2009年 12月 30日
2009年 (2) : 「読む」
冊。
・パオロ・ジョルダーノ『素数たちの孤独』(早川書房)
・イサベル・アジェンデ『精霊たちの家』(河出書房新社)
・J. M. G. ル・クレジオ『砂漠』(新装版)(河出書房新社)
・M. トゥルニエ『フライデーあるいは太平洋の冥界』
+ J. M. G. ル・クレジオ『黄金探索者』(河出書房新社)
・カズオ・イシグロ『夜想曲集 : 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語』(早川書房)
・広瀬 隆『資本主義崩壊の首謀者たち』(集英社新書)
・宮台真司『日本の難点』(幻冬舎新書)
・佐々木俊尚『2011年新聞・テレビ消滅』(文春新書)
・辺見 庸『しのびよる破局』(大月書店)
・白戸圭一『ルポ資源大陸アフリカ 〜暴力が結ぶ貧困と繁栄〜』(東洋経済新報社)
今年前半は読書する時間がほとんど皆無で、そうした中何を読めたのかもすでに憶えていない。なので、最近読んだ小説が中心のリストになってしまった。しかし切なくなる小説と気分が滅入る本ばかり読んでいるなぁ。
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かねてからノンフィクション、評論、紀行ものが好きで、音楽書も大量に読んでいたため、そうしたものを優先したいと思い、長年、基本的に小説を読むことを自ら禁じてきた。そうした姿勢に逆転現象が生じた年だった。
しかし、ノンフィクションの分野では収穫が少なかった。これはじっくり書店巡りをする余裕がなかったからなのかもしれないし、近年のテーマである「生活のダウンサイジング」を意識しすぎてなるべく本を買わないようにしたせいかも知れない。いずれにしても見逃した本は少なくないはずで、来年はもう少し取りこぼしがなくなればいいかと考えている。そうした中、新聞記者が書いた『ルポ資源大陸アフリカ 〜暴力が結ぶ貧困と繁栄〜』は圧巻・渾身のルポだった。
紀行ものでは、71年前に訳書が出た、岩波文庫のアンドレ・ジイドの『コンゴ紀行』と『続・コンゴ紀行』が復刻されたことが驚きだった。半ば薄れかけた旧字体の漢字とひらがなの活字を辿っていくことを今楽しんでいる最中である。
読書の中心が小説の方に傾いたのには、ノンフィクションや紀行ものに気になるものが見当たらないならば、これまで読む機会のなかった名作を生きているうちに読んでおこうといく気になったことがある。それで、古今の名著とされる評論などとともに小説も久方ぶりに読み出したのだった(評論の方は、難解なものや大作ばかりに読み出してしまい、なかなか先に進まない)。しかし、そのことの決定打ともなったのは、「池澤夏樹=個人編集 世界文学全集」に手を伸ばしたことだった。知らなかった傑作を教えてもらっている気分で、1冊読み終える頃には次は何を読もうかと思案している有様。例えば最も最近読み終えたチリのイサベル・アジェンデの『精霊たちの家』などは、G. ガルシア=マルケスの『百年の孤独』があったからこそ、それをテンプレートにして完成された作品には違いないが、決してそれに留まっていない紛うことなき傑作だ。最近読了/再読した『百年の孤独』『族長の秋』『コレラの時代の愛』を振り返って、『予告された殺人の記録』を除くと自分はラテンアメリカ文学をさほど好まないのだろうかと考えていたところだったのだが、どうもそうとは言い切れない気がしてきた。
カズオ・イシグロの新作はリストにいれたものの、やや物足りない仕上がりだった。まあ、大好きな『わたしたちが孤児だったころ』や『日の名残り』、傑作『わたしを離さないで』に並ぶ作品を書き上げてくれるまでの箸休めなのだろう。デビュー作から読み続けている村上春樹の『1Q84』は個人的には期待外れだった。もちろん優れた作品なのだろうが、今執筆中とされる「BOOK 3」は買わない(日本文学や新たに書かれた小説をあまり読む機会がなかったのは残念だ)。
そして、何と言っても、パオロ・ジョルダーノの『素数たちの孤独』。科学者が書いた鮮烈なる処女作。ダビンチを生んだ国の20代のマルチな才能に嫉妬さえ覚えるが、2作目にも期待を裏切られないよう、今から楽しみにしている(考えてみると、ル・クレジオの『砂漠』も20代の作品)。
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音楽を聴かなくなった(1週間にCD1枚聴くかどうかといった程度)せいもあって、音楽関連の文章を読む量も激減した(音楽のブログも一切読まないし、雑誌も全て止めてしまった。読まないので、定期的に送ってきて下さっていたものも遠慮させていただくことに)。今年買った/読んだ音楽書は、わずかに4冊。
・石田昌隆『オルタナティヴ・ミュージック』(ミュージックマガジン)
・岡田暁生『音楽の聴き方 〜聴く型と趣味を語る言葉〜』(中央公論新社)
・サカキマンゴー『親指ピアノ道場! アフリカの小さな楽器でひまつぶし』(ヤマハミュージックメディア)
・五十嵐 正『スプリングスティーンの歌うアメリカ』(音楽出版社)
石田さんの本は以前書いた通り。今年転居したのだけれど、その結果、リスニング環境が格段に向上した(リビングルームを兼ねたオーディオスペースが約20帖確保できたのだが、何と言ってもじゅうたん張りからフローリングに変わった影響が大きい)。それが面白くてあれこれ試し聴きしたところ、90年代のヒップホップやラップの名作の音が物凄く良く鳴ることに驚かされた。石田さんの本にナビゲートされながら、そんなことをしていたのも記憶に新しい。あとの3冊は、興味深い内容ながらコンパクトな本なので、もっと本格的なものを読みたくなった。
他に Youssou N'Dour 関連の本を2冊買ったのだが、仏語なので、まだ軽く拾い読みした程度に留まっている。
・ Michelle Lahana "YOUSSOU NDOUR - La Voix de la Medina"
・ Gerald Arnaud "YOUSSOU N'DOUR - Le Griot Planetaire"
昨年(2008年)フランスで出版されたオクシタン・ミュージックの本、注文しないうちに品切れとなってしまったのは失敗だった(そういえば、最近 Salif Keita の伝記?も出た。せめて英訳版が出ないだろうか)。
迷った末に買わなかった音楽書が2冊ある。
・星野秋男『ヨーロッパ・ジャズ黄金時代』(青土社)
・デイヴィッド トゥープ『音の海―エーテルトーク、アンビエント・サウンド、イマジナリー・ワールド』(水声社, 2008)
共感半ば/違和感半ばする星野の著作は労作には違いないが、彼の文章を30年近い昔から読んできた身にとっては、そうした原稿をとりまとめたものにしか思えなかった。かつて熱心に読んだ記憶のある文章ばかりで、個々のプレイヤーに関する情報量が絶対的に不足していることも不満(まあ、網羅的に書かれた本なので、これが限界なのは十分理解できる)。もっと言えば、「…だ。」「…だ。」「…だ。」と連呼する文章が、眼で追っていても酷く耳触りで、立ち読みしているだけで辟易してしまった(こんなところにも、編集者の不在を感じる)。それでも、ヨーロッパ・ジャズはアメリカのジャズの傑作には敵わない、といった風に正直に書かれていることには好感を持った。『音の海』はこれを読んでも音/音楽に対する思索が深まらないような感覚を覚えたから。だけど、来年時間があれば読んでみたい気持ちは残っている。
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余談。
頼み込まれた末に断り切れず、結果本音を明かさないままに書いた共著本が、今年絶版となったことに安堵。しかし、またまた依頼(命令)を断り切れずに書いた共著本(デジタルテクノロジーを駆使したドキュメンタリー制作に関する教科書のようなもの)が間もなく出版される予定。正直、あまり嬉しくないなぁ。
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追記。
蔵書が再びペースを上げて増え続けてる。CDを買わなくなり、転居の度に小説もまとめて捨ててきたのに、これでは意味がない。本格的に生活のダウンサイジングを進めるためには、日本語版 Kindle の発売が待望される。旅行に出る度に、どの本を持っていくか、何冊持っているか、とても長い時間思案するのだが、Kindle があれば、そうした悩みも解消されるだろう。