2011年 11月 30日
◇◇◇ 2011年11月の読書 ◇◇◇
119) アゴタ・クリストフ『ふたりの証拠』
120) カズオ・イシグロ『遠い山なみの光』(再読)
121) アゴタ・クリストフ『第三の嘘』
122) カズオ・イシグロ『浮世の画家』(再読)
123) アゴタ・クリストフ『昨日』
- - -) カズオ・イシグロ「日の暮れた村」(再読)
124) カズオ・イシグロ『日の名残り』(再読)
125) カズオ・イシグロ『充たされざる者』(再読)
126) カズオ・イシグロ『わたしたちが孤児だったころ』(再読)
127) カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』(再読)
今月読了したのは、またまた10冊。しかし例月とは異なってカズオ・イシグロ(とアゴタ・クリストフ)に集中、没頭した1ヶ月だった。
カズオ・イシグロの再読作業、いきなり始めて残り1冊とその目処がついてきた。村上春樹の長編とカズオ・イシグロの小説の再読という今年の目標がどうにか達成できそうだ。
(思い返すと、これまでにほぼ全作品を読んだのは福永武彦とインドネシアのプラムディヤ・アナンタ・トゥール(邦訳のみだが)くらいかもしれない。他にあと誰がいたかな?)
それにしてもカズオ・イシグロという作家はとてつもないスケールの存在だ。特に『わたしたちが孤児だったころ』と『わたしを離さないで』が達成している高みはどれほどのものなのだろう。
今回再読した動機は単純にもう一度読んでみたかったからなのだが、実際改めて読んでみて、カズオ・イシグロの小説は一作目から順に読んでいくことが断然面白く、また再読した時の方がずっと深く味わえたことが発見だった。順に読むことでイシグロ・ワールドの全体像が見え、それぞれの繋がりや個々の作品が結びついて描く世界も現れてくる(このことは村上春樹も指摘している)。
じっくり読み返して、ひとつの作品中で細かな連関が緻密に張り巡らされていることも発見だった。頭の中で完成したものを文章化しているからなのだろう(これは村上の書き方とは対照的)。再読して気がつかされたことが実に多かった。
(類似点を感じさせる村上の作品との大きな相違点は、イシグロの小説には性描写がほとんどないこと。そのことも思いながら『わたしを離さないで』を読んだのだったが、この作品で急にセックス描写が増える。
もうひとつ、村上との共通点について。どちらも大変な音楽好き。ジャズ喫茶を経営していた村上の小説には絶えず音楽が流れていて、ジャズに関する著作もある。ミュージシャンを目指していたイシグロの方は、音楽家が主題だったり主人公だったりする作品が多い。自分はそんなところにも惹かれているのだろうか。)
この1ヶ月間、神経を集中してカズオ・イシグロの6作品(+1)に取り組んできたことは、少々大袈裟に書くと自分の生涯で最大級の感動に浸り続ける日々だった。カズオ・イシグロを読むことは実に感動的体験だと思う。
しかし、さすがに消耗が激しく、もう頭も眼も、クタクタ、ヘトヘト。すっかり運動不足になってしまったし。来月『夜想曲集:音楽と夕暮れをめぐる五つの物語』を読み終えたら、読書は少し休もうかとも思う。
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