2009年 09月 21日
Abbey Road Studio / Egrem Studio
余談を挟むと、、、イギリスはメシが不味いという思い込みが強くて、イギリス出張の話がある度に固辞していた。実際に行ってみると、大衆的な店のフランス料理などはパリで食べるよりも満足できるものだったのだが。だけれど、リバプールは最悪! 短期滞在での印象にしか過ぎないけれど、ファッションセンス、休日の雰囲気、そしてキャバーンクラブ界隈で目にした Fish & Chips まで何から何までが強烈に劣悪だった。具体的にはとても書く気にはなれない。必死で探し当てたギリシア料理の店がとても良かったことが最大の救いだったくらいだ。
いや、こんな悪口を書くつもりではなかった。この時のイギリス行きはジョン・レノンに関する取材旅行だったので、Penny Lane や Strawberry Fields などを訪ね回れたことや(ジョン・レノンに思い入れのない自分にとっては何とも殺風景に映ったが)、帰り道ブリストルに立ち寄れたこと(夜が見たかった)は有り難かった。
アビーロードでは各スタジオを案内していただいたのだが、Studio One で聞いた話が最も記憶に残っている。全面改修の際にこれまでの響きを維持したくて、木版ひとつひとつにナンバリングを施した上で、スタジオフロアを分解し、改修工事を終える際にそれらの板の一枚一枚を元通りの配置に戻していったそう。そして「ここの響きは特別なんだ」と強調していた。フロアに降りた瞬間、「オーケストラを入れて演奏された 'All You Need Is Love' がここから世界中継されたのか」と感慨深くなったのだが、そうした工事の苦労話を伺ってますます感動してしまった。
その反面、サブ(コントロール・ルーム)のスピーカー配置に無理があったのは気になった(そのことはスタジオの公式サイトの写真の B&W を見れば分かります。他のスタジオのコントロール・ルームもかなり狭かったのは意外)。
そして、サブのスタジオを歩いて再び感動。ここでも60年代当時の雰囲気がしっかり残っていて、ここで4人がセッションを重ねていた姿が容易に想像できる。そう思うと、ただただ感慨深いばかりだった。
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アビーロードの写真が出てこないので、諦めてその代わりにキューバの首都ハバナにあるエグレム・スタジオを2000年に訪問したときのスナップショットをアップしておきます。




「ライ・クーダーはどこに座っていたの?」と尋ねて教えてもらったディレクターズ・チェアーにしばし腰を落ち着けながら、スタジオのエンジニアたちと語らったことが、良い思い出になっている。
(追記)
ハバナでは共産党の文化庁のようなところの音楽資料室にも入れてもらえたのだけれど、そこで勝手に SP 盤を漁ったのも楽しかった。もちろん国の財産なので、譲ってもらうことなど出来ない話なのだが、誰も管理している様子などなかったので、今はもう全てゴミとして処分されてしまっているのかもしれない。もったいない話だけれど。
ここでは、担当者が数日間探しても見つけられなかった資料(録音テープ)を、私が部屋に入った瞬間に(30秒くらいで)見つけ出し皆から驚かれた。レコードハンターのカンは違うな、と我ながら頷いたのだった。