2011年 10月 05日
SUKIYAKI TOUR 2011 (19) : Kaushiki Interview Part II
ー カヤールについては彼女自身の解釈をもう少し掘り下げてみたかったのだけれど、「基本的なことを」と前置きした分だけ一般論に寄ってしまったかも知れない。そんな反省をしつつ、古典声楽全般について話を進めた(幾分、とぼけて質問を投げかけながら)。
D: カヤールのかわりに(カヤールよりも古い形式である)ドゥルパドを歌われることはないのですか。
K: 私はドゥルパドは歌いませんが、インド古典音楽のほとんどはドゥルパドですね。私の場合はドゥルパドではなくて、カヤールで始めてそれからトゥムリに進みます。
D: でも 2007年にリリースした "Kaushiki" というアルバムでは、ドゥルパドも歌っていましたよね。

K: そう、あれにはドゥルパドも入っていました。(笑) あのアルバムのコンセプトは、インド古典音楽全ての形式の紹介でした。だから、ドゥルパド、カヤール、バジャン、ティラナなどあらゆるスタイルの曲が含まれたのです。
ドゥルパドというのは最も古い形式です。でも普段は歌わないですね。一番人気があって、広く演奏されているのは、やはりカヤールです。
D: この "Kaushiki" というアルバムがリリースされて日本にも入ってきたとき、ヒンドゥスターニを歌う北インドの声楽家が南インドの古典音楽(カルナティック)を取り上げていることが、日本の一部のワールドミュージック愛好家の間で話題になりました。実際こうしたことは珍しいのですか。
K: はい、そうですね。南インドの音楽家が北インドの音楽を演奏する、あるいはその逆のことが非常に少ないのは、とても残念なことですし、正しくないと私は思っています。「インドの音楽家」と自称しているのに、片方の音楽だけを演じるなんて、その名称に値しないですよね。
これこそ私がカルナティック音楽を3年間に渡って勉強した一番の理由です。チェンナイに通って、15日間ほど滞在して学び、また翌月に20日ほど滞在、というように3年続けました。そこで多くを学びました。私は「インド音楽」全体として学ぶことをしたかったのです。このことはとても重要ですし、もっと多くの声楽家が両方のスタイルを真剣に学び、歌うべきだと考えています。
そう言っても、私はやはり北インド(ヒンドゥスターニ)のほうが得意ですね。北インド音楽に対する、修行経験、コントロール能力、それに自信は、南インド音楽に対するそれとは比較になりません。
それでも、カルナティックの基礎を学び、システムを理解したからこそ、南北の両方を歌って、それらの間の近いところや違いを歌い分けることができるのだと思っています。
ー カルナティックを学んだことがヒンドゥスターニを歌う際、どのように役立ったか質問したのだけれど、このあたりはうまく話を引き出せなかった。残念。
D: ところで、カウシキさんがインドの古典声楽を開拓しているといった内容の記事をときどき目にします。ご自身では古典を新しくしていこう、再構築しようといった意識はお持ちでしょうか。
K: いいえ…。再構築といったようなことはないですね。(私が歌う音楽は)とても古い伝統を持ちつつ、すでにそれは時代を超え、生まれ変わってゆく力を秘めた音楽なのですから。
今の世代の音楽家たちが、唯一、音楽への影響を与えているのは、私たちの人生観や外の世界とのつながり、体験や理解の仕方といったものが、前の世代とは変わってきている、ということではないでしょうか。私たちは現在の自分の言葉、自分の人生観で、音楽を理解していきます。今の自分にとっての目新しさや惹き付けられるものを音楽に反映させるわけで、そのことで解釈が変わってくるのです。
本質は変わりませんが、私たちは人間として進化していっているので、そのプロセスが音楽に注ぎ込まれるのですね。自分の立場から音楽を眺めるので、捉え方に深みが増すのです。
カヤールという語の意味は、「想像」(imagination) です。人が想像するということには、その人間が反映されますよね。私の思考、夢、映像…、それらすべてがそこに映し出されます。そのような意味で、「私」という個人がその音楽に影響を与えるのです。重要なのは、曲の構成やルールなどではなく、構成から自分を解き放つことなのでしょう。
それでも、「規律」(discipline) は守ります。「型にはまること」と「規律を守ること」は違います。音楽というのは規律なのです。
例えば、あなたにはあなた自身の考え方や思考の流れがありますよね。でもそれはあなたを規制するような型ではなくて、あなたは想像力によって自分を解き放つことができます。あなたは自分という規律の中において自由なのです。
これって、とてもインド的な考え方ですね。インド音楽はインド哲学に繋がっているのです。
インドの人々や社会は自由です。例えば、私は13歳の時からもうかれこれ十数年、公演旅行を続けています。時には一人で移動もします。そして同時に、私には両親がおり、夫がいて、息子がいます。彼らは私を社会に根付け「規律」を与えますが、一方で私の自由を阻みはしません。それが規律ある自由なのです。自由に行動し、考えることができるのと同時に、しっかりとルーツを持っている。これが、インドの音楽であり、哲学なのだと考えています。
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2011.08.23 東京(撮影:石田昌隆)
> SUKIYAKI TOKYO(novus_axis)さんにご協力いただきました。
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(続く)
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