2011年 10月 15日
読書メモ:サルバドール・プラセンシア『紙の民』
各所で絶賛されているメキシコ出身の小説家サルバドール・プラセンシアのデビュー作『紙の民』を読んでみた。いろいろな意味でとにかく変な作品だ。
夜尿症が5年間直らず女房に逃げられる主人公が土星と戦争するというストーリー。毛細血管まで紙で作られた人間やら、タイガーマスク(サトル・サヤマ)やら、金属でできたキカイガメやらが次々に現われ、途中からは作者プラセンシア自身がキーパーソンとして登場してくる。そんな人物たちが次々と現れて口々に語っていって、話はどんどん混沌としていく。気がつけば読み手までもがストーリーの一員として組み込まれてしまっている。
そうした話の筋を追っていくだけではかなり意味不明な物語。こうした特徴から、これも中南米文学のひとつと捉えてもよさそうだ。描写のひとつひとつは全く非現実的なのだが、その分面白いイメージが頭の中で膨らんでいく楽しさがある。またユーモアや哀しみが滲み出してくる文章でもある。おとなのためのおとぎ話のようでもあり、ポルノ小説のようなシーンもあり、プラセンシア家の伝記として読み取ることも可能かも知れない。こうした諸要素の重層ぶりは、ある面でピンチョン的であり、ある面ではガルシア=マルケス的でもある(プラセンシアはガルシア=マルケスから決定的な影響を受けた)と言っていいだろう。
独創的なのは文章と構成ばかりではない。ページを捲る度にレイアウトに驚かされるのだ。3段パラレルに進んだり、縦横併用されたり、文章がカットアウトされたり、印字がフェイドアウトしていったり、あちこち大胆に黒塗りがされていたり。極めて実験的でありながら、読んでみるとそれぞれに意味があることが分かる。元々英語版ではどうなっていたのかも気になって、原書(ペーパーバック版)"The People of Paper" も時々比較参照しながら読んでみた。
この作品、最初は紙から作られた人間のひとつの物語かと思って読み始めたのだが、読み進むごとに紙を巡る様々な物語が交錯していく。その背景に紙と人とのかかわり合いの姿が浮かんでくるのだ。つまりこれは著者自身の紙に対する愛情表現なのだろう。
日本語版の装丁も工夫されているし、アメリカでは電子版は作られなかったという。確かに「紙」があっての作品。著者に限らず、制作者たちの紙に対する愛情が伝わってくる書物でもある。
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