2012年 07月 17日
ポール・セローの旅行文学

ポール・セローの『ゴースト・トレインは東の星へ』を読了。2月に読み終えた『ダーク・スター・サファリ』がとても内容の深い作品だったので、彼の旅行記をもう一冊読んでみることにした。今回も読み応えたっぷりだった。
旅は誰かが書いたものを読むより、自ら旅立ち体験した方が面白いに決まっている。しかしポール・セローのこうした作品に接すると、旅について「読む」楽しみも感じる。旅行文学が成立する所以だろう。
『ダーク・スター・サファリ』ではアフリカ大陸の東側をエジプトから南アまで下っていく。『ゴースト・トレインは東の星へ』ではロンドンからアジア諸国を訪ね歩き日本まで、それからシベリア鉄道を西に向かいロンドンへ戻る。この2冊を読んで、ポール・セローは「プロの旅人」だと思った。
まず鉄道(多くは寝台列車)を使って移動していくというスタイルを確立しており、そのことで旅が一本芯の通ったものになっている。次に、訪ね歩く先は大都市や観光地に限定せず、小さな村落での探索も重視している。そして人との出会いと会話をとても大切にしていることも重要なポイント。超有名人から市井の人々まで分け隔てせず、彼らとのやりとりを自らの思索に結びつけていく(アフリカでは2人のノーベル文学賞作家、トルコでは同じくノーベル賞作家のオルハン・パムク、インドではチャール皇太子、日本では村上春樹に会いにいく。父、妻、戦争、オウムなどについて語る村上の部分は、彼のファンには一読の価値あり)。そうした上で、土地をじっくり観察し、その歴史と絡めて、考察をぐっと深めていく。
誰にとってもここまでの旅はなかなか難しいだろう。特に彼の旅は「長旅」なので、それだけで一般人にはほとんど無理。そこにも旅行文学を読むことの意味がある。著者に導かれ、やがて一体化して旅している気分になれるというのは、味わいのある読書だ。
ポール・セローはそのように国や土地、そこでの暮らしを読み手に紹介するに留まらない。彼の旅行記は次第に自分自身の内部を見つめるものへと深まっていく。誰もが読んで楽しめる作品であると同時に、彼の個人的な記憶や思索や苦悩の記録でもある。
そうした両面が色濃く現れるのが、かつて生活し働いたウガンダ、マラウイ、シンガポールの章。批判は手厳しいし、ちょっと悪辣ともとれる記述もある(人物描写が度を超していると感じることもしばしば)。
旅先で極めて美しい光景に出会った喜びは感動的に描く。その一方で、瞬時でも留まることが苦痛だと嘆いてしまう国や街の描写も多い。その両者に通底するのは土地や人に対する愛情だと思う。損なわれてしまった世界に対する哀しみが伝わってくるのだ。歴史や体制への痛切な批判の裏には底辺の人々に対する同情が感じられる。ベトナムではひとりのアメリカ人としての反省があり、そしてアフリカでは、彼らを救うには世界が、そして自分が何をできるかと考え続ける(半端なことをするのは逆効果との結論。また懐かしの地で裏切られもする)。
ポール・セローの個人的感想とは言え、読んでいて行く気が減じてしまった国が多い。今さら自分がそこを訪ね歩いても、何も得られないし、何も与えられないという気しかしない。そんな国に対しても、読んでいてやはり旅心がくすぐられる。ポール・セローの真似などとてもできないが、これからの旅について考える上でとても有益な案内書だった。
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この2冊を読んで痛感したことは、旅は「滞在型」よりも「移動型」が本来の姿だということと、人との出会いが一番記憶に残るということ。バックパックひとつで中国やアフリカ南部を旅したことや、アジアの路地や田んぼでの様々な出会いなど、自分自身の個人的体験をあれこれ思い出した。このことは書き始めると長くなるので、いつか改めて綴るか、誰かと語り合ってみたい。
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『ゴースト・トレインは東の星へ』で、今年読了した本がちょうど50冊。ここ数年と比較するとスローペース。昨年からじっくり読もうと取り組んでいる本もどれも進まない。他にもやりかけていることがことごとく中途半端なまま。今年はすでに海外に2度行き、国内出張も多く、加えて突然の転勤などで、まともな時間を確保しにくくなっているので、まあ仕方ないだろう。
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