1ヶ月

 補給ルートが切り開かれ、支援物資が届き始め、ボランティアが集まり、仮設住宅の建設も始まった。動きがずいぶん早いと感心していたのだが、気がつけば大震災発生からもう1ヶ月。テレビに映し出される被災地の映像を見つめても、震災直後と何ら変わっていないように見える。やはり「早かったけれど、長かった」と、数週間前の感想に戻ってしまう。

 被災された方々にとっては堪え難く長い長い1ヶ月だったことだろう。それはいくら想像力を働かせても正しく理解することなど出来ないに違いない。早い段階で現場を訪れて生の声を聞いてみたいとも思ったのだが、それも叶わなかった。自分に何ができるかと考えても、答えは簡単には見つからない。自分の仕事をコツコツやる、経済を循環させる、あとは義援金だろうか。

 ただ、こうした指摘を読むと、日本赤十字社への義援金が、東電が負うべき責任を肩代わりする、そして東電社員の高給補填に流用される可能性もある。すぐ使える金を被災者に渡せない状態にある赤十字社に義援金をこれ以上託すのは諦めようか、それとも緊急避難的に極力大目に見るべきか、悩ましい。まずはもっと即応性の高い他の団体を探してみたい。

 自分自身を見つめ直してみても、何かが欠落してしまった感が拭えない。心にポッカリ空いた穴が大きくなってしまったような。連日ネットとテレビに釘付けになっていて、座っているとどうしてもアルコール量が増えてしまう。酔うほどに呑むことはないにしても、ある意味思考停止状態に陥っている。ならば、自分とは比較すらできないまでの想像を絶する状況に追い込まれている被災者と原発周辺住民の心境、絶望はいかばかりか。苦境に立って心が空っぽになってしまってもおかしくはない。

 ただ、自分の心に空いてしまった穴を埋めなくてはならないとも考えている。



 どうしてこれほどまでに空しいのか考えてみた。それは日本が変わる可能性を今時点でほとんど認められないからだろうと思う。

 やはり原発事故のショックは大きかった。いつかはまた世界のどこかで間違いなく起こるだろうし、残念なことだけれど、それがまた起こらなければ人類は真摯に反省することはないだろうとも思っていた。若いころから原発について読み考えて、原発不要(必要悪とも思わない)というスタンスは変わらなかった。しかし、今回の事故をきっかけに膨大な量の関連情報が流れ、それらを通じて原発は自分が考えていたよりも遥かに危険な存在であることを知らされた。

 (自分が原発に反対する理由は、それが最終処理法がないまままに走り出してしまったことと、万年単位での後処理が非現実的であること。しかし、そうした考えさえ全然甘かった。そこを自分のブログでも整理してみたかったのだが、そのような必要が皆無である状況を見て、原発関連の発言も途中で控えたのだった。とにかく読んでおくべき判断材料が多すぎる。)

 しかし、一番悲しむべき原発ショックは、当事者がことごとく保身に走っていることだ。今、原発のあり方を変えられる誰もが正当でロジカルな思考を全く持っていないことに恐怖を感じる。原発は全廃すべきだし、浜岡原発は即座に停止すべきだろう。なのに、従来の立場を守る、発言を変えないことに固執する、プライドだけは維持する、そうしたことに汲々としている。こんな奴らが自分たちの都合に合わせて言葉を弄び、データを改竄する。その間に地球は汚染されていく。

 人間社会が維持されるのは、せいぜい200年くらいだろうかと漠然と考えていた。諸々の科学的データを鑑みても、人類の大半が生き残るのはそれくらいのようにも思う。原発が弾けても、それが多少早まるだけなのかも知れない。

 しかし、原発なしの電力供給で暮らそうという声は高まっている。まだまだ小さい反原発デモがどんどん拡大していくことにも期待したい。こうした動きに寄り添い応援し、「保身勢力」に打ち勝つことを目指すしかないのだと思う。



 震災から1ヶ月。

 亡くなられた多くの方々のご冥福をお祈りいたします。
 一日でも早く復興への道筋が示されることを期待します。
 福島第一原発の事故処理が好転する奇跡を願います。




 もっと書くべきことはあるのかもしれないし、書きたいこともたくさんあるけれど、、、。






by desertjazz | 2011-04-11 00:00

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