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 先日、親指ピアノについて調べていて、ゲルハルト・クービック Gerhard Kubik が親指ピアノに関する研究書を出していることに気が付き、早速ドイツの古本屋から取り寄せてみた。

Gerhard Kubik "Kalimba, Nsansi, Mbira - Lamellophone in Afrika" (Museum für Völkerkunde, 1998)

 ゲルハルト・クービックと言えば、シリーズ『人間と音楽の歴史』(音楽之友社)の「西アフリカ」と「東アフリカ」を担当し、"Africa and the Blues" (University Press of Mississippi, 1999) の著者でもあるので、これは必読だろうと考えて。

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 それが昨日届いたので、ざっと目を通してみた。英文のサマリーが1ページある以外は全てドイツ語なのだが、約270枚も写真や図版を載せているので、それらを参考にすればほどほど内容は掴めるし、眺めているだけでも楽しい(例えば表紙のようなキー配列はこれまでに見たことがない)。

 この本は、親指ピアノの歴史、分類、そして様々な親指ピアノの紹介という3つが主たる要素のようだ。

 まず、親指のピアノの誕生と拡散に関しては4つの流れを描いている。

1)正確な場所と時代は特定できないが、アフリカ中・西部のラフィアゾーン(現在のナイジェリア東部〜カメルーン中・南部〜ガボン〜コンゴ北部)のバントゥー系民族が生み出した(キュービックはそれを紀元前1000年頃と推測しているようだ)。当時はまだ鉄が存在しなかったので、ラフィア椰子か竹のような植物を材料に作られた。そしてそれがバントゥー系民族の移動に伴って南方へも伝わっていった(アフリカ史的にも、ナイジェリア〜カメルーン周辺のバントゥー系の人々がアフリカの東部や南部に徐々に移動したと考えられているので、この推測は当然だろう)。

2)鉄器時代に入ってからは、ジンバブウェ〜モザンビークあたりのスタイルのものが西方へ拡散(今から約1300年前)。

3)奴隷貿易を通じてカリブやブラジルへ伝わった。

4)19世紀にはギニア湾沿いの国々へも伝わっていった。

 興味を惹かれたのは最後の4番目。19世紀に入ると海洋交易によってナイジェリアあたりの親指ピアノが西へ伝わった。また、フリータウンの建設によって大西洋を渡った奴隷(とその子孫)がアフリカに還ることになり、さらにはカリブやブラジルからの影響もギニア湾諸国に及んだという。シエラレオーネの「コンジ?」やナイジェリア西部の「アギディボ」、ガーナの「プレンペンスア」や「アタボ」のルーツは、マリンブラなどであると指摘している。西アフリカの親指ピアノもキューバなどカリブのものも、巨大化したこと(そしてベース楽器として演奏されること)が共通する大きな特徴。なので、アギディボなどがカリブへ渡ってマリンブラが生まれたと思い込んでいたのだが、実は逆だということか? どちらが本当なのだろう(1時間ほど軽く拾い読みしただけなので、肝心なところを読み落としているかもしれない)。

 分類の点では、名称に着目して多様な親指ピアノを整理。各地の親指ピアノの名称を調べると、それらの多くが、「-rimba/-limba」「-mbila/-mbira」「-sansi/-sanji/-sanzi」「-kembe」を含むことに気が付いたことから、親指ピアノを4群に系統立てている。また、最初の2種はシロフォン(マリンバ)の名称とも共通していることから、それらのルーツの共通性や演奏法などについても検討しているようだ(ウガンダでの名称 kadongo が、ブッシュマンの親指ピアノの名称の一つ dongo と酷似していることにも興味大)。

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 また、付属CDには主に1960〜70年代にアフリカ各地で採録した演奏が26トラック(他にインタビューが1トラック)が収められている。これが聴きごたえたっぷりで抜群に面白い。寂れた音色の楽器が多くて、ごく普通の民が鳴らし込んだ様子が想像される。これ以上興味深い親指ピアノのコンピレーションはないと断言したくなるほどだ。また親指ピアノというと一人で弾き語るイメージが強かったのだが、ここにはマウスボウ?やパーカションの伴奏を伴うものや、コーラスが備わるものも多いことが個人的な発見だった。

 Wikipedia によるとオーストリア出身の民族音楽学者のゲルハルト・クービックは、48年間毎年アフリカに通い続け、 25000もの録音を行ったのだそう。なんと膨大なアーカイブスだろう。しかしそこからはアフリカ南部の研究がすっぽり欠けているようだ。クービックのこの本では、ボツワナやナミビアの親指ピアノに関しては全く言及されていないので。

『人間と音楽の歴史』も、北アフリカ、西アフリカ、中央アフリカ、東アフリカの4巻(とエジプト)が出たが、南アフリカの巻はなし。念のためにオリジナルのドイツ版 "Musikgeschichte in Bildern" のリストも確認したが同様だった。

 ヒュー・トレイシー Hugh Tracey やマイケル・ベアード Michael Baird が立派な研究をしているが、それでもアフリカ南部の民族音楽に関してはまだまだ手薄なように感じている。

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(Facebook 202409126 より)






# by desertjazz | 2024-09-27 00:00 | Sound - Africa

モダンジャズ再履修?

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(ちょっと真面目な独り言です。)

 自分は音楽を大して知っていないな、聴いたことのない曲が本当に多いなと、時々思う。例えば Led Zeppeln は大好きなのに、アルバム "III" や "Physical Graffiti" は持っていないし聴いたこともない。そのため、あるミュージシャンやある曲を知らないと人に話すと、驚かれることがよくある。

 どうしてそうなったのか。
 理由の一つは音楽を聴き始めたのが遅かったからだと思う。

 生まれ育ったのは山間の田舎。小学校史を読むと、「XX年に◯◯さんが通学途中、熊に襲われた(食べられた)」と書かれているくらいの大田舎。そんな辺鄙な土地に流行音楽を楽しむハイカラな人などいるはずもない。小学生の頃は、洋楽というものが存在することを分かっていなかった。信じられない話だろうが、ザ・ビートルズを知ったのさえ中学生になってからだ。

 中学、高校でようやく音楽に興味を持ち出したが、それもラジオで聴く程度。幼稚園の頃から洋楽を聴いていたとか、小学生でコンサートに行ったとかいう話を聞くと、凄いなあとは思う。でもあまり羨ましいとは感じなかった。

 自分がどのような星の下で生まれるかは運命でしかないので、そのことを考えても仕方がない。特に上京してから出会った人たちの早熟した話が凄すぎて、自分の幼少時の環境と比較しても意味がないと悟った。

 経済的にも音楽面でも恵まれた家庭環境ではなかったが、自然の豊かな中で育ったことは幸せだったとも思う。

 大学生になり、音楽を聴き始めるのが遅かった反動が一気にきた。入学祝いにオーディオセットも買ってもらい、ようやくレコードを集め始めた。仕送りを断り、学費も生活費も全て奨学金とバイト代で賄うことにしたのだが、これが意外なことに。それだけで結構な収入になり、それを注ぎ込んでレコードを買い漁ったのだった。音楽をほとんど知らずにいたので、何を聴いても新鮮だった。

 音楽を十分に聴いてこられなかったもう一つの理由。
 それは、サラリーマン時代の忙しさと不規則生活だ。

 自分の場合は、出張が多かったことが特に影響したと思う。多い年には6ヶ月海外出張し、その間に国内出張や個人旅行もしたので、その年は90日ほどしか出社しなかった。結構無茶な仕事も多く、4日連続で徹夜したり、1週間で20時間しか寝なかったり。このような日々では、自宅でゆっくり音楽に浸ることなどできるはずはない。

 素晴らしい音楽は世界中にたくさんある。だが、それらを後追いして聴くにことには限界がある。ならば、あらゆる音楽を追いかけるのではなく、自分の感性に触れるものを楽しむだけで十分だ。そのことに気が付いてからは、無理せずマイペースで音楽を楽しむようになった。ここ10年くらいは、本当に自分が必要とする音楽しか聴いていないのではないだろうか。

 一方で、その間あることを考え始めた。リタイアした暁には、これまでじっくり聴く余裕のなかった音楽、聴かないままだった音楽を楽しもうと。

 前置きが長くなったが、最近ようやくそのことができ始めている。

 近頃の楽しみは、昔買いそびれたジャズのレコードを思いだし、コンディションの良さそうな中古盤やリイシュー盤を探して聴くこと。例えば、40年ほど前に Blue Note や Riverside や Prestige が日本でまとめてリイシューされた時、せっせと買い集めたのだが、流石に全てには手を出せなかった。しかし今振り返ると、重量盤で出た Blue Note の1500番台100枚だけでも無理して全部買っておくべきだったと後悔している。

 Charles Mingus の "Changes One" は大好きなのに "Changes Two" は持っていない。Keith Jarrett の "Standards Volume One" は愛聴しているのに "Volume Two" は持っていない。Chick Corea の “Piano Solo" も手元にあるのは "Volume One" だけ。これはなんとも落ち着かない。Paul Bley も今頃あれこれ聴きたくなっている。

 そんなことで、最近1ヶ月で買ったジャズの LP はこれら12枚。驚かされたのは "Mocambo Session '54" だった。まるで Charlie Parker & Bud Powell & Max Roach じゃないか! 森安翔太郎って、これほどまでに凄かったのか! こうした作品は若いうちに聴いておくべきだった。

 いや、こんな歳になってからも、これほど新鮮な出会いが残されているというのは幸せなことだろう。

 やっと自由気ままに音楽を楽しめるようになったリタイア生活、案外悪くないです。


(Facebook 20240925 より)









# by desertjazz | 2024-09-26 00:00 | Sound - Music

徹底研究・ブッシュマンの音楽 18:(番外編)コーサのクリック_d0010432_11273236.jpg


 先日、ミシェル・ンデゲオチェロ Meshell Ndegeocello のアルバム” The Omnichord Real Book" (2023) の収録曲 'THA KING' を聴いて、おや?と思ったのは、それがキレイなクリック混じりの無伴奏の歌だったから。そしてもう一つ、サンディスワ・マズワイ Thandiswa Mazwai のこの歌は、クリック3種類を交えていて、まるでクリック発音のプレゼンテーションにようになっていたからだった。


 サン(ブッシュマン)とコイコイ(ホッテントット)というアフリカ南部の先住民族コイサンの言語をルーツとするクリック発音には4種類ある。整理すると、

1. 「口蓋音」または「歯茎音」、発音記号は [ ! ]。表記はアルファベットの 'Q' で代用することもある。
「ポン」と弾ける音(舌先を上口蓋に軽く押しつけて、下方へ鋭く離して発音する)。

2. 「歯音」、発音記号は [ / ] [ | ] [ ' ] など。アルファベットの場合は ‘C’ で代用。
前歯を舌で「チッ」と鳴らす舌打ちに似た音(舌先を上の歯と下の歯の間に軽く押しつけ、素早く後方へ離す)。

3. 「硬口蓋音」または「歯茎ー口蓋音」、発音記号は [ ≠ ]。アルファベットの場合は 'X' で代用。
口の脇の方から「ベチャッ」「タン」と鈍く鳴らす音(舌の下側の先端部を上歯茎から上口蓋にかけて強く押しつけ、下方へ鋭く離すときに生じる摩擦のある音)。

4. 「側音」、発音記号は [ // ] または [ || ]。アルファベットは 'G' で代用。
「チャッ」という感じに鳴らすしわがれた喉音(舌の下側の先を広く強く上口蓋に押しつけておいて、下方やや前方へ鋭く離すときに舌の両側面より発する音。[ ≠ ] と似ているが、より鈍い摩擦のある音とのことだが、実は個人的には、これの正しい発音が昔からどうにもわからない)。


 こうしたクリックは、コイサンの人々から影響を受けた南アフリカの民族の言語にも入り込んでいるが、クリックを使うのはコーサとズールーだけ、なおかつ [ ! ] [ / ] [ ≠ ] の3種類だけのようだ 。

*このブログ記事を参考にしました。コーサのクリックを英語で解説する動画もわかりやすいです。


 ところでクリックを含む歌でよく知られているのはミリアム・マケバ Mriam Makeba だろう。しかし彼女の ‘Pata Pata’ も ‘Click Song’ も、「ポン」と鳴らす口蓋音(歯茎音)しか使っていないように聞こえる(個人的に彼女の録音をそれほど聴いていないので確かなことは言えないのだが)。それに対してサンディスワ・マズワイの 'THA KING' では3種類使っていることがはっきり聴き取れ、これは珍しいと感じたのだった。

 そうした違いに興味を覚えて少し調べてみた。2人ともコーサ人だろうと考えていたが、確認するとマケバの父はコーサだが、母はスワジだった。その父は彼女が6歳の時に亡くなっているので、その後マケバはスワジ語の環境で育ち、そのためにあまりクリックを使わなくなったのだろうかとも推測した。

 だがこのビデオを観ると、’Qongqothwane (The Click Song)’ の曲紹介の中で、’≠Xhosa is my native language’ と硬口蓋音を明瞭に発音しており、彼女はコーサ・ネイティブであることが確認できる(「コーサ Xhosa」の正しい発音は [≠] を含む)。


 ところで、サンディスワ・マズワイは現在ミリアム・マケバと比較されるほど評価の高いこと、 'THA KING' が彼女の愛称?(レーベル名としても使用)であることを今回知った。


徹底研究・ブッシュマンの音楽 18:(番外編)コーサのクリック_d0010432_11273594.jpg




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# by desertjazz | 2024-09-25 11:00 | Sound - Bushman/San

Coming Event : Felabration Tokyo 2024_d0010432_14292291.jpg



◆ Felabration Tokyo 2024 開催決定!

Fela Kuti + Celebration = Felabration

Celebrating Afrobeat Culture

Celebrating the Afrobeat legend, Fela Anikulapo - Kuti



Felabration は Fela Kuti の娘 Yeni Anikulapo-Kuti が提唱して 1988年に始まった。
Fela をリスペクトする人々、Afrobeat を愛する人々が、Fela の誕生日に合わせて毎年秋に集う。

日本でも 2012年以降、本家公認イベントとして大阪で開催されてきた。
その Felabration が遂に東京にやってくる。
10/24(Thu) - 下北沢ADRIFT

イベントを司どるのは、Akoya Afrobeat のパーカッション奏者 Yoshi Takemasa。
Kuti Family からも認められた、日本を代表するダンサーの Aya Ifakemi Yem。
Yoshi はこの日のために、はるばる NYC から参上。


Coming Event : Felabration Tokyo 2024_d0010432_14433722.png


ライブを担うのは、大編成ユニットの R.S.J Collectives。
そこに Akoya の Yoshi 'Tony' Kobayashi と Yoshi Takemasa も加わる。
今回も本格的な Afrobeat で存分に踊らせてくれることだろう。


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そして、もう一つのサプライズ!
長年 Fela Kuti のアルバム・カバーを制作してきた Lemi Ghariokwu もデザインで協力。


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昔から Fela Kuti とゆかりのある人たち、
不正と戦い続けた Fela に共鳴する人たち、
Afrobeat をひたすら熱愛する人たち。
そうした面々が集結し Fela Kuti を祝福する素晴らしい夜が待っている。

1ヶ月後の 10/24、下北沢で会いましょう!


< ↓ 詳細はこちら ↓ >








# by desertjazz | 2024-09-24 00:00 | Sound - Festivals

New Disc : Thandiswa Mazwai \"Sankofa\"_d0010432_15570405.jpg



 南アフリカ共和国のサンディスワ・マズワイ Thandiswa Mazwai の新作 "Sankofa" (King Tha Music, 2024) がとてもいい。中でも Nduduzo Makhatini がピアノで参加している 'kulungile' が素晴らしい!



 遅ればせながら、ミシェル・ンデゲオチェロ Meshell Ndegeocello の昨年作 "The Omnichord Real Book" を今頃聴いみたら(グラミーを獲得したこのアルバム、傑作級ですね!)、11トラック目の 'THA KING' で、無伴奏でキレイなクリック発音が耳をとらえた。一体誰かと思ったらサンディスワだった。

 サンディスワは 1990年代に人気を博したクワイト四人組ボンゴ・マフィン Bongo Maffin の紅一点。当時は "The Concerto" (1998) 収録のダンサブルでイケイケな 'Amadlozi' くらいしか聴いていなかった。しかし改めてヒット曲を拾い聴きしてみたら、どれも軽快で気持ちいいサウンドばかりだった。2003年11月29日には、南アフリカ共和国のケープタウンで開催されたエイズ撲滅チャリティ・コンサート "46664" に出演したので(日本でも CD と DVD が発売された)、欧米や日本にはそれを通じてボンゴ・マフィンとサンディスワ・マズワイのことを知った人もいるかもしれない。

 ボンゴ・マフィンはアルバム6作をリリース。それからサンディスワはソロ活動に移り、最初のアルバム "Zabalaza" (2004) が大ヒット。 その後、"Ibokwe" (2009)、"Belede" (2016) をリリース。そして今回の "Sankofa" がソロ4作目。彼女は今どうしているかと思いついて調べて、この新作に気がついた次第だ。

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 ジョハネスバーグ、ダカール、NYCでレコーディングしたという今回のアルバム、ジャズ(サックスもいい)からコーサの民族楽器、さらには Simmy のようなシルキーさまでをブレンドした心震わせるサウンドにすっかり引き込まれてしまい、半ば興奮しながらリピート中。スティーブン・ビコやミリアム・マケバの肉声?を大胆に混ぜ込んだのは、先達たちへのリスペクトか。クワイト時代と比較すると、とても落ち着いた深みのあるサウンドで、大いなる変身を遂げている。ミシェル・ンデゲオチェロに「彼女は天才」と言わせるくらいなのだから大したものだ。


 そのミシェル・ンデゲオチェロとは今回が初共演ではなく、"The World Has Made Me The Man Of My Dreams" (2007) の中の1曲 'Article 3' に作曲とヴォーカルでクレジットされている。パンク/ニューウェーブ風の小品で、ドラムは Deantoni Parks、ギターは Pat Metheny(ただし個人的には、この曲もアルバム全体もさほど良いとは思わなかった)。

 全然知らなかったのだけれど、サンディスワ・マズワイはミリアム・マケバと比較されるほど評価が高いのですね。残念ながら、このアルバム、フィジカルが見つからない。現在、南アでは CD のリリースがほとんどないらしいので、これも出ていないのだろう(?)

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# by desertjazz | 2024-09-22 19:00 | Sound - Africa

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