2011年 07月 06日
"Afro Latin Via Dakar" (3) : Baobab
CD "Afro Latin Via Dakar" の魅力は何と言っても、選曲の良さと、その流れが素晴らしい点にある。そのことはひとまず措くとして(例えば Disc 1 は、アフロキューバンのスタンダードを随所に挟みながら Orchestre Dakar Band の目の覚めるような名演奏で締める流れに惚れ惚れする)、ライナーの解説も実にいい。
ダカールでは、キューバ音楽のレコードが持ち込まれ、軍楽隊の演奏と楽器を受け継ぎ、ラジオが普及し始め、そして酒場で音楽が練られることで、アフリカン・ポップが進化していった(それはキンシャサでルンバロックが誕生したのと似たような経過なのだが、熟成されたサウンドは、ダカールとキンシャサでかなり趣を異にするのが面白い。『キンシャサ編』は買っていないのだが、ダカールの編集方針が良かったのでこれも聴いてみようかな?)。ライナーでは、そのことを踏まえた上で、それぞれのバンドや主要ミュージシャンの紹介がなされている。
個人的に悩ましく思っているのは、黎明期のセネガリーズ・ポップの全体像を詳しいところまではなかなか把握できずにいること。その理由としては、似たような名前のグループが数多く、メンバーの移動も激しかったためなのか、本当に使える資料は少なかったことが挙げられる。これまでに読んだライナーなども大半が内容乏しくあやふやなものばかり。ならば自分で整理すれば良さそうなのだけれど、文献が集まらない上に、フランス語を話せない私にはやっぱり無理。だが、本盤で初めて知る情報も多くて、このライナーはかなり有益だった。
ただし日本語解説の文字の小ささは尋常ではなく、どうしても読めなくて(老人には無理!)、結局カメラで映した画像を iPad で拡大して読んだ。いくつか誤訳もあるけれど、こうして全訳を添えてくれたことは最大評価すべきと思う( Saint-Louis は「セントルイス」ではなく「サン=ルイ」、Omar Pene も「ペネ」より「ペン」の方が良かったんじゃないでしょうか)。
ブックレットに写真が満載なのも嬉しいポイントだ。いずれの画像も、ジャケ写、あるいはその一部をトリミングしたものである。中でもとりわけ嬉しかったのは、13ページ目に "Baobab de Dakar / Gouye-Gui" のスリーブ写真が選ばれていること(ただしこのアルバムの曲はひとつも収録されていない)。ダカールでのレコード探索、そしてセネガルのラテン音楽への没入は、ここから全て始まったのだった。
99年にセネガル(とマリ)を訪れた時の話の続き。ダカール市街地のマルシェ(サンダガ市場だったかな?)の古道具屋を誰か古いレコードを持っていないか尋ねて回って2日目か3日目(フランス語で「レコード」が通じず、「ディスク」と言ったり「バイナル」と英語にしたりと悪戦苦闘)、ようやく出会った最初の一枚が正にこのレコードだった。初めて見るバオバブのレコードに驚喜した。
ダカールではあちこちのマルシェのオヤジたちにも大変お世話になったが、そのうちの一人がバオバブの PV に映っている。この PV の 4'18" あたりから登場する Assane さんもそのひとり。映像の通り彼は貴重なレコードをたくさん持っていたので、早速交渉したものの譲ってはもらえなかった。なぜかを問うと、レコードをカセットにコピーする商売を営んでいるとのことだったので、売らないのは当然。失礼なお願いをしてしまった。
その後はレコードが芋づる式に次々と見つかって、まあ見たこと聞いたこともないようなレコードがザクザク出てくる。結局バオバブだけでも数百枚発見し、20作ほどあるアルバム中、出会わなかったのは1作のみ。某所ではバオバブのレア盤ばかり100枚くらいまとめて見つけたこともあった(全て新品だったので、全部買ってきて売るなりプレゼントするなりできればよかったと未だに後悔)。
こうしたレコードハンティングを通じて思い知ったのは、バオバブというバンドの偉大さだった。こうしてまとめて見つかる一方で、譲渡交渉に難儀したのもバオバブのレコードだった。ある世代以上の人たちにとっては、それだけ思い入れの強いバンドなのだろう。
ダカールで出会った最初の一枚 "Baobab de Dakar / Gouye-Gui" も彼らのそのようなポジションを証明するレコードなのかも知れない。と言うのは、中に大判のポスターが封入されていたから(↑写真)。このような特典のついたレコードは、アフリカ盤では他に記憶がない。当時(このアルバムがリリースされたのは彼らが低迷期に入る直前の81年)のバオバブがそれだけ絶大な人気を誇っていたひとつの証拠なのだろうと思う。
そこでいきなり結論になってしまうのだけれど、バオバブがそうしたステイタスを勝ち得たのは、ラテンにソウルやらファンクやらサイケやらあらゆるサウンドを混ぜ込んで One & Only なバオバブ・サウンドを構築したからに違いない。例えばスタンダードなラテン・スタイルのコピーに終始した Dexter Johnson や Laba Sosseh などとは対照的。実際バオバブのメンバーたちにインタビューした際も「ンバラもプレイしたし、どんなサウンド・スタイルでも演奏していた」と語っていた。そうした彼らの自負は 2002年の復帰作 "Specialist in all Styles" というタイトルにも示されていた(といったこと、CDのライナーかどこかでも書きましたね)。
"Afro Latin Via Dakar" にはバオバブが7トラック。もちろん収録バンド/アーティストの中で最多。他のトラックもほとんど良いものばかりなのだが、バオバブの曲に移った瞬間、空気が一新する。そんなことろにもバオバブの凄さを再認識したのだった。
(明日以降もしばらくマニアックな話?を続けます。)
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・ "Afro Latin Via Dakar" (1)
・ "Afro Latin Via Dakar" (2)
・ Discography of Orchestre Baobab
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