2011年 01月 31日
◇◇◇ 2011年1月の読書 ◇◇◇
今月読了したのは17冊。
1) オルガ・トカルチュク『昼の家、夜の家』
2) 須賀敦子『須賀敦子 全集 第1巻』
3) ムハンマド・ウマル『アミーナ』
4) 村上春樹『風の歌を聴け』(再読)
5) J.M.クッツェー『夷狄を待ちながら』
6) 中村明一『倍音 音・ことば・身体の文化誌』
7) 村上春樹『1973年のピンボール』(再読)
8) オルハン・パムク『無垢の博物館』上巻
9) 島田裕巳『人はひとりで死ぬ 「無縁社会」を生きるために』
10) オルハン・パムク『無垢の博物館』下巻
11) 川端康成『雪国』(再読?)
12) 村上春樹『羊をめぐる冒険』上巻(再読)
13) レイモンド・チャンドラー『ロング・グッドバイ』(村上春樹 新訳)
14) 村上春樹『羊をめぐる冒険』下巻(再読)
15) 関口義人『ジプシーを訪ねて』
16) 和久井光司『フランク・ザッパ/キャプテン・ビーフハート・ディスク・ガイド』
17) 水野信男『中東・北アフリカの音を聴く 民族音楽学者のフィールドノート』
今年は良書をもっとじっくり読もうと考えていたのに反して、ついつい読みやすいものを優先して読んでしまった。『20世紀を語る音楽』や『ニュー・ジャズ・スタディーズ』などはさっぱり進まず。
以下、追記と雑感。
・月の前半は日本と海外(翻訳)とをほぼ交互に読んでいた。しかし、川端や谷崎などの表現の深い一文一文に触れてしまうと、やはり小説は日本の作品を読むべきと改めて実感してしまう。これは海外の文学に偏重した昨年への反省をも込めてのこと。そう思いながら、海外の小説や外人が書いた日本論などを新たに読み始めている。
・『無垢の博物館』は舞台が映画界ということを抜きにしても、とても映画的。映画化される可能性が結構あるのでは? しかし、この作品の執筆に8年も費やしたのは勿体なかったような気がする。
・村上春樹の小説をデビュー作から順に読み直し始めたことから、彼について考えることが多かった。その流れで『ロング・グッドバイ』も読んだのだが(『グレート・ギャツビー』と『キャッチャー・イン・ザ・ライ』も村上訳で買い直した)、村上春樹がチャンドラーからいかに大きな影響を受けているかがよく分かった。初期3作品を読んで、『羊をめぐる冒険』の後半で豹変したこと、『1Q84』にまで通ずるモチーフ/パターンがすでに見られることなども感じた(が、人気作家なので、素人が不用意なことは書かないでおく)。
・チャンドラー、パムク、村上春樹、カズオ・イシグロの作品に通じ合う何かについて考えている。「人生なんて暇つぶし」「失敗した人生」的なフレーズに共感。自分も度々使ってしまう言い回し。たいていの人生はうまくいかない方が当たり前で、ときには不可抗力的に罠や悲劇にはまって抜け出せなくなることさえある。パムクの『無垢の博物館』など、村上の初期作、カズオ・イシグロの諸作の「追憶的構成」が、そうした運命を受けとめることで、前向きに生きよう、優しい心持ちで過ごそうという気持ちを読み手に引き起こしているように思う。それは決してセンチメンタルなだけの感情ではないからこそ、小説の持つそうした力が多くの人々の共感を生むのだろうか。
・村上春樹が数多くの翻訳を実現できているのは、彼が翻訳上の文体を確立しているからなのだろうか?
・『ジプシーを訪ねて』と『中東・北アフリカの音を聴く』はどちらも熱情こもった調査旅行の記録。旅心をくすぐられ、旅するヒントも随所で拾える。
・『フランク・ザッパ/キャプテン・ビーフハート・ディスク・ガイド』を読み終えて、FZ の音楽を初期作品から聴き直している。個人的には70年代末以降の作品群を愛聴してきたが、60年代の作品も改めて聴くと「こんなに良かったか!?」と驚くほどに面白いし聴きごたえがある。FZ の音楽にはほとんどあらゆる要素が詰め込まれているので、他の音楽を聴く必要はない、とまで常々思っているのだが、そうした考えがさらに強まった。
・どうやら新しい本を読んだり新譜を買って聴いたりするよりも、カズオ・イシグロをじっくり読み直したり、FZ のアルバムを丹念に聴き返したりした方が、楽しく過ごせそうだ。自分は大量に本を読んだり、たくさんのレコードを聴いたりするような能力がないので、やはり本当に好きなものを優先していくべきなのだと思う。これが「必要以上の情報をシャットアウトする」ことの意味。
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