2011年 05月 23日
今聴きうる音楽/静謐なサウンド
音楽・文芸評論家の小沼純一が『intoxicate』の最新号(#91)に次のようなことを書いている。
「こんなときだから、音楽に何ができるのかを考える。あるいは、自分が何を聴けるのか、聴きうるのか、自分に何が残っているのか、を。」
「震災のおこった日から4月のはじめまで、音楽を聴くことはなかった。(略)自発的に聴きたいもの、聴けるものがおもいつけなかった。音楽が聴きたくなかった。」
これは音楽愛好家の多くに共通した心境だったのではないだろうか(「ふだんから必要以上に音楽を聴かないようにしている。けっして「ながら」はしない。つねに音楽がある状態は苦手だ。」とも書いている。自分自身も、若い頃の音楽大量受容期を過ぎた今は自分が本当に必要としている音楽だけあれば十分と考えているので、この文章にも個人的には共感できる)。
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震災から2ヶ月が経過して、さすがに音楽をほとんど何も聴けない時期は過ぎた(震災より前に音楽を全く受け付けない時期があっただけに、今は震災前よりは幾分長く音楽を聴いているようにも思う)。それでも、何も聴かずに読書している時間が長く、その気分を常に引きずっているせいか、数日おきに音楽を聴く時には穏やかなサウンドの作品を選ぶことが多くなっている。
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先日軽く触れた Ballake Sissoko & Vincent Segal の "Chamber Music" などもそうした一枚だ。プランクトンさんがサンプル盤を送ってきてくれたので繰り返し聴いてみたのだが、これが想像していたよりもずっといい。マリのコラ奏者とフランスのチェロ奏者のデュオで(クレジットがないので詳細不明ながら、時折他の楽器なども入る)、二人が心地よいと感じられる音楽を自然体で奏でている雰囲気が伝わってくる。何より好ましいのは、この音のもつ静謐感だ。3.11 以降不安定になっている自身の心と、人や街/集落が死ぬことに平然としていられる俗物どもに対する怒りとを、寸時鎮めてくれる(こうした形容は好ましくないのだろうが、、、逃れられない現実でもある)。
思えばアフリカン・アコースティックのデュオには愛聴作が多い。Baaba Maal & Mansour Seck の傑作 "Djam Leelii" や Ali Farka Toure & Toumani Diabate の "In the Heart of the Moon"、"Ali & Toumani" など。特にセネガル人ふたりのギター・デュオの前者は最も好きなアフリカのアルバムのひとつだ。70年代までのアフリカン・ポップのアコースティック作品には、欧米の音を表面的にコピーしただけの退屈なものが多かったように思うが、Baaba Maal のこのアルバムを境にアフリカン・アコースティックに対する見方が個人的には変化した。他にも良い作品はまだあったはず。そのうちに整理してみたいとも思っている。
話を Ballake Sissoko & Vincent Segal のことに戻す。彼らの来日公演が目前に迫ってきたが、ここ2ヶ月来日キャンセルが相次ぎ、失望を繰り返してきたことでもあるので、今度こそ無事に公演が行われてほしい。ただ 6/3 と 6/6 のいずれかに行きたかったのだが、残念ながら現時点都合がつかなそうだ。周囲からは「なにかいいライブないですか?」と問われる機会も増えて来た。誰もがライブに飢えているのだろう。そろそろ来日公演が平常時並に開催されることにも期待したい。
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余談をひとつ。以前にも書いたことだが、思うところあって数年前から原稿依頼の類は全て断ってきた。新しい住所もごく僅かの例外を除くと誰にも伝えていないので、サンプル盤や見本誌の類が送られてくることもほぼ皆無になった。おかげで本当に気が楽になり、自分の好きな音だけ聴いていられるようになっている。
それでも今回プランクトンからのサンプルを断らずに受け取ったのは、今こうした非常事下にあるのだから、もし自分にできることがあるのなら、まずやってみるべきかと考えたからだ。もちろん自分にできることは限りなくゼロに近いと自覚している。また、送られて来た音楽が紹介するに足るものでなければ、それは無視するまでのことだった。
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ここ数日間、ほかに聴いているのは、Gonzales の "Solo Piano"、Saycet の "Through the Window"、Giorgio Tuma の "In the Morning We'll Meet"、Sven Kacirek の "The Kenya Sessions" など。静謐で穏やかな音が多い。
(新譜紹介はまた時間があれば…。)
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