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アフリカの記憶 130

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 Kalahari #30 : Botswana / CKGR-Gyom 1993

 カラハリを歩くブッシュマンの女の子たち。
 みんな、いい笑顔だ。







# by desertjazz | 2020-09-26 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 129

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 Kalahari #29 : Botswana / CKGR-Gyom 1993

 実際にカラハリ砂漠に行くことで、ブッシュマンに関する既成概念が覆されたことは多い。その中の一つは、意外と体格が良いこと。そして、普通に服を着ていること。それも皆なかなかにオシャレなのだ。

 しかし、年若い男の子たちに限っては、かつての野生を感じさせる姿を留めていたと言えるかもしれない。

 彼らは紐の先に棒をくくりつけた道具(玩具?楽器?)を回し、音を奏でて遊んでいた記憶がある。右端の少年が振り回しているものも、そうだっただろうか?







# by desertjazz | 2020-09-25 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 128

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 Kalahari #28 : Botswana / CKGR-Gyom 1993

 ハンター達に追い詰められ、仕留められる直前のゲムスボック。

 1993年と1995年にアフリカ南部の自然公園をいくつか巡って、ゾウ、キリン、ゲムスボック、クドゥ、インパラ、カバ、バッファロー、等々、野生動物を飽きるほど見た。いや正直なところ、野生動物は1日見てたら、すっかり飽きて感動を失うことを知ったのだった。手の届く距離に巨大なゾウが歩み寄って来たり、突然ライオンの赤ちゃん4匹が目の前に現れたりした時には、ちょっと感動したけれど。

 ゲムスボックをこんな至近距離で、しかも車から降りて観察できたのも貴重な体験だったのだろう。これもハンター達が一緒にいたから可能だった。そして、彼らが仕留め解体した後に、美しい角をお願いして頂戴することに。しかし、瞳と同様に、角も見る間に生気を失ったように感じて、その場に捨てて来てしまったのだった。

 ところで、ブッシュマンがキリンを見ると「うまそう」と呟くのだそう。キリンはブッシュマンの一番の好物だと聞いたが、本当か? もちろん今はキリンを狩ることを法律で禁じられている。彼らはそのことを残念がっていた。






# by desertjazz | 2020-09-24 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 127

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 Kalahari #27 : Botswana / CKGR-Gyom 1993

 馬に跨るハンター3人衆には2度同行し、ゲムスボックの狩りの様子を見せていただいた(写真は色々撮ったのだが、強烈なものが多いため、1枚だけ披露する)。

 獣を仕留めるとすぐに解体作業を始めるのだが、胃の内容物まで丁寧に出し、人間の食べられない内臓は焼いて犬に与えていた。その日に食べきれない肉は干し肉にする。カデ Xade で一度、クドゥ(ウシ科の一種)の干し肉を味見させてもらったことがあるが、適度な塩気を含む滋味深い味だった。キャラメル程度の小片しかもらえず、もっと食べたくなったが、干し肉は彼らにとっては貴重な保存食であり栄養源なのに違いない。

 そばで狩を見ていて一番印象に残ったのは、獣の瞳から瞬く間に生気が失われたことだった。直前まで生きていたのに、殺されれた瞬間、瞳からは何の反応も認められず、動物というよりただの物体としか感じられなかった。これが「死」というものなのかと考えたのだった。


 このカラハリの旅の後も、世界各地で動物が屠られる瞬間を目撃した。中でも記憶に鮮明なのは、キューバのマタンサスでサンテリアの儀式に立ち会った時のこと。私のすぐ目の前で(1mもなかった)生贄にされるヤギが喉を掻き切られるのをじっと見つめた。その状況は、カラハリで命を奪われたゲムスボックの姿も想起させるものだった。そして、その後のこと、キューバ滞在中、奇怪かつ重大な事件が相次ぎ、人からは「サンテリアを撮影した祟りだ」とまで言われたのだった(・・・まあ、この話はまた別の機会に)。







# by desertjazz | 2020-09-23 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 126

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 Kalahari #26 : Botswana / CKGR-Gyom 1993

 ハンター2

 ブッシュマン3人組のハンターはそれぞれ馬に跨り、犬を連れて、ゲムスボックなどの大型獣を追い込んでいた。記憶ははっきりしないのだが、最後は槍でトドメをさしていたのではないだろうか。

 馬を所有している彼らは結構リッチな方らしい。ブッシュマンの中にはうまく振舞って、経済的に豊かになる人も増えていた。この頃には自動車を所有するブッシュマンさえ現れたことを、ある本を読んで知った。







# by desertjazz | 2020-09-22 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 125

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 Kalahari #25 : Botswana / CKGR-Gyom 1993

 ハンター1

 カラハリ砂漠を3人組で馬を使って狩猟をしていたうちの一人。ブッシュマンとは言っても、大柄で結構たくましい身体をしている。小柄でシワが多く腰布だけを身につけたブッシュマンなど、遠い遠い昔の姿(もしいたとすれば、それは観光客向けの見せ物だ)。長年にわたってバントゥ系の人々との混血が進んだ結果、多様な顔や体型のブッシュマンたちが生まれて来たのだろう。

 それは至極当然の話だ。L・ヴァン・デル・ポストが、1955年に純血なブッシュマンを探し求めて何ヶ月もカラハリ砂漠を探検した時点で、そのような存在はほとんど幻だったのだから。(L・ヴァン・デル・ポストの『カラハリの失われた世界』は大好きな本で、繰り返し読んだ。この本を初めて読んだ時には、自分がブッシュマンたちとカラハリで過ごす日が来ようとは、夢にも思わなかった。)







# by desertjazz | 2020-09-21 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 124

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 Kalahari #24 : Botswana / CKGR-Gyom 1993

 同じ弓でも、こちらはミュージカル・ボウではなくて、本物の弓。子供達が、木に止まっている鳥を、子供用サイズの小型の弓矢で狙って撃っていた。とは言っても、これは弓矢猟の練習をしているわけではなく、遊びの一種だと聞かされた。実際、かつての弓矢猟はすでに行われておらず、驚くことに馬や犬を使った狩猟が主流となっていた。


(私の自宅には、カラハリ旅行の記念に持ち帰った、弓矢を含むブッシュマンのハンティング・キットが飾られている。もちろん、矢尻には致死性の毒など塗られていないが。)







# by desertjazz | 2020-09-20 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 123

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 Kalahari #23 : Botswana / CKGR-Gyom 1993

 炎天下のカラハリ砂漠。
 少年が楽器を友に歩く。



(この時のカラハリの最高気温は摂氏40〜45度くらいだっただろうか。

 これまでの気温40度以上の体験を思い出してみた。1997年10月、エチオピアのダナキル岩漠(アファール)では深夜でも40度を超えた。2003年6月のフランスでも40度を超えていたかもしれない。2017年2月、ブルース・スプリングスティーンを観に行ったオーストラリアのシドニーでは45度。だが、これまで最も暑いと感じたのは、2018年6月のドーハ。42〜43度くらいだったと思うが、海岸付近に吹く熱風が強烈で、タクシーを捕まえるまでの数分が外にいられる限界だった。正直、こんなところでは生きていられないと思った。

 しかし、地球温暖化が止まらない今、それ以上の気温が日常化するのは避け難くなっている?

 ところで、アファールに行く前に渡された資料には「夏の最高気温70度」と書かれていたが、あれはウソだったんだな!)






# by desertjazz | 2020-09-19 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 122

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 Kalahari #22 : Botswana / CKGR-Gyom 1993

 一弦楽器を奏でる若者がまた一人。右手の親指をブリッジにして弦の長さを調節、その弦をスティックで叩いて音を出していた。その仕草から考えて、やはりこれもミュージカル・ボウの一種なのだろう。







# by desertjazz | 2020-09-18 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 121

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 Kalahari #21 : Botswana / CKGR-Gyom 1993

 カロウチュバさんのデング(親指ピアノ)を撮影させていただいた。むき出しのただの1枚の板切れに、11本の鉄片をつけただけの極めてシンプルな構造。あとは下部にサワリの音を発する鉄の輪がついている程度である。アフリカ大陸のサハラ砂漠より南に広く分布する親指ピアノの中でも、とりわけ素朴なものだ。ハンシ・クラフトで買った親指ピアノと比べても、キーの数の少なさ、装飾のなさが際立っている。

 だからこそだろうか、そこに物としての美しさを強く感じる。機能美以上の何かがあると思うのだ。

 このような親指ピアノこそ欲しいと思い始めた頃、一人の男が似たようなデングを売りに来た(もちろんカロウチュバさんではない)。「普段から弾いているものならいらない。そのようなものは買えない」としばらく押し問答状態に。結局、第三者を交えて話をし、買い取ることに何も問題ないことを確認した上で、譲っていただくことになった。

 親指ピアノの多くは廃材を利用して作られる。例えば、金属キーは自転車のスポークや針金を叩き潰して作る。移動生活をするため所有物の少ないブッシュマンにとっては、物への執着など特別ないのかもしれない。なので、彼らは必要ならまた作るのだろう。それでもその時は、自身に慎重な判断を強いたのだった。

 大して弾けもしないのに、アフリカ各地で結構な数の親指ピアノを買い集めた。それらの中でも、このデングはとりわけ魅力的な音を響かせる。ポロポロと適当に爪弾くだけで、何とも不思議な雰囲気を醸し出すのだ。シンプルな楽器から生まれる、複雑で奥深い音。このデングは自分にとって大切な宝物になっている。


(海外アーティスト、特にアフリカの民族音楽系の中には、来日公演が終えた時点で、楽器を売る人もいるようだ。高い手数料を支払って国に持ち帰るよりも、売って金にしてしまい、帰国後にまた同じ楽器を作る方が合理的とも言えるだろう。昔、ある高名なバラフォン奏者が日本公演を終えてセネガルに帰国する際、演奏で使ったそのバラフォンを買わないかと声をかけられたことがある。値段を聞くと「100万円」。とてもじゃないが、手が出なかった。)






# by desertjazz | 2020-09-17 00:00 | 旅 - Abroad