2011年 04月 23日
雑感(ひとりサマータイム中)
「9.11」10周年のちょうど半年前に大地震が起こり、チェルノブイリ事故25周年に合わせたかのように日本が原発事故に見舞われる。一体なんの因果なのだろう。
大地震発生からそろそろ1ヶ月半。どんどん月日は過ぎていって、半年という時間も瞬く間なのかも知れない。それと同時に、いよいよ長期戦になってきたとも思う。
#
「レベル7」宣言の頃から震災/原発関連のことをブログやツイッターにあまり書かなくなった。それにはいくつか理由がある。ひとつは今回の災害の規模があまりに大きすぎて、ブログで自分の考えをまとめておくことが追いつかないことがある。被災地から離れて意見を連ねるだけのことには、あまり意味がないとも感じた。毎日次々情報が入ってくるので、それらを無理に整理しようとせず、まずは自身の中に蓄積させ判断しじっくり考えていけばいいだろう。
また原発事故とその後の対応の「わかりやすさ」も理由のひとつである。福島第一原発自体は相変わらずブラックボックスのままで、ある程度の推測は行われているものの、正確な状況まで把握できているとは思われない(分かっているのに情報を小出しにしているだけかも知れないが)。しかし、全体状況として原発がどうなっているか、事故後に政府や関係者がどういった対応をするかは、事故直後に想像した通り概ね進んでいると思う。つまり、原発が対処不能なまでに破壊されていること、避難措置が遅れて(措置をとらずに)被爆者が激増すること、保身のための詭弁ばかり聞かされることなどは、多くの人々の頭に咄嗟に浮かんだ「想定内」のことだったはずだ。
自分でも分かることをわざわざ長々綴ることには大した意味はないだろう。自分よりも遥かに深い論考、あるいは詳細なデータ分析などは、いくらでも読むことができる。ならば、書くよりもまず読んで判断することを優先すべきなのだろう。
#
原発事故レベル等を「想定内」と書いたが、自分が想定できなかったことは、放射線物質が大気・海洋・土壌の3方向に拡散すること、チェルノブイリのような一瞬の爆発でないことは理解できるとしてもこれほどジワジワと長時間をかけた拡散になるということの2点。
発表を聞いていても、「可能性はゼロではない」は「ほとんど間違いなくそうなっている」と聞こえるし、「事故対応は極めて困難」は「もう手遅れ」と同義にしか聞こえない。本当に深刻なのだと思う。
日本は原発をコントロールできず、地球環境を破壊し、世界中に迷惑を与えている。それだけでもこの国は原発を持つ資格を失っていると思う。「原発を捨てろ」と外圧がかかったとしても当然の事態だ。
それでも、原発を必要とする声は止まない。その多くが間もなく地上から消える世代からのものであることは悲劇だ。今現在の事故対応や避難措置を継続すれば、あるいはこれまでのエネルギー政策を大転換しなければ、20年後、30年後の日本は恐ろしいことになっているのではないだろうか? 少なくとも、これから生まれてくる人々の人生さえ壊し始めており、自分たちは彼らから恨まれ続けるに違いないだろう(何を言いたいのか分かりますね。原発問題は「水俣病」化していると思うのです)。
このままでは、日本は自爆し自滅する。
#
そうならないためには、まずはひとりひとりが正確な情報をもつことだと思う。その上で多くの人々と共有できる意見を形成していくことだ。
悲観的な情報があまりに多い中、自分にはまっとうとしか思えない「脱原発」に向けた意見がとても多いことに勇気づけられるし、そのことに一番希望を感じてもいる。
そうした諸々の思いもあって、先月来変わらず連日夕方から明け方近くまで、ずっと情報を追い続けていた。けれど、座ってネットやテレビを見ているだけなので、どうしても運動不足になるし、アルコール漬けにもなってしまう。さすがに疲れてもきた。長期戦になることも確実だ。
今回の大災害は極めて複雑かつ込み入っている。そんな中に「わかりやすさ」も認められる。ならば、焦らず一度立ち止まって、最初に考えたことに戻ってみようと思い直した。頭に中に情報ばかり詰め込むこともよくない。
事故直後に思ったこと、書いたことは、ほとんど覚えている。それらのうちのひとつは自分のライフスタイルの見直しである。これから日本は大きく変わらざるを得ない。浪費は難しくなるし、不便さが増すことは避けられない。収入は減るだろうし、もしかしたら住む場所も変わるかもしれない。激変する国の状況に合わせて、自分自身も我慢を強いられる場面が増えるだろう(勿論、無意味な自粛などする気は全くないが)。
だが、これもひとつの契機と捉えた方が前向きだ。今回の難事は国にとって大きなチャンスであると同時に、自分にとってもチャンスだ。例えば、もっとシンプルに生きるために、何かできないか。ふと思いついたのは、早寝早起き。全く安易だし、無駄なエネルギーを使わないためといった大それたことまで真剣に考えてもいないが。ここしばらくは、晩飯食べて風呂に入り21時か22時頃にはさっさと寝てしまう生活を送っている。その分、震災関連の情報をチェックする量は減っているし、3時頃に目覚めることも多くてさっぱりエコに繋がっていないのかも知れないのだけれど。
だが、5時頃すっきり目覚めるので時間は遥かに有効に使えるようになったし、アルコール浸りでいるよりもずっと冴えた頭で考え事ができる。酒量もかなり減ったかな? これなら朝に走ったり散歩したりしてもいいかも知れない。何だかひとり先行してサマータイムを過ごしている気分だ。まあいつまで続けられるか怪しいのだけれど、しばらく続けてみたいとは思っている。
#
#
#