウェントラさんのお宅で、巨竹ガムランのジェゴグ、スアール・アグン Suar Agung を体感した夜を思い出した。木材と竹という音板の素材の違いはあるが、響きはよく似ている。ヒュー・トレイシーによるアフリカ録音の数々も思い出す(ヒュー・トレイシーはブガンダ王宮の木琴も録音しているので、それは当然か)。一瞬ギアを高める時の高揚感は、ジェゴグでバトルする左右2チームが入れ替わる瞬間にそっくりだ。

・しかし、ジャストなタイミングでシンクロ進行する民族楽器アンサンブルや(ステーブ・ライヒも)、1対の楽器の共鳴が肝のジェゴグの乱れのない端正さと比較すると、ナキベンベはずっとワイルド/野生的で、より自由度(アドリブ性)がある。1曲目について書いたのと同様に、どの曲でも一人が一瞬タッチを変えるとそれだけで全体がその方向に動いていき、それが延々繰り返される面白さがあった。そのため、無限ループとはならないから、トランシーなのにトランスには落ちない(ジェゴグとの比較で言えば、長さ4mもの1対の巨竹の共鳴が生み出す独特な唸りはないものの、ナキベンベの地鳴りのような重低音にも痺れた)。


・このライブはとにかく音が良かった。前半は最前方右側で観ていたのだが、PA を聴いている印象は皆無。かと言って生音を聴いている感覚もなく、これは不思議だった。マイクはトップに SM-57?を5本。あれだけ重低音が出ていたので、木琴の下にバウンダリーマイクかコンタクトマイクもいくつかセットしていたのだろう。ヴォーカルは一人ヘッドセットをしているだけなのに、厚みある声でユニゾンのコーラスを聴いているかのようで、音処理の旨さと地声の強さを感じた。こうしたサウンドの良さがあったために、なおさら音楽に没入できたのだと思う。


・MCも軽い挨拶程度で、全く無駄なく進むステージ、本編は65分ほどで終了。その後アンコールに応えて1曲演奏したが、それでも短い(個人的には大満足でもう十分だったが)。2度目のアンコールに応えてお辞儀だけしてステージを後に。場内には BGM が流れて、ステージは撤収ムード。・・・と思ったら、客が3割くらい去った頃にメンバー6人が戻ってきて位置に着く。なんだ? なんだ? まだ演るのか??

・ここからは PA 担当のウッチー(内田直之さん)の見せ場。エフェクトかけまくりで、トランシーなサウンドに溢れる完全クラブ仕様。演奏もシンプルなパッセージが多くて、エフェクトが効果的。この2部?も最高だった!

・22時、そろそろ終わりだろうと思って会場を後にしたが、場内はまだまだ大盛り上がりで、このままオールナイトでも行けそうな雰囲気だった。ウッチーと組ませるというのは誰の発案だったのだろう? Good Job !!(それにしても、どんな事前打ち合わせをしていたんだ? 演奏時間を間違ったのだろうか?)

・近くで観ていた若いお客さんが「昔のワールドミュージックのライブってこんな感じだったのかしら。やっと観られた」と語っていた言葉も印象に残った。

・昔(1996年)ウガンダを旅している時、民族楽器とそれらの演奏をあれこれ目にしたが、太鼓も親指ピアノも他のアフリカでは見ないくらい大きなものだった。ウガンダの民族楽器の肥大さには何か傾向や理由があるのだろうか? ちょっと興味が湧いてきたので、資料に当たって調べてみよう。


・着目していたグループのこれほどまでに素晴らしいライブを、まさかの日本で体感できるとは。関係者の皆さんに大感謝! 長々と綴ったけれど、とにかくこの超高速で複雑なグルーヴ、爆音かつ重低音が生み出す迫力と快楽は、生で聴かないと絶対分からないだろう。いくら言葉を重ねても伝わらないと思う。なので、再来日に大いに期待しています!


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(参考)東京公演の1曲目をフルに撮影した方がいました。



♪♪


◆2◆ Music and Instruments in Uganda


 ナキベンベ・エンバイレ・グループ Nakibembe Embaire Group の音楽をもっと理解したくて、次の6冊のウガンダ音楽と木琴に関する部分を読んでみた。その結果、色々分かってきたので、少し整理しておこう。

・ゲルハルト・クービック『人間と音楽の歴史 東アフリカ』(音楽之友社、1986)
・Richard Nzita & Mbaga - Niwampa "Peoples and Cultures of Uganda"(Fountation Publishres、1993)
・"Guide to The National Museum of Uganda (Kanpala)"
・Michael Baird "Hugh Tracey Recording Series - Royal Court Music from Uganda" のライナーノート
・中村とうよう『アフリカの音が聞こえてくる』(ミュージック・マガジン、1984)
・小泉文夫『呼吸する民族音楽』(青土社、1983)

(3冊目はカンパラにあるウガンダ国立博物館のパンフレット。昔ここでウガンダの民族楽器を見てきた。)


Nakibembe Embaire Group from Uganda_d0010432_20405594.jpg



 ゲルハルト・クービックの『人間と音楽の歴史 東アフリカ』には、現在ウガンダの首都であるカンパラを中心とするブガンダ Buganda 王国(ガンダ人の国)とその東隣のブソガ Busoga 王国(ソガ人の国)の宮廷音楽について書かれている。少々古い資料ではあるが(原著は 1982年)、とても参考になる。

(現在のウガンダの最東域、ビクトリア湖につながるナイル川を挟んでブガンダと隣り合うブソガ王国は、現在も形式的には王国(立憲君主制国家)を維持している。またブソガはかつてはブガンダ王国の支配下にあった。ブソガの王都はジンジャ Jinja で、Nyege Nyege Tapes の拠点はここにある。)

・ブガンダの木琴はアマディンダ Amadinda とアカディンダ Akadinda の2種類。ブソガの木琴はエンバイレ Embaire。アマディンダの音板は12枚、アカディンダは17枚か22枚、エンバイレは普通15枚。

・アマディンダは3人で、アカディンダとエンバイレは6人で演奏する(ナキベンベ・エンバイレ・グループのアルバム解説によると「最大8人」)。ドラムを伴うことも一般的。

・ブガンダの2種類の木琴のうち、17音板のアカディンダは、かつて王宮外での演奏は禁じられており、一部の庶民にとっては「知られざる楽器」だった。その後王宮以外でも演奏されるようになり、アマディンダ、エンターラなどと呼ばれるようになった。

(*)クービックの本には、「アカディンダはアマディンダよりも古いと考えられている」と書かれている。つまり、アカディンダが王宮の外に出た時に、音板の数が減ったということだろうか? ちなみにクービックの本には19世紀末に撮影されたと考えられるアマディンダの写真が掲載されており、これがブガンダの木琴を写した最古の写真だとのこと)。

・ブガンダのアカディンダはブソガのエンバイレからも影響を受けているようだ(なので、『人間と音楽の歴史 東アフリカ』はブガンダの音楽について中心的に書かれているが、そこで触れられている特徴の多くはエンバイレについても当てはまると考えて良いだろう)。

・アマディンダとエンバイレの「作曲技法」は、「等間隔の2つの音列を平行8度でかみ合せる技法」。このような木琴はアフリカでは他にはカメルーン中央部(ヴテ Vute 族)だけだという(エンバイレを見て、対面で演奏することも、音板の下に瓢箪の共鳴器がないことも珍しいと思ったが、実際その通りのようだ)。

・ブガンダ王宮の宮廷音楽はしっかり作曲されたもので、それらは口伝で受け継がれてきた。音律は「約240セントの標準値を持つ等分5音音階」である。また最低部の2音と最高部の2音は、それぞれ1セットとして捉えられていたとのことだ。

(*)このことから、アマディンダの場合、最高部の2枚に2オクターブ分の10枚を足して、音板の合計は12。アカディンダは、2+15 または 2+20 で、17枚ないしは 22枚なのだろう。ナキベンベ・エンバイレ・グループのアルバム解説によると、エンバイレの音板は 15〜25枚とのことだが、彼らが使用しているエンバイレは 21枚だった。彼らの場合、音階両端の2音をひと組と捉えている感じはしなかったので、4オクターブの音域を 1+20 の 21枚の音板によって構成していると考えられる。

(*)ナキベンベ・エンバイレ・グループのライブでは、ステージから向かって左手最前方のBが、両腕を平行にして、音板4枚を挟むその外の2枚を打つことで基本ビートを維持していたことからも、エンバイレが「等分5音音階」であることが見て取れた。等分5音音階はバリのスレンドロ音階と一緒。昨年ナキベンベを初めて聴いた時、バリのアンクルンを連想したのはズバリ正解だった! ライブを観てバリ島のジェゴグを連想したのも自然なことだったし、彼らのアルバムのトラックにガムランがミックスされたことも有意味かつ慧眼だった。

・3人で演奏するアマディンダにおいて、低域を受け持つ2人が対面演奏して基本ビートを刻み、残りの一人がアクセント的なビートを加える。

(*)ナキベンベ・エンバイレ・グループは低音側の奏者の方が自在に演奏しており、アマディンダとは逆だと思ったのだが、エンバイレの低音側の3人を外すと、まさにアマディンダのスタイルになる。つまりアマディンダは(エンバイレに由来する)アカディンダを高音側半分だけにしたような楽器なのではないだろうか?

・「アマディンダとアカディンダの曲の速度は、基本拍500-600 M.M. で、相当に速い」(ウガンダの木琴演奏は昔から超高速だったのだ。何と 54拍という採譜例も掲載されている)。

・「向かいあって座り、インターロッキング技法で2つの基本音列(等時価の音符)をかみ合せて打奏する」(←原文ママ)2人は、あくまで自分のビートを刻んでいる感覚で、相手のビートに合せる/入れ込んでいるとは意識していない。また(交互に打って同音が続いても?)シンコペーションは感じないのだという。

(*)研究書によると、エンバイレやアカディンダは宮廷内で演奏される楽器で、元来精密に作曲された曲を演奏したようだが、ナキベンベ・エンバイレ・グループの演奏は、そこにどの程度、新たなアレンジや即興性を加えているのかについて興味を抱いた。彼らへのインタビューなどはなされていないのだろうか?




 ところで、ウガンダの音楽と木琴はインドネシアから影響を受けているという説がかつて唱えられ、A.M. Jones も 1964年の著書 "Africa and Indonesia: The Evidence of the Xylophone and Other Musical and Cultural Factors" の中で書いているそうだ(これは持っていない。買っておけば良かった)。このことは、中村とうようさんも『アフリカの音が聞こえてくる』の中で言及している(P.53〜)。マレー/インドネシアからアフリカへの影響は様々な形で及んでいるようで、とうようさんはそれはマダガスカル経由だったのではないかと推測している。

 先日、マダガスカルで撮影された映画『ヴァタ 〜箱あるいは体〜』について、インドネシアからの影響も交えて書いたが、アフリカとインドネシアとの関連性は興味深い(ウガンダの木琴のルーツがインドネシアだとするのには流石に無理を感じるが)。




 さて、ナキベンベの地元、王都ジンジャで毎年開催される Nyege Nyege Music Festival、今年の日程が発表になりましたね。ナキベンベは今年も演奏するのかな? ウガンダは飯も超美味いのでまた行きたい!








(追記 2024/08/25)

 図面を作成して追加しようと考えたのだが、とても参考になる論文が見つかった。


 例えば Figure 17 で示された6人には、上の説明と照らし合わせるとこのようになる。

   A : ow'obutono (top)
   B : atabula (mixer)
   C : asanaga (starter)
   D : enduumi (tenor)
   E : enene (bass)
   F : engage (bottom)

 A、B、Cの3人は両手にスティックを持ち、D、E、Fの3人は右手にステック、左手は平手打ちすることが図示されている。また Figure 22 や Figure 23 の譜面を見ると、BとCが対位的に基本パターンを生み出していることが分かる。Figure 16 では、エンバイレが5音で1オクターブを構成し、全体で4オクターブであることが示されており、またBとCが左右の腕で平行8度の音板を打つ仕組みも分かりやすい。


Nakibembe Embaire Group from Uganda_d0010432_08334466.png
(Figure 17)




 「Embaire」でインターネット検索すると、良い写真が色々公開されている。例えば、Amadinda-Embaire-Muwewesi-Xylophne-Group など。いずれの写真でも、音の高い方の音板から1〜21とナンバリングされていることが見てとれる。番号が振られているのは、普段はバラバラにして保管されている楽器を素早く組み立てるためである。


Nakibembe Embaire Group from Uganda_d0010432_08445161.jpg



 ヒュー・トレイシー Hugh Tracey が 1952年に撮影したアマディンダ Amadinda。音板は12枚。

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 何とヒュー・トレイシー・ブランドのアマディンダなんてものまで売られていた。トレイシーが売っていたのは親指ピアノ(カリンバ)だけではなかったのか!

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# by desertjazz | 2024-08-24 21:00 | Sound - Africa

メモ:映画『ヴァタ ~箱あるいは体~』鑑賞記_d0010432_22153316.jpeg



◇メモ:映画『ヴァタ ~箱あるいは体~』鑑賞記

 映画『ヴァタ ~箱あるいは体~』(監督・脚本・制作 亀井岳)を観てきた。この映画について、多くの友人・知人たちが SNS で取り上げたり、雑誌で論評したりしている。それならば観ておくべきだろうと考えた次第だ。何よりマダガスカルの竹製楽器ヴァリ(ヴァリハ)Valiha の音をたっぷり聴けるドキュメンタリーらしく、彼の国の音楽に深い興味を持っている自分にとっては必見だろう。ところが、ヴァリについても、ドキュメンタリーという点でも、その予想は半分当たり半分外れていたのだが。

 この映画を観るに際して、友人たちの綴った文章は一切読まず(唯一の例外は、見た夢と重ね合わせて書かれた感想を斜め読みしたもの)、ほぼ予備知識ゼロのままでいた。なので、以下の感想もそのままの条件で書いてみよう(全く的外れかもしれないが、答え合わせは後日のお楽しみ?)。


 映画のストーリーは、他所の村に嫁いだ姉が亡くなり、しばらく経ってからその遺骨を箱に納めて故郷に持ち帰るというというもの(合っている?)。上映中そのことを知って思ったのは、これは「複葬」を紹介するドキュメンタリーなのだろうかということだった。

「複葬」とは、一度埋葬した遺体(遺骨)を掘り起こすなどして、然るべき時に然るべき方法でもう一度葬儀を行うこと。複葬という風習としてよく知られているのはバリ島のものだろう。バリ人たちは、仮埋葬しておいた亡骸を、数年後にまるで祭りのような盛大な葬儀を執り行って、故人を天に送る。そうした資金のない人々も、費用を出し合って合同葬儀という形で同様に弔う。インドネシアには複葬を行う民族は他にもいて、例えばスラウェシ島のトラジャ人の葬儀もその代表例と言えるのではないだろうか。
(昔タナトラジャを旅した時、ランブソロという盛大な葬儀に偶然めぐりあい、見舞い金をお渡しして列席させていただいた。それはその年最大規模のものだったらしく、バリ島とはまた違った祝祭感に満ちた賑やかさと、声明のような静謐な合唱に圧倒された。トラジャの人々の中には、一度風葬などをした後、タウタウという可愛らしい人形を供える風習がある。崖に並べられたタウタウも実際に見てきたのだが、これも「複葬」の一種と言えるように思う。)

 インドネシア各地に複葬があることを知り、それに刺激を受けて「複葬」について調べたことがある。すると、複葬は古代の日本(関東)にもあり、また沖縄や台湾にも、さらにはマダガスカルにもあることを知った。インド洋も含めた環太平洋圏には「複葬」文化の繋がりがあるのだろうか。そう考えて関連する文献を探したり、「複葬」をテーマに「世界葬式紀行」といったドキュメンタリー・シリーズを作れないかと提案したこともある。

 そのようなことを思い出しながら、『ヴァタ ~箱あるいは体~』を鑑賞したのだった。


 映画が始まってほどなくして違和感を抱き始めた。その最初は登場人物たちの会話が皆「棒読み調のセリフ」に聴こえること。映像の映し方も「カット撮り」だ。その一方で、ドキュメンタリー的なシーンも混じる。これはドキュメンタリーとドラマのハイブリッド、言い換えればノンフィクションとフィクションの二重性を持った作品なのではと考え始めた。

 ならば、セリフは監督の亀井が書いたものなのだろう。それは事実に基づいたものに違いないはずだが、それを実際に語るマダガスカルの人々にとっての意味と、監督が再現しようとするものとの間に、ズレは生じてはいないだろうか。言うなれば、両者が抱く死生観に対する二重性が存在しうるのではないか。
(先の「世界葬式紀行」を提案したとき、プロデューサーから「いつ人が死ぬの?」と突っ込まれた。再現はそれへの一つの解答たるものだったのかもしれない。)

 映画の終盤、本来見えるはずのない存在が、可視化される(これは映画で多用される常套手段でもあるのだが)。そこにも「夢か、現か」という二重性を感じたのだった。

 さらには、遺骨を納める箱と、箱型の竪琴の箱までもが重なって見えてくる。

 この映画は、亡き家族を思う気持ちや彼らの死生観を描いた作品だと思う。だが、強引な解釈をすると、このように二重性が幾重にも重なり合っており、その分だけ自由な解釈が許されるように感じた。実際、マダガスカルに暮らす人それぞれで死生観は多様であるだろうし、それを観ての受け止め方もまた違っていて構わないだろう。

 さらにより強引に、この映画は、嫁ぎ先での1度目の埋葬と故郷での2度目の埋葬という「複葬」、つまりマダガスカルにおける埋葬文化の二重性を扱っていると解釈したくなった。しかしこの映画で再現されるものは、世界各地に見られる「複葬」とは異なるようなので、さすがにこれは深読みが過ぎるか。やはり、故人に対する気持ちの持ちようや死生観について素直に考えるだけで十分なのだろう。


 期待していた音楽面でもたっぷり堪能することができた。あいにくヴァリは登場しなかった?ようだが、それでも多様な楽器が演奏され、今のマダガスカルに息づく音楽と歌を感じることができた(録音もとても良かった)。

 マダガスカルの人々のルーツはどうやらマレー諸島にあるらしく、紀元前300年頃にボルネオ島南部の人々が渡っていったという説もある。そのこともあって、ヴァリという楽器はマレーから渡ったと考える人もいる。その説を最初に唱えたのは中村とうようさんだっただろうか(『アフリカの音が聞こえてくる』P. 200/201)。このタイプの楽器、古いものは、弦は後から張るのではなく、胴体の竹の表皮を細長く切り出し、ブリッジを噛ませて浮かせて弦にするという構造だった点も面白い。

 このように、マレー(インドネシア)とマダガスカルに共通する複葬文化や、楽器に関する歴史的繋がりを思い出して、両地域の関係性について改めて調べたくなったりもしたのだった。




(・・・繰り返しになりますが、これは映画の公式サイトさえまともに見ていない段階での勝手な解釈・雑感です。悪しからず。)







# by desertjazz | 2024-08-16 22:00 | 美 - Art/Museum

Walking around Massilia - Index -

Walking around Massilia - Index -_d0010432_13444598.jpg



 突然思い立ってフランス南部のマルセイユにまた行ってきました。現地でのメモや写真、SNS への投稿などをまとめて、ざっくりと書いた旅行記のような記事17本を公開。ユーロメディテラネ構想に伴う再開発・文化化に関する私感、マッシリア・サウンド・システム結成40周年、偶然知った市主催の音楽祭、トコ・ブラーズへのインタビュー(飲み歩き記)、市内各所のレコード店、レストランと食材店、等々、私的なメモ書きばかりですが、何かのご参考にどうぞ。










# by desertjazz | 2024-08-08 14:00 | 旅 - Abroad

DJ

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