2011年 01月 16日
◆ 日本人の死生観について再び考える

島田裕巳『人はひとりで死ぬ 「無縁社会」を生きるために』(NHK出版新書)読了。
著者の専門である宗教の観点にも立ちながら、「上京」など社会の変化がもたらした「無縁死」「孤独死」は必然的なもので、現代人が選択したものだと見なす。そしてそのメリットを考えれば「無縁死でもいいし、無縁社会でもいいのではないか」という結論にまで行き着く。
まずこれは「無縁死」についての本であって、「無縁社会」についてのものではない。もちろん両者は密接に関係してはいるが、一般に議論されている「無縁社会」の問題に直接答えるものとはなっていない。論の大筋に納得できる部分は多い。だが、無縁死を認めることで充実した生き方が遂げられるような書き方もされていて、そこまで縁を否定してしまうと、逆に雑な生き方や社会の荒廃が増すような気もする。実際、著者が解説する現在の都市部の有縁社会のあり方の方に説得力を感じる。
死者が残された遺族に強いる経済的負担の大きさを問題視しているのはその通りだろう。しかし、これもかねてから度々語られてきたことだ。
それでも、自分にとって無視できない問題ばかりについて検討されていて、いろいろ考えさせられた一冊だった。
個人的に昔から興味があるのは、人の死生観。海外旅行中にも機会があれば、異民族の葬儀を見せていただくこともあって、その都度、人間にとっての「死」について考えてきた。
日本人も死生観を今よりもきっちりと持つことができれば、社会が変わるのではないか、自殺者も減るのではないかなどと考え、そのためには何ができるだろうかと仲間たちと語り合うことも度々ある。
死生観の持ちようによっては充実した生き方が選べる可能性があると思う。その点は著者と共通しているのかも知れない。
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