2012年 02月 12日
Penang 2011/2012 - (24) : In The Forest ...
心地よかったことのひとつは「音の快楽」だった。
特に夜の帳が下りてから明け方にかけてホテルを取り囲む音風景こそは、自分の愛する類のものだった。見下ろした遥か先の街からの雑音が届かない夜更けに、暗闇の中、周囲の至るところで虫たちが鳴き続ける。その音はとても細やかな泡粒がそっとはぜるような柔らかさだ。そうした音が無数に重なり合うことで、まるで羽毛の海に沈んでいるような、あるいは柔らかなシルクに覆われているような不思議な感覚が生まれてくる。
うるさいのだけれど、とても静か。騒々しいのだけれど、穏やか。このように相反する2つの感覚が共存するのは、インドネシアのバリ島やスラウェシ島、あるいはアフリカ各地で体感した熱帯林の音環境と共通している。かつて大橋力(山城祥二)が人間の脳を刺激する超高周波が快楽を誘起していると研究発表したあの熱帯の音だ。ただし、バリや熱帯アフリカの音のような濃密さ、暴力的なまでの密度までは感じられない。
音の海に浸っているかのような心地よさに沈む一方、それと同時に抱くのは「遠音」感である。少しばかり遠くで鳴く音が、音空間の隙間からかすかに響いてくる。周りの他の音に打ち消される一歩手前で残りながらも、空間を伝わる中で滲んで輪郭が薄れるような音。夜ごとデジタルレコーダーで録音していたものの、どれだけ高性能な機器をもってしても録音・再生は不可能だろうことが分かるレベルのものだ。そうした柔らかい響きを耳にしていると、何ともいえぬ陶酔感に誘われる。
思えば、バリに通ううちに、ガムランは公演会場で聴くよりも、数100mあるいは数キロ先からうっすらと響いてくる音色を好むようになった。かつて武満徹が、日本人が「遠音」を好むことを語っていたことを思い出す。(田中優子『江戸の音』「遠音を楽しむ」河出文庫 P.130-132)
ふたつ目は「夜が確としてあること」の心地よさ。
自分はいつから夜を失ったのだろうか。子供の頃は昼とは別に夜がはっきりと存在していた。毎日夜が訪れると、身体も頭も全ての活動を終えてゼロレベルにまで落ちる。それが、やがて深夜放送を聴くようになり、明け方まで音楽を聞いたり読書したりするようになると、夜の存在が薄れ始めた。社会に出ると今度は朝まで飲み続けたり、徹夜で仕事したり原稿を書いたり。日々の生活の中で夜を感じることが減ってきた。昨日の昼が今日の昼と繋がり、今日の昼が明日の昼と繋がり、かつて確固として存在していた夜が消えていく。
しかし、マリホムのような山間の宿に留まり、テレビにもネットにも接しないでいると、夕食後はのんびり星空を眺めることくらいしかすることがない。読書を始めてもすぐに本を閉じ、外に出て森の音に身を預けながら、これ以上の贅沢はないと心で呟く。次第に無心になっていき、体内活動が静まっていく。そして、ようやく夜を取り戻せたことを感じる。自ずと床につくのも、目覚めるのも早くなる。
このように一日一日のリセットを繰り返すことで、また新たな一日を気持ちよく迎えられるようになる。自分の身体が、地球の動き、太陽の動きに合わせたリズムに戻り始めていることを感じる。生きものとしての本来的感覚を取り戻したような嬉しさがある。
心地よさの3つ目は「どこにいるのか分からない」という感覚。
生きている限りは私生活でも仕事上でも絶えず問題がつきまとう。なのでそうして生まれるストレスといかにつきあうか、どのようにして緩和・解消するかは現代人の誰もが抱える課題だろう。昨年は日本の内部に隠れていたデタラメな部分が一気に表面化した年だった。そのせいで日本にいるだけでひどく疲れを感じるようにもなった。目の前の現実から目をそらすひとときも時には欲しい。そう感じている日本人は多いに違いない。
自分にとってのストレス解消法のひとつは、日常とは異なる場所に移動することである。とりわけ異国に行ってしまった時の効果が大きい。今風な表現をすれば、これは自分にとっての心身のリフレッシュ法と言えるだろう。もちろん一時的な現実逃避でもあるのだけれど。
今回滞在したペナンは初めての土地だったせいか、マリホムの森の中にいる時「今自分はどこにいるのだろう」「何をしているのだろう」と気づくことが度々あった。そんな時は頭の中が空になっていることを実感する。少なくともこの瞬間だけは日常抱えていた問題が頭の中から消えている心の軽さを感じる。
実はこのような場所の喪失感はジョージタウンのGホテルに移動してきてからもあった。いったんホテルの中に入るとマレーシアらしさがなくなるからだろうか。特に部屋の中からはマレーシアらしさが排除されている。こうした環境が外界との繋がりを消し去り、日常を忘れさせたのかもしれない。マレーシアに来ていてマレーシアらしさを感じないというのは、まるで矛盾したように聞こえることだろうが、これも今回の旅の大きな効能だった。
このような3通りの快楽・心地よさは、なにも海外に限って得られるものではなく、日本の中でも見つけることは可能だろう。実際、周囲には、誰かの別荘を借りて休日を過ごす人、里山に住まいをもっている人、山荘を仲間数人で共同所有している人などがいる。移動のことを考えると国内旅行の方が楽に違いない。しかし、一気に国外に飛んでしまうことのメリットもいろいろある。自分にとっても海外旅行/国外滞在を優先する理由が数多くあるが、それらの中でも外国では極力日本語をシャットアウトできることが大きい。
今年も国内のいろいろな土地を訪ね歩き、気持ち良い空間や美しい音風景に出会いたい。そして年内にもう一度くらいどこか海外でも過ごしてきたいとも思う。
(完)
#
#
#