Kante Manfila : History

 カンテ・マンフィーラ Kante Manfila は、1947年にギニア(ギネア)東部のカンカン Kankan で生まれた(46年にカンカン近郊のファラバナ Farabanah で生まれ、間もなくカンカンに移り住んだとする説もあり)。マンディングのうちのマリンケの出自で(サリフ・ケイタも一緒)、音楽一族ジャリの家系だったために、幼少時は両親に付き添ってバラフォンを演奏。50年代末にはアコースティックギターに関心が移る。その後14歳頃にアビジャンに移動。

 彼の音楽遍歴は次のように時代区分できるだろう。

(1) アビジャン / Les Ballets Africans 時代 : 60年代
(2) アビジャン / ソロ時代 : 60年代
(3) Rail Band 時代 : 69-71年
(4) Ambassadeurs 時代 : 71-82年
(5) ソロ / Kante Manfila 時代 : 82年-



(1) アビジャン / Les Ballets Africans 時代 : 60年代

 彼のプロとしての本格的なキャリアは国立バレエ団 Les Ballets Africans(52年結成)に始まるようだ。ただしその期間はかなり短かった可能性が高い。手元のレコードをチェックしても彼が参加しているものは1枚のみだった(Les Ballets Africans のレコードは集めていないので、正確なことは不明)。

Les Ballets Africains de Keita Fodeba, Vol.2 (Vogue 30.082, ?年)

Kante Manfila : History_d0010432_1125441.jpg'Kenssa' と 'Malake 58' の2曲にクレジットされている。 両者とも Kante Facelli とのギター・デュオ。

(2) ソロ時代 : 60年代

Kante Manfila : History_d0010432_11261056.jpgEchoes D'Afrique Vol.1 (Vogue EPL 7835)
: Cha Cha Cha 61 / N'tato Senero / Yarabi / Cani

Echoes D'Afrique Vol.2 (Vogue EPL 7836)
: Koumenfe Maimouna / Issarana / Nanfoule / Kala

Echoes D'Afrique Vol.3 (Vogue EPL 7837)
: 収録曲不明
 EP3枚がリリースされている。発売年は70年代初頭とされるが、実際は60年代かもしれず、また Les Ballets Africans 時代の録音の可能性もある。Les Ballets Africans から Rail Band まで10年ほどのブランクがあったと書かれているものもあったので、60年代まではあまり活発な活動は行っていなかったようだ。

 音楽的内容は、まあ、オリジナルな大衆音楽を模索する過渡期の弾き語り、といったところか。

 ギニアの Balla / Jardin de Guinee、Keletigui / La Pillotte でも演奏したとする資料が複数あるが、これは誤り。L'Orchestre Balla et ses Balladins に在籍した Kante Manfila、L'Orchestre Keletigui et ses Tambourinis に在籍した Manfila Kante 、それに本稿の Kante Manfila は、祖父(やはり名前は Manfila Kante)を同じくするいとこ同士3人。

 一方で、CD "N'na Niwale" のライナー(ギュンター・グレッツ Gunter Gretz 筆)によると、彼の最初のバンドは Independance Jazz、それから Rhythm de l'bia、その直後にファースト・シングル "Horoya (Freedom) " をリリースし、アビジャンでちょっとした成功を収める。さらに60年代末にEP5枚(dad 801 〜 dad 805)をリリースしたとする。その一方で、Les Ballets Africans については一切言及していない。こちらが正しいとすれば、Les Ballets Africans の Kante Manfila も別人ということになる。果たしてどれが正しいのだろうか?

(3) Rail Band 時代 : 69-71年

 探した限り彼の名を明記したレコードはなし。レコーディングに参加しているとすれば、ファースト・アルバム1枚だけだろう。

"Orchestre Rail-Band de Bamako" (Bärenreiter-Musicaphon BM 30 L 2606, 1970)

 プレイスタイルだけから断定する自信はないが、これのジャケット右端の人物がカンテ・マンフィーラのような気もする(眉の感じは全然異なる)。ただし裏面の解説には彼の名前は出て来ない(07年〜にリリースされた Stern's のコンピレーションのライナーでも彼の名前が無視されているが、これはこのファーストの解説を参照したからだと推測する)。

(4) Ambassadeurs 時代 : 71-82年

 アルバム8枚とシングル5枚のレコーディングに参加か。

(5) ソロ / Kante Manfila 時代 : 82年-
Kante Manfila : History_d0010432_18421682.jpg
 85年にパリに移住。それ以降に発表した作品は以下の8タイトル。(TAN 7016) のみLPで、あとはCD。

Kante Manfila "Musicale Mandingue" (Tangent TAN 7016, 1986)
Kante Manfila "Traditon" (Tangent/Melodie 66860-2, 1988)
Kante Manfila "Diniya..." (Sonodisc CD 8467, 1990)
Kante Manfila & Balla Kalla with family & friends "Kankan Blues" (Popular African Music pam oa 201, 1992)
Kante Manfila "N'na Niwale - Kankan Blues Chapter II" (Popular African Music pam 402, 1994)
Kante Manfila "Ni Kanu" (EMI 7243 8 32865 2 2, 1995)
Kante Manfila with family & friends "Back to Farabanah - Kankan Blues verse III" (Popular African Music pam oa 207, 1998)
Kante Manfila "Douaou Den" (JWS CD2, 1998)

 彼のギター弾き語りを中心に、コラやバラフォンが伴奏するトラディショナル色強い作品が多い。これらの中で特に好きなのは pam 盤3枚。穏やかでゆったりとした調べが何とも心地よく、ドイツのギュンター・グレッツ最良の仕事なのではないだろうか。とりわけ愛でるように聴き惚れたのがカンカン・ブルース2作目。セネガルの Baaba Maal & Mansour Seck のアコースティック・アルバム "Djam Leelii" と並ぶ愛聴盤となっている。



 ところで、98年以降のレコードが見当たらない。彼は今どうしているのだろう。
by desertjazz | 2010-07-11 00:00

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