2014年 04月 11日
読書メモ:リサ・ランドール『ワープする宇宙 5次元時空の謎を解く』、他
ジョディー・フォスター似(と敢えて書く)の理論物理学者リサ・ランドール『ワープする宇宙 5次元時空の謎を解く』を読了。延々 600ページ、相対性理論と量子力学と最先端の理論物理/宇宙論が続くので、この後に書かれた『宇宙の扉をノックする』よりもずっと難解だった。10次元宇宙と11次元宇宙とは一緒? 反ド・ジッター空間の双対性? カルツァ - クライン粒子が余剰次元を移動してエネルギー量が変化する? さすがにフラフラです。
余剰次元理論が「極小」をその都度都合良く解釈した一種の思考ゲームにも思えるけれど、そのトップダウン手法とボトムアップ手法(LHCでの実験など)とが合い支える関係に興味を覚える。
それにしても、『ワープする宇宙』から『宇宙の扉をノックする』までの数年間での理論物理の進化って早いなとも思う。
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続いてマーカス・デュ・ソートイ『素数の音楽』を読了。ゼータ関数とそこから生まれたリーマン予想を巡る物語。これも面白かった!
どちらも解答まで辿りついていない。もしかするとリーマン予想には実際答えがないのかも知れない(読んでそう思った)。リサ・ランドールたちの理論はあくまでも数多い仮説のひとつで、現実を映すものではないのかも知れない(読んでいて当っている可能性のあることも感じられた)。それでいて、これほどまでに読ませる。数学も物理も本当に面白い。
(その一方で、人類はどちらの答えも見つけられないで終わるだろうという思いも強い。そのことを再び考えている。)
グリゴリー・ペレルマンが遂に解決したポアンカレ予想の場合にしてもそうだったのだが、数学の未解決問題を証明する道具として物理が必須となっている現状は驚くべきことだし、とてもエキサイティングなことでもある。数学と物理が表裏一体となっているのは、2000年以上昔に戻ったかのようでもあるが、それは本来あるべき姿なのかも知れない。『ワープする宇宙』と『素数の音楽』も、終盤に至ってまるで双子関係のようだった。
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これら2冊を読んで多々思ったが、印象に残ったひとつは「人間模様」。リーマン予想も余剰宇宙論も正しいか/証明されるか保障がないのに、それでもそこに挑む人間たちの力強さと不安、同じ研究者同志の協力関係が生々しかった。
同時に現在の素粒子論/宇宙物理はどこかでボタンのかけかえが起きてはいなだろうか、といった素人考えも浮かんだ。どういった学会/研究分野でも、不可抗力的に、あるいは一部の人間の発言力が強すぎて、そうしたことが繰り返されてきたし、今後も起こりうる。
それは現在の STAP 細胞騒動(日本にはそれ以上の大問題が多くて、個人的には興味が湧かず)にも通じる面があるように思う。
リサ・ランドールは時々「女性研究者が…」といったように枕を置いて語るが、彼女自身、女性故に発言を抑えられたり、反対に余りに美人すぎるのでもてはやされた体験を重ねてきたのだろう。
音楽研究や美術評論などに関しても誰か有力者の発言が定説になる危険性が常にあると思う。なので「自分が好き/最高」と「普遍的/歴史的に良い・重要」との見極めが書き手にも読み手にも求められる。(書き手がそれを意図的にやっていると感じることもある。)
でもそれを完璧にできる人などいない。時にはその混同具合が面白かったりもする。芸にまで高めている凄い書き手だっている。ただ、自分はそうした文章を読みたいと思わない。それで、雑誌もライナーもブログもほとんど読まなくなってしまったのかも知れない。
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数論や理論物理を読みふけっている間に、ポーランドの小説家オルガ・トカルチュクの邦訳2冊目『逃亡派』と、チリのロベルト・ボラーニョ集2冊目『鼻持ちならないガウチョ』が出た。読みたい本がたまるばかり…。
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以上、取り急ぎ Twitter / Facebook からほぼ引用。
(少し追記しました。・・・いくつものテーマが折り重なっていて、考え出すと止まらない。4/11)
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