「遅読のすすめ」

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 この週末もアマゾンに注文していた本が3冊届いた。今月は結構なペースで本を買い続けている。<読書の秋>ということで、たまにはこんな月があってもいいだろう。おまけに私が読書好きと知ってか、いろいろな人が「この本読んでみて」と言って持ってくるものだから、読んでみようと思う本が溜まるばかり。

 こう面白そうな本が目の前に積み重なってくると、今読みかけの何冊かを早く済ませてしまいたいとついつい思ってしまう。けれど、それができない。私は読むスピードがかなり遅い方だし、かと言って飛ばし読みするのも好きではない。そのため、小説を解禁して読書量が幾分増えた昨年あたりからは読書に相当な時間を費やすことになっている。結果、音楽を聴く時間が減り(「ながら」もあまりしない)、外で呑むことも稀になってしまってもいる。

 もっとたくさん読みたいという、はやる気持ちを落ち着かせるために、今日は山村修の『増補 遅読のすすめ』(ちくま文庫)をゆっくり読んでいた。この本、ゆっくり読むこと、通読することの意味や重要性について丹念に語っている。そして、自分は決して間違ってはいないのだということを確認できた。まあマイペースで楽しむのがベストだろう。

 いやもっとゆっくり読んだ方がいいのかも知れない。理想的には普通のスピードで一度読んで、それからじっくり再読、再々読することかと思うのだけれど、さすがにそこまでは難しいかな。考えていたカズオ・イシグロの再読も、その前に気になる本が多すぎて、ずっと先送りになっている。

 時間をかける読み方は今さら変えようがないから、やはり読む本の選択が重要になってくるのだろうな。それがきちんとできているとは思えないけれど、余生(自分に残された時間)を思うとそのことを考えざるを得ない。



 同様のことは聴く音楽についても言えることだろう。昔はたくさんのレコードを聴きたかった、何でも聴いてみたかったけれど、今はもう無理。昨年だったら買っていただろうけれど、今なら買わない、というCDが毎年増えている。と言うことは、5年前、10年前だったら迷うことなく買っていたディスクの相当数をスルーしていることになる。

 過去にも書いた記憶があるが、レコード店を漁るよりも、自宅の棚をチェックする方が、楽しいし興奮もする。新しい音楽を探すよりも、長年愛聴してきた音楽をより深く楽しむ方が相応しい年齢になったようにも思う。昨日、アドリアーナ・カルカニョットの "A FÁBRICA DO POEMA" を4度ほど繰り返して聴いて、やっぱりいい作品だなと思ったし、こうした時間をもっと大切にしたいと改めて感じもしたのだった。



 また余談になるが、かつて書評に関わっていた知人が、「2週間に新刊20冊読むのがノルマで、これがキツイ」と語っていた。某音楽ライターに買ったCD全部聴いているのと訊ねた際、「ほとんどどれも一回ずつしか聴かないですね」と答えてくれた。「プロ」は大変だなと思う反面、これでは作品をしっかり味わうことは無理だろうとも思った。自分が書評やディスク評をほとんど読まず信用している書き手が少ない理由のひとつもここにあるようだ。



 使える時間は有限なので、最近はこのブログも気分転換程度になるべくさらっと書いて終わらせているし、書き上がらなかったものは「個人メモ」として非公開のままにしている。




 夜は過日 WOWOW の放送を録画しておいた映画『瞳の奥の秘密』を観た。確かによく出来ているし、面白かった。重層するいくつかのテーマ、細やかなプロットの構成。まあエンターテインメントなんだろうけれど、感じるところは多く、映画ももっと観たいと思ってしまった次第。





by desertjazz | 2011-10-23 23:00 | 本 - Readings

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