2009年 11月 18日
Readings - Urban Noise

そして、もうひとつの快楽。「音の快楽」。
今、空き時間を使って読んでいる一冊は、『世界の調律 〜サウンドスケープとはなにか〜』(R.マリー・シェーファー、平凡社)。
もう32年も前に書かれた本なので、視点や論点に古さは否めない。しかし、自分にとって今年最大のテーマとも言えるのが「音の快楽」なので、この本が示唆するものは多い。実際そのことを期待して読み始めたのだった。
例えば、「ハイファイなサウンドスケープ」と「ローファイなサウンドスケープ」。単純に言ってしまえば、自然音や特徴的な点音源が広範に広がる空間が音的にハイファイであり、ノイズレベルの高い人工音に埋め尽くされた現代の都市空間がローファイということになるのだろう。
車道に沿って歩くとき、いつも「これは仮の状態なのだ」と自分に語りかけている。この性癖はもう何十年にもなる。自動車のノイズがあらゆる空間を支配する世界はあまりに異常だと思う。本来人間はもっと自然な音にくるまれて過ごすべきなのではないだろうか。そう考えるとき、今の音空間はあくまでも一時的なものであり、人間はいつか人工音が低減化された豊かな音世界を取り戻せるかも知れない、なんてことを考えることもある。まあ、無理かな?とも思いながら。
ところが、電気自動車の登場によって、自分の妄想とも言えるような想像世界が実現性を帯びてきた。ほとんどノイズレスな電気自動車だけが走行する世界とはどのようなものなのだろう。
最近そんなことを考えていただけに、電気自動車にわざわざノイズを発生させるアイディアが相次いでいることは残念だ。音のしない自動車は危険だ、というのが、こうしたアイディアが生み出される元らしい。しかし、音を出さない自動車が走っても安全な社会を造ることの方が優先されるべき、と考えることこそ本筋だと思う。理想論かも知れないが、自動車やバイクと、自転車と、歩行者とがきちんと棲み分けられた都市空間をデザインすべきだし、運転者と歩行者とが互いにストレスを与えないようなモラルこそが求められるはずなのではないだろうか?
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「音の快楽」の話の続きは、また改めて、、、。