2014年 08月 03日
CONGO 1996 (Part 1)
アフリカを愛する人々、とりわけアフリカへの旅に思いを巡らす者にとって、ナイル川、ニジェール川、コンゴ河、ザンベジ川という、大陸の4大河は特別な存在であり、憧れの対象であるに違いない。
私について振り返ってみると、ナイルはいまだに我が目で見たことはない(ウガンダに発する白ナイルの源の近くまでは行った。ビクトリア湖の勇姿は目に焼き付けて来たが、この巨大な湖はナイルと繋がっていたのだったろうか?)。いつかエジプトかスーダンでナイルの流れを眺めてみたいものだ。
ニジェール川はロビ・トラオレのライブを聴きたくて、そして古いレコード盤を探しに行ったマリのバマコで、その上流を見た。しかし幅も狭いただの川。とても大河と呼べるものではなかった。それに対して、ナイジェリアのポートハーコート周辺でどこまでも扇状に広がってゆく河口の印象は強烈だった。マングローブが夥しく生い茂るニジェール・デルタをボートで巡ったのは最高の体験だった。
ザンベジはジンバブウェとザンビアの国境に位置するヴィクトリア・フォールズで、その瀑水と轟音を実体験した。100mを超える落差、圧倒的水量。その勇姿が余りに素晴らしくて、周辺のチョベ国立公園(ボツワナ)とワンゲ国立公園も含めて、1週間キャンプ/ロッジ生活をした。
残るはコンゴ河。この大河も1996年に訪れたコンゴ(当時の国名はザイール)で、いくつかの支流と合わせて目にしている。いや、目にしたと言うより、川岸に立って感動に浸り食い入るように見つめていたのだった。
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私がアフリカに初めて行ったのは1993年。その年の秋、マーク&ディーリア・オーエンズの『カラハリ アフリカ最後の野生に暮らす』(早川書房)を読んでいたときのこと。この本の舞台となっているボツワナ共和国の中央に広がる Central Karahari Game Reserve の西北部、ディセプション・ヴァレー Deception Valley という平原の描写に魅入られた。ここは現実離れした地球の果ての果てという印象が強く、「たとえ月や火星に行くことはあっても、ディセプション・ヴァレーに行くことは絶対ないだろう」と思ったほどだった。ところが、正に読んでいる最中に「ボツワナ出張」を命じられ、1ヶ月後にはディセプション・ヴァレーでテント生活をしていた。これほどの偶然が起こりうるものだろうか。
不思議な偶然は繰り返す。1995年6月、今度はピーター・フォーバスの『コンゴ河 その発見、探検、開発の物語』(草思社)を読み終えて、コンゴへの憧れが一気に膨らんだ。いつかコンゴ河を訪ねてみたい、そう強く思った。そして再びまさかの展開。翌年の春、気がつけば毎日コンゴ河を見つめて過ごしていたのだった。
人間、思えば叶うのだろうか。それとも、日々「知識の抽き出し」を増やして準備をしていたからこそ、偶然とも言えるような巡り会いが起こるのだろうか。
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1996年にコンゴ(ザイール)に行けたのは、その前年にエボラ出血熱が発生したから。コンゴ訪問の目的はその取材だった。今そのエボラが今度は西アフリカで初めて発症し、過去最高レベルで猛威を奮っている。熱帯病には昔から強い興味を持っているので、当時集めた文献などを取り出して読んだりもしているところだ。
最近は Los Barbados の店主、ダイスケさんの選曲からも刺激を受けて、フランコ Franco やヴェルキス Verckys などコンゴの古いレコードを聴くことが多くなっている。そのコンゴからはジュピテル Jupiter & Okwess International 御一行がまのなく来日して富山と東京でコンサートを行う予定だ。
2週間ほど前には、旅行家/作家の田中真知さんとお会いした。真知さんは、最近2度目のコンゴ河下りを実現され、その顛末に関する本を間もなく出版される予定だと言う。軽く酒を飲みながら、そのお話を伺ったり、コンゴに関する貴重な本を見せていただいたりしたばかりだった。
そのようなことが重なって、最近はすっかりコンゴのことに心が奪われている。96年に一緒にアフリカに行った仲間たちからも最近連絡があって、その当時の資料を見始めると、懐かしい思い出が次々と蘇り、書きたいことがどんどん浮かんでくる。
コンゴに関する話、しばらく続けるかも知れない。
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