2013年 06月 03日
読書メモ:ジュリアン・バーンズ『終わりの感覚』
2011年度ブッカー賞受賞作、 Julian Barnes "The Sense of an Ending" が日本語訳されたので再読(昨年暮れにすでに出ていたのに、不覚にも見逃していた。昨年中に読んでいたら年間ベストに入れていたかも)。原書で分からなかった部分がやっと呑み込めた。
60歳になり静かに晩年を暮らす時期にさしかかった男性。過去を振り返って語られる言葉は深く、生きること、死ぬことについて、じっと考えさせられる。バーンズの文章は一文一文の密度が極めて高い。
それでいてギリギリ最低限のことしか書かないので、丹念に読み込むことを求められるし、その内容から自ずと繰り返し読みたくなるような小説でもあった。(例えば、登場人物は少ないのに正確に覚えられない仕掛けになっている。だが、名前のひとつひとつがストーリーを理解する上でのキーポイントになっている)。
人生哲学の書かと思いきや、不可解な遺産相続をきっかけに、中盤以降は一転、ミステリー的な性格を強める。主人公はそうとは知らずに自ら仕込んだタイムカプセルを40年後に開けることになるのだが、それはまるで時限爆弾のようなものだった。生きることはすなわち苦しみに耐えることに違いないが、これほどまでの悔恨を強いる運命もあるだろうか。
明かされるのはそのダメ男振り。『無垢の博物館』『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』『失われた時を求めて』に続いて、自分が読む小説はダメ男物語ばかりなのかと、ふと思う。
そして、衝撃的なエンディング。読んだ瞬間には意味が分からず、関係を正確に理解するまでにしばらく時間がかかったほどだった。いくつかの疑問と伏線とが最後の1ページほどに収斂し謎解きがなされる。全く予想外な残酷さなのだけれど、ひとつの暖かい言葉が浮かんでくる不思議さもあった。
学生時代の仲良い4人組、そのひとりの謎の自殺、仲間関係の個々の繋がりの強弱に対する迷い、謎解き探索、等々、村上春樹の最新作、さらにはボラーニョ『2666』の第1部をちょっと連想させる構造でもある。訳者が同じ(土屋政雄)なこともあって、カズオ・イシグロに似たテイストも感じた作品だった。
(若干、書き加えました。: 6/3 深夜)
♪
♪
♪