2013年 09月 07日
読書メモ:ジャック・ペパン『エイズの起源』
ジャック・ペパンの『エイズの起源』(みすず書房)を読了。
エイズを発症させるウイルス HIV は、いつどこで誕生し、どのように世界中に拡散していったのか。その実像を、医療機関などに残された膨大な資料を集め、それらを徹底的に分析し、多種存在する HIV のパターン分布に基づき精緻な確率計算を施すことで解き明かしていく。
示された HIV感染ルートは「カメルーンの村→ブラザヴィル→レオポルドヴィル→ハイチ(とアフリカ各方向)→アメリカ(と欧州)」という明快なもの。しかもそれぞれの移動年次がかなりの確度で推定されていることに驚かされる(現在まで至るパンデミックな感染に繋がるひとり目の誕生は1921年とほぼ断定)。さらには、長距離を跨いでのウイルスの爆発的拡散のきっかけとなったのは、いずれもたったひとりの感染者によるもので、その「患者ゼロ」の存在まで明らかにしているのだから凄い話だ。
アフリカ中部に生息するツェゴチンパンジーがもっていた SIV(サル免疫不全ウイルス)が人間に転移することで HIV が誕生した。こうした類人猿から人間へのウイルスの受け渡しは過去数百年から2000年くらいの間繰り返されてきたという。しかしその間、人間同士の間での感染が一度も起こらなかった(せいぜい夫婦などの男女間での二次感染止まりだった)説明も分かりやすい。
そうした幸せな時代に終止符を打ったのは、植民地政策、奴隷労働、アフリカでの都市開発、売春、政治的混乱、宗主国主導の医療、支配者の愚策、売血、同性愛、等々が重なってのこと。その間に織り込まれるエピソードの数々もとても興味深い(医療行為としてのサルの睾丸移植だとか…)。
物語の中心的舞台として登場するのは、2つのコンゴ、コンゴ民主共和国(レオポルドヴィル/キンシャサ・コンゴ)とコンゴ共和国(ブラザヴィル・コンゴ)、それにカメルーンなど。19世紀終わり頃から20世紀中盤にかけてのこれらの国々の様子がたっぷり描かれている。特にコンゴ川下流域の開発と人口増加の様子を具体例を重ねて詳述。奴隷労働者や「自由女性」、売春婦といった階層の人々に関する記述が興味深く、もうひとつの「裏アフリカ史」としても読みごたえがある。
60年のコンゴ独立前後のキンシャサについては、例えばこのような調子。アフリカ音楽愛好家にも気になることだろう。
「戦後、レオポルドヴィルやブラザヴィルでは、ルンバ音楽に代表される都市大衆文化が花開いた。そうした都市文化の形成は、あらゆる種類の「酒場」の増加によって促進された。」P.112
「音楽と酒とダンスがレオポルドヴィルの賑わいを支えた。そのなかで、パパ・ウェンド、ジョゼフ・カバセレのアフリカン・ジャズ、フランコのバンド「OKジャズ」といったミュージシャンやバンドとともに主役を演じたのが「自由女性」であった。」P.113
「戦後、成功したミュージシャンは、定期的に川の両側で公演した。植民地支配の外にあった音楽は、二つの都市が一体化するための道具ともなった。」P.119
50〜60年代といえば、フランコたちが大活躍した時代。エイズと聞くと1980年頃に突発的に生まれた現代病といった印象が強いが、フランコたちの時代にその背後で時限装置のごとく組み込まれた病気だと知って、なんとも不思議な感じがする。
エイズという「悲劇から学ぶべき教訓は何か」(P.333)アフリカでの治療行為の際に繰り返された「滅菌されていない注射器と注射針の再利用」を振り返りつつ、著者はこう語る。
「人類が自然を完全に理解しないままそれを操作するとき、そこには何か予期せぬことが起こる可能性がある。(改行)このことは、人類の生存に対して長期的に最も脅威となるのは人類そのものである、という教訓を思い出させる。」P.334
「エイズがもたらした一つのメッセージは、善意の下に行われた介入が、良い結果だけでなく、微生物レベルでの危機的な状況の出現を思いがけずもたらした、ということである。」P.335
これらを読んで自ずと頭に浮かぶのは、遺伝子操作、自然環境破壊、放射性物質などが、将来人体に与える影響の程度が完全には予測不能だという現状だろう。『エイズの誕生』は現代の危機に対する啓蒙書ともなっている。
そうした主張を支えているのは、極めてロジカルな論展開。こういったものこそが科学的分析というのだろう。自分たちの都合だけを優先させ、誰も納得しない説明ばかり繰り返す、東電、官僚、政治家、原子力ムラの御用学者たちの眠い語りに辟易していただけに気持ちが良い(ムラ人たちも少しは見習ったら?)。
HIV 感染ルートを辿る旅は、まるで優れたミステリーの種明かしを読むかのよう。高野秀行『謎の独立国家ソマリランド 〜そして海賊国家プントランドと戦国南部〜』に続いて今年のベストブックス確定です!
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