2011年 10月 28日
読書メモ:『文化系のためのヒップホップ入門』雑感
今話題の本、長谷川町蔵+大和田俊之『文化系のためのヒップホップ入門』(アルテスパブリッシング)を読んでみた(10/26 に読了)。
両人の対話は、いきなり「ヒップホップは音楽じゃない」で始まる。これでつかみはOK! まあこれは極端な表現だとしても、ヒップホップのゲーム性を見事に捉えた言い回しで、終始このスタンスをベースに論じ合っていく。他にも秀逸な喩えが散らばっていて、アーティスト名などの固有名詞を知らなくても、ヒップホップ・シーンの全体状況と歴史がすんなり頭に入ってくる。そう解釈すればいいのか、と膝を打つこともしばしば。
ヒップホップも歴史の見直しが重ねられている印象を受けた。ソウルやR&Bを支流として捉えるなど、正史/傍流が逆転していくような感覚は、大和田俊之の『アメリカ音楽史 ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで』、中山康樹『ジャズ・ヒップホップ・マイルス』とも相通じる。実際、振り返って頭に残っている論述が、どの本に書かれていたのか分からなくなっていることも多く、これら3者はある部分シンクロしていると思った。
なるべくCDなどの音を聴いて、少なくとも YouTube を参照しながら読めば理解が進んだだろうとも思う。だがそこまではやらなかった。それは、このジャンルには自分が積極的に聴く音楽は少ないことを改めて気づかされたから。その証拠に、第7部で「ヒップホップ的な楽しみ方をしているエンターテインメント」として例をあげられている3つとも苦手に(ほとんど拒絶)しているから。自分がヒップホップ/ラップをあまり聴かない理由を説明された気分だ。
最近の傾向で興味深く思ったのは、ヒップホップが内向化/フォーク化しているという指摘。自分は近年(マーケット向けのポピュラー音楽と共存する形での)コミュニティー・ミュージックやローカル・ミュージックの意味や、その延長上で生まれるパーソナル・ミュージックの様々なあり方(広がり方)に関心を持って考え続けているが、ヒップホップでも内向化しパーソナルなスタンスをもった作品が増えているというのは驚きだった(もちろん両者は同等なものではない)。しかもそれが、マーケット上でも成功しているという現象は面白い。
『アメリカ音楽史』、『ジャズ・ヒップホップ・マイルス』、『文化系のためのヒップホップ入門』の3冊はクロスさせながら再読してみると新たな発見もありそうだ。今度は少し批判的に読んでみたいとも思う。
♪
それにしても、アルテスパブリッシング/鈴木 茂さん、ヒットを連発していますねぇ。
♪
♪
♪