読書メモ:カズオ・イシグロ『浮世の画家』

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 カズオ・イシグロの長編第2作『浮世の画家』(1986年) を読了(再読)。

 人が年齢を重ねて自身の過去を振り返るとき、恐らく誰もが体験するであろう「にがい感覚」の描写。それは、自らの昔の振る舞いをまっとうに振り返り反省、後悔したり、あるいは自己弁護、自己正当化に陥っていたり。いずれもが独りよがりに振れたもので、本当のところは分からない。他者のひとりひとりの評価がまた異なるはずなので、なおさらだ。

 語り手である主人公、小野の自己否定を、周囲は理解せず訝しく思う様子がおかしい。それは実際全く裏のない反応であったのか、それとも小野を取り巻く人々の気遣いだったのか。

 いずれにせよ、老作家が昔を振り返って語るような趣きがある。

 1作目と2作目は日本が舞台であったからに限らず、第3作目以降とは分断された作品だと捉えていた。イシグロのことが会話に登ると、自身のアイデンティティーについて迷いが強く出た過渡期の作品だと話すことも多かった。だが、1作目『遠い山なみの光』よりも、3作目『日の名残り』により近い作品、似通ったモチーフを日本からイギリスに置き換えた作品とも言えるような思えてきた。

 イシグロ作品の中で一番地味に感じていたのがこの作品。再読してその印象は改まらなかった、それでもその凄さがやっと分かったような気がする。今回再読した『遠い山なみの光』ほどの面白みは感じなかったが、長編2作目で筆力は深まっているし、「重み」も増しているように思う。前作が個人史を背負っているのに対して、本作は社会の歴史を負っている違いのせいなのかもしれないが。

 特に印象に残ったのは、光と陰、匂いの描写。それは常に時代を写すものだ。戦中、戦後直後の日本体験を持たないイシグロがそこを描写したのはちょっとした驚きだ(解説では反対の評価だったが)。

 今年春先頃にカズオ・イシグロの評論集2冊を読んだときに悟った「時空の歪み」感はまるでなかった。

 やはり再読作業は面白い。イシグロ作品の中では2番目か3番目に好きな、次の第3作『日の名残り』がいよいよ楽しみになった。





by desertjazz | 2011-11-09 23:59 | 本 - Readings
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