2011年 08月 21日
SUKIYAKI TOUR 2011 (10) : Day 3 - part II
ゆったりと宙を泳ぐ2本の腕と10本の指先。
真綿を優しく引き延ばすような左右の手のしぐさ。
胸先に抱えた鞠を撫で付けるような動き。
音高を確認するかのように激しく上下する手のひら。
ふたつの瞳は、時に見開き、時に微笑む。
首を勢いよく振って声音をふわっと飛ばす。
右手で膝を打ってリズムをシフトさせる。
小首を右に傾げ、さあ行け!とばかりに合図を出す。
桃源郷の空の上から舞い降りてくるかのような声に浸りながら、
我が眼は、姫の瞳と指先と腕の細やかな動きに釘付けになっていた。
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14時半、ヘリオスステージ開幕。カウシキの歌声がついに聴ける。ここ何ヶ月もの間、毎日この瞬間を待ちこがれて続けてきた。
カウシキ Kaushiki Chakrabarty Desikan はインド・コルカタ(カルカッタ)在住の若手女性歌手。主に北インド(ヒンドゥスタニ)の古典声楽を歌い、国内外から高い評価を得ている。4年前に彼女のCDを聴いてからすっかり惚れ込んでしまい、機会を作ってコルカタまで聴きに行きたいとさえ思っていた。そんな彼女がまさかの来日、こんな日が訪れるなんて夢にも思わなかった。
そのようなことをまた思い返しつつ、円形劇場ヘリオスへ。カウシキだけは特に集中して聴きたいので、今日は朝から生ビールを飲みたい気持ちをじっと堪えている。こんなことは自分にとって滅多にない。
聴く場所には迷ったが、今日はカウシキの歌う姿をじっくり見つめたいと思い、彼女の真下、一番見やすいポジションを確保した。後方の方が音響条件が良いだろうとも思ったのだけれど、彼女のステージは初体験なので、まずは近くで拝見させてもらうことにする。
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定刻を少し過ぎて、ハルモニウムのアジャイ・ジョグレカー Ajay Joglekar とタブラのスバシス・バタチャルヤ Subhasis Battacharya を従えてステージに現れる。ステージを眺めて意外に思ったのは、座布団のようなものが用意されていないこと(長時間座すのは辛くないのかと思うのだが、インド音楽ではこれが当たり前なのか? そんなことすら知らない)。
下手(ステージ向かって左側)に座ったスバシスが、タブラをハンマーで入念に叩きチューニングを確認し始める。中央のカウシキが電気タンプーラに手を伸ばした瞬間、これから始まる演奏の基調音が漂う。そしてうっすらと声を発し、上手(右側)のハルモニウムと音合わせに入る。この時間がとても長く感じられて、いやでも期待に胸が膨らむ。
最初の演目はもちろんカヤール(北インド古典声楽の主要な形式)。まずハルモニウムの伴奏でゆったりとしたアーラープのパートを丹念に歌い始める。続いてタブラが加わると、空間は3人だけの世界。シーーンと静まりかえったホールには、妖艶で典雅で幻惑的な空気が広がっていく。
このアーラープは意外なほど短い時間に納め、テンポを早めて盛り上がる後半部に移る。タブラのビートが増し、カウシキはラーガ(いつくかの規則に従ったインド音階)に則って高速フレーズを連発、会場は一気に盛り上がり、ワザを決める度に大喝采。次第に音域を広げながら、これが5度も6度も繰り返す。通常は約1時間やるところを今日は約30分。超絶な歌唱を必至に追っていくうちに過ぎてしまった。
続く2曲目は何とカルナータカ。まさか南インドの曲を選ぶとは。しかしこれはインド音楽を全く聞いたことのない耳にも親しみやすそうな演目だった。彼女のCDはほぼ全て聴いてきたつもりだけれど、これだけノリの良い録音は記憶にない。きっと子供からお年寄りまで楽しめたことだろう。
そして最後はトゥムリ。可憐で優しくロマンティックな歌声がたまらない。正しく至福の時間が瞬く間に過ぎてしまった。もっと聴きたい!(けど、これは来週までじっとガマンだ。)
恐らく持ち時間は1時間と伝えられていたはずで、2曲目と3曲目はそれぞれ10分強。全体でも約1時間のプログラムだった。カヤールはアーラープ部を短くすることで派手さを演出するとともに、全体にリズムと旋律が明るくはっきりした曲を選んでいたのは、このフェスの客層を十分に意識してのことだったのだろう。
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それにしてもカウシキの歌声は実に素晴らしかった。伸びやかで美しい声。ダイナミックレンジも広く、歌い進めるに従って幾段にもステップアップして強めていく(こんな歌い方記憶にない)。音程も声調も全くぶれず、テクニック面で欠点がない。形容するなら「完璧な楽器」。それでいてひたすら暖かい。最前列ではPAの音が十分には届かないかと危惧したのだが、途中声に張りが増してからは声がホール全体に伸びていって、ひたすら気持ちよく響く。どこで聴くかなど杞憂だった。
感心したのは、意識してなのか分からないが、マイクやPAの特性を完璧に活かしていること。基本的に正面ではなく脇(左右の口元)にマイクを置いて澄んだトーンにする。かと思えば低いフレーズの箇所では口をマイクぎりぎりまで持っていって太い音色にする(専門的に書くと、「近接効果」で低音が強調される)。またまた、マイク正面で顔を素早く左右に動かして変化をつけたり、身体を反り返してふわっと声を飛ばしたりもする。
とにかく生で体感したカウシキの歌声はCDで聴くレベルを遥かに超越していた。声の美しさ、テクニックの高さ、表現力の深さ、いずれの面においても最高の歌い手だと思う。現在世界最高の女性歌手のひとりなのではないだろうか。少なくとも自分が今一番好きな女性歌手であることははっきり確認できた。
結局のところ、今夜のカウシキはどう表現しても足りないように思う。ただただ圧倒された。音楽を聴いて感動するとはこういうことなのだろう。これほどの体験は生涯でそう何度もない。
パキスタンの故ヌスラット・ファテ・アリ・ハーン、アゼルバイジャンのアリム・カシモフを日本で観たときも感動したが(もちろんユッスー・ンドゥールにも)、人の声に打ち震えたのはそれ以来だろうか。自分にとって今のカウシキはヌスラット級の存在だ。彼女に匹敵しうる女性歌手は、今世界を見渡してもパキスタンのアビダ・パルヴィーンくらいだろうかとも思う。
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公演中、カウシキの歌に集中しながら、彼女の眼や手の動きにも魅了され、それをずっと追っていた。歌とのコンビネーションが美しくて魅力的だったからだ。しかし残念ながらそれを写真で紹介することができない。
今回スキヤキでの写真撮影に関しては「慣れてるでしょうから(任せます)」といったように伝えられていたものの、カウシキだけはどこまで許されるのか直前に確認した。すると「後方とステージ袖からはOKだけれど、演奏中近くで撮るのは止めてください。歌に集中できないと言っていました。」との返事。ちょっと残念だが、これは至極当然のことだろう。それより嬉しく思ったのは、彼女がそれだけ真剣に歌うつもりでいると伝わってきたことだった。
カヤールが終わった時点で後方に移動して撮影することも事前に一応考えたのだが、演奏が始まると、もうカウシキの歌に集中することしか頭に浮かばなくなった。邪念を交えるのは勿体ないことだと心底思ったのだ。会場の誰もが同じ気持ちだったのではないだろうか。周囲からはそれくらい適度にリラックスした緊張感(矛盾する表現だが)のようなものが伝わってきた。
それでも歌い終えた瞬間にシャッターを押して撮ったのが下の3枚。彼女のステージ写真はピントの甘いこれらしかない。
オフィシャルカメラマンが福野と東京それぞれ一人ずつ入っていたので、その一部は後日公開されるのだろう。とても楽しみだ。
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カウシキの日本初公演が終えるとともに、感動の波が広がっていった。夢のようなひとときを与えてくれたカウシキ姫に感謝。
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(2011.09.02 記)
(続く)
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