2011年 10月 06日
SUKIYAKI TOUR 2011 (20) : Kaushiki Interview Part III
ー カウシキが2歳のとき、母が彼女の音楽の才能に気づいた、という逸話がよく紹介される。歌い始めたころのことについて伺った。
K: 私は生まれてほんの数ヶ月で歌いだしたそうです。「ママ」や「パパ」といった、ちょっとした言葉を話しだすと同時に歌っていました。私が生まれ育ったのは音楽の家系で、祖父母も両親も歌っていて、いつも周りは歌であふれていたのです。
音楽は、暇つぶしであり、情熱であり、第二の自分であり、「癖」のようなものなのです。今でも私の暮らす両親の家では、皆がつねに口ずさみ歌っています。
そんなわけで、幼いときから音楽に対する愛情が芽生えたのですね。そして、なんとなく歌が形になってくると、音痴ではないようだし、曲に真剣に耳を傾ける、といった小さな出来事が重なって、私の母が、私の音楽性を真剣に受け止め始めたのでしょう。
また、私は(両親にとって)初めての子供だったので、強制はしないけれども音楽への愛情をもってもらえたらうれしいという希望はあったみたいです。私は音楽以外の遊び方を知りませんでした。そこで両親が少しずつ音楽レッスンをするようになりました。
R: そのように、ご両親は何か特別な才能をあなたの歌に見出したのですね。
K: まあ、1歳ぐらいの赤ん坊が、必ず正しい音感で易々と歌うのは特別だったのでしょうね。…よく覚えてないですけれど。
R: ご自分のお子さんにも、その才能が芽生えていますか。
K: 息子は今1歳と8ヶ月なのですが、ここ3ヶ月ぐらいで歌いだしました。当然ですね、常に音楽が流れ、音楽家たちが演奏し、私たちが歌っているのですから。歌いなさいなんて一言もいっていないのに、自分から好きでいつも歌っていますね。
音楽は学校に行くのとは違い、強制するものではありません。自然に湧き出たらうれしいですし、だめでもそれは仕方ないです。息子には音楽に繋がり、音楽を愛して欲しいと願っています。
夫婦で声楽家ですが、子供に音楽を強要しないと取り決めをしました。もちろん彼がもっと歌いたいようであれば、教えようと思っています。
ー 夫婦揃って声楽家だと息子に対する期待も大きいのかとも思ったが、そのあたりは現代的な考え方をしているようだ。実際、チャクラバルティー家は音楽を専門とする家系ではあるけれど、家族皆が音楽の方向に進んでいるわけではないと話していた。またご主人のパルササラティ・デシカンさんの家系は特に音楽一族といったものではないそうだ。
ー (そうしたことより、母となって音楽に対する変化があったかどうかを聞くべきだったかも知れない。)
ー 哲学を専攻していた大学時代のことについて尋ねると、こんな話もしてくれた。
K: 学生のとき、ノートに音符を書き連ねていたら、先生が訳の分からないことばかり書いている、と取り上げて両親に送りつけたことがあります。そうしたら、うちの父親はそれを見て、いやいや、これでいいんです、この子は音楽の道を進みたいのだから、そのままやらせてあげてくださいって、先生に言ったんですよ。
私はいつも音楽に夢中でした。ひとときも離れたことはありません。人が話しかけているのを聞きもせずに、歌ってばかりいました。
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2011.08.23 東京(撮影:石田昌隆)
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(続く)
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