読書メモ:マルセル・プルースト『失われた時を求めて』

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 長い長い旅を終えて、ようやく帰ってきた。
 
 と言っても、実際に旅行してきたわけではない。


 今年の目標のひとつは、長い小説をいくつか読むこと。2月に読み終えたロベルト・ボラーニョの『2666』に続いて、今度は、今夜マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』(鈴木道彦 訳)集英社版・全13冊を読了した。とにかくとてつもなく長い小説だったので、今は長旅からやっと戻ってきた気分だ。




 それにしても、まさか自分がこの作品を読む日が訪れようとは。最近まで全く想像すらしていなかった。

 いつのことだったか、パートナーがなぜかウチに置いて行った『失われた時を求めて』(集英社版)の第1巻をなんとなく読み始めたのは昨年12月のこと。若かった頃のように折角小説を再び読み始めたのだから、生きているうちになるべく古今東西の名作を読んでおきたい(そこまで大袈裟でもないのだが)、ここ数年来そんな風に考えている。あれこれ読み終えるうちに、20世紀最大の小説とも呼ばれるこの『失われた時を求めて』も頭の中に浮かんできたのだった。途中で放り出すことになってもいいから、まあ少しでも読んみようと軽い気持ちでページをめくり始めたような記憶がある。

 常識はずれなほど長大な作品だけに、どの翻訳版を読むかには慎重になった。まず、ちくま版は訳注が少ない(ない? 家系図が掲載されていない? 現在入手しくいようでもある)。読みやすさを重視していると言われる光文社の文庫シリーズはどうも自分には合っていないような気がするし、現在出版進行中。残るは、集英社版と岩波版。岩波版は図録も沢山掲載されていて、一番親切な作りなのかも知れないが、光文社版と同様にまだ翻訳が始まったばかり。半年ごとの出版予定で、今時点でまだ4冊目。ということは完結するまでにあと5年かかる計算だ(全14巻になる予定)。結局、訳注も詳細な集英社版がベストだろうと判断した。もし集英社版を読み終えて楽しむこともできた際には、次は岩波版で再読してみてもいいだろうなどと、とても不可能なことさえ考えながら。

 そんな風に 12月に読み始めてしばらくして、『失われた時を求めて』の刊行がフランスで始まったのが 1913年であることに気がついた。つまり来年2013年はちょうど100周年ということだ。これはグッド・タイミングかもしれない。集英社版は全13冊なので、毎月1冊ずつ読んでいけばその刊行100年の年末12月にちょうど読み終えることになる。平均1日20ページをノルマとすればそれは可能。これならどうにかこなせるかもしれないと、目標を定めたのだった。

 それでも、全体構造と結末が早く知りたくて、途中からは頑張ってペースを上げることになった。ボラーニョの『2666』を読んでいる最中にもそれと交互に読み続けていた。『2666』が辛くなったら『失われた時を求めて』を読み始め、『失われた時を求めて』が苦しくなったら『2666』に戻るといった具合に。結局目標より大幅に前倒しで、ちょうど5ヶ月で完読(特に後半の6冊は週に1冊ペースまで速まり、約40日間で読破した)。その間ほとんど、仕事してるか、寝てるか、プルーストを読んでいるかだけの日々だった(夜中に目覚めたときにもベッドの中で読んでいた)。




 この作品を読むコツは、まず第1巻目「スワン家の方へ <1>」を丁寧に読み込むことに尽きると思う。それをしないことには何も始まらず、その後の文章も理解できない。そして第4巻あたりまで進むことができれば、最後まで行こうという覚悟が定まる。ただ、5〜8巻はかなり辛い。4巻とも厚いし、冗長だし、意味不明な箇所も多い。9巻からはプルーストの死後に出版された未完成部分に突入するので、研究者ですら意味を汲み取れない箇所が増える。

 それでも、12巻目でここまでの苦労が報われる。この第12巻の終盤は正しく圧巻。哲学的/思索的でもあるため思わず一文ずつ丁寧に追ってしまうために、読書ペースは落ちるが、それも大きな喜び。そして、最終巻で全ての謎解き、種明かしがなされ、大団円。と行きたいところだが、読んでいる途中で忘れてしまったこと、とうとう分からず仕舞だったことがあまりに多すぎる。なので、やはりこれは、何度も読まないと理解は進まないし、何度読んでも理解しきれない作品なのだろう。

 登場人物もたいへん多いので、それらの名前とキャラクターを丹念に頭に入れていくことも大事。しかし、ひとりひとりの人物が本名と呼称を持っており、女性は結婚すると性(名字)が変わるし、名前を使わずに指示したり仄めかされたりすることも当たり前。さらにはどの人物も裏表を持っているように語られるので、覚えにくい。なので絶えず人名索引を参照することになるのは仕方がない。




 以下、自分のための読書メモ(とても多面性を持った作品だし、すでに様々に語られてきたことばかりだろうけれど…)。


・作品中で語られる内容がとにかく多岐に渡り、確かに百科全書を読んでいるような印象さえ受ける。中でも音楽、美術、建築、歴史などについての知識を与えられ、審美眼を試されるような傾向もあり。様々な芸術をトータルに楽しみたいと思っている自分のような者にとってはワクワクする作品。

・音に関する独特な考察がとても興味深かった。自身の思索と響き合うものも感じた。

・比喩表現の豊かさが圧巻。ひとつのものをこれだけ延々と言葉を変えて表現し続けられることが驚き。またひとりの作家がこれだけ多様な比喩表現を繰り出し続けたこともまた驚き。

・単に長いだけでなくて、様々な点でバランスが悪い小説。長くて、繰り返しが多くて、それでいて転換点となる重大事件は一言で済ませている。最後の2巻はもっともっと長くなるはずだったものを、自分の死期を悟り、そこから逆算して書き終えたかのよう。

・前半〜中盤は重厚な書きっぷり。それに対比すると、終盤は簡素にすら思える。だから、中盤までは書込み過ぎているように感じられ、どうしてこれほどのボリュームが必要だったのか最後まで分からなかった。多分プルーストはもっともっと書き加えて話を膨らませて、自身の頭の中に浮かんだイメージを吐き出したかったのではないだろうか。それを成し遂げるには100年も200年も必要だったかも知れない。とうとう未完成に終わった『失われた時を求めて』はプルーストにとってのサグラダファミリアだったのだろう。

・一見ダメ男物語。語り手はオルハン・パムクの『無垢の博物館』のスベルみたい。ならば、アルベルチーヌはフィスンか? パムクは自分にとっての『失われた時を求めて』を書きたかったのだろうか(と勝手な妄想)。

・同性愛話とアルベルチーヌへの愛がスムーズに理解できなかったエピソード。この本を読んでいると、世の中、同性愛者ばかりで、その傾向のない自分の方が異常だと思われてくる。

・小説の構造について、ちょっと面白い発見があった。

・ヴェネチアにまつわるシンクロニシティー。これについては改めて書こう。


・噂に聞いていたほどには文章は難しくない(句読点がほとんどないものだと昔から勘違いしていたのに気がついた)。翻訳が良いのか、案外読みやすくて、例えば同じフランス文学でもル・クレジオなどよりずっと分かりやすい。

・尋常ではない長さから、この作品はプルーストの私的喜びを満たす役割が大きいものと想像していた。しかし、読書を通じて見えてきたのは、彼の抱えていた大きな苦しみと、多くの人々に生きることの深い意味を伝えようとする強い意識だった。作品を通じて様々なことに気づかされるが、彼の本当に伝えたかったことをそのままの形で受けとめることは相当に難しいだろうと思う。それがこの作品が難解だと言われ続けることの本質のひとつになっているのかも知れない。

・この作品に関しては、読後すぐに感想をまとめることは無理。あとからじわっと浮き上がってくることが多そうだ。




 この小説を読むことを人に勧めるかどうかと問われると、さてどうかな? 感動を得られるかどうかは人それぞれだろう。適性ない人にとっては「失われた時を求める」ことになるだけかも。

 自分は割合人より読むスピードが遅い方なので5ヶ月かかったけれど(これでも一応忙しい社会人でもあるので)、読書に慣れた方ならもっと短い期間で完読可能かと思う。けれども、1年でも2年でも時間をかけて、じっくり噛み締めて読むのが理想かとも思う。


 読み終えて読書の醍醐味と大いなる達成感は得られた。けれど、『2666』の10倍くらいのエネルギーが必要だった。この5ヶ月間、呑みに行きたいとはほとんど思わなかったし、音楽を聴く気にもなかなかならなかった。なので、今は少し活字から離れたい気分。しばらくは何も読みたくないし、何も書きたくない、かな…。


(後から思いついたことを、随時追記中。)






by desertjazz | 2013-05-03 23:02 | 本 - Readings

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