2014年 08月 05日
CONGO 1996 (Part 3)
当時のインターコンチは西武傘下で、宿泊するとセゾン・ポイントを500ポイント得られた。日本がまだイケイケだった時代の話(遠い過去)。
以下、旅行記から。
「空港から街中までは 25km。まさかと思うほどの田舎だ。アビジャンやナイロビのようなビルが林立する首都ではなかろうと思ったが、ここまで整備のされていない都市とは…。450万どころか数万人規模の印象だ。空港の人々も、他の国にくらべれば、皆ひかえめであった。」(日記そのままの引用なので文章が拙い。以下、同じ。)
例えば南アフリカ共和国のジョハネスバーグやウガンダのカンパラが欧州と変わらない現代的高層ビルの集まりだったのに対して、バマコやキンシャサは正に「巨大な田舎」といった印象だった。今でも思い出すのは、土ぼこりにまみれたどぶ川の姿だ。
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昼食後にまた一眠り。これで少しフライト疲れが落ちただろうか。
初めて訪れた土地ではいつも、まず周辺を散歩して、空気感を掴み、土地の感覚に合わせるようにしている。しかし、ここはザイール。ホテルの周辺は危ないので、一人歩きはするなとも言われていた。それでも、ホテルのすぐ裏をザイール河が流れているのに気がついた途端、やっぱり我慢ができなくなった。誘惑には勝てず、短パン、Tシャツ、サンダルに着替え、パスポートと現金は部屋の中の分からない場所に隠し、ポケットにコンパクトカメラとわずかな現金だけを入れて外に出た。
「数100m先のザイール川に。ついに、この目で大河ザイール川を目に。川のほとりでしっかり見ることができるとは。夢がかなった思いで、太陽が沈んでいく様子をながめ続ける。すぐ足下では、丸木舟をこぐ男、漁網をたぐる男、唄をくちずさむ男。CONGO側の対岸からは、SOUKOUS が切れ目なく流れてくる。」
ここはキンシャサの中心部からは離れていたようで、本当に静かだった。対岸ブラザビルから流れて来る音楽が聴こえたくらいなのだから。
本当に美しい光景だ。川は軍事施設なので写真撮影は禁止なのを知りつつ、周囲を十分に確認した上でポケットからカメラを取り出した。するとどこに潜んでいたのか、銃を肩にかけた軍人が現れて「スパイか」と尋問が始まる。フランス語も英語もまったく分からない素振りで押し通していると、仲間も駆け寄って軍人が3人に。「連行する」と言われたときには、これはまずいことになったと焦る。(しかし日記には「やばいと思い始めるが、平常心。何とかなりそうという気が強くするからだ。」とある。この自信はどこから来たのだろう?)
押し問答をしていると、ひとりが突然「シガレット」と口にした。あー、やっぱりそうか。ただの脅しだ。タバコは持っていないことを示す。すると今度は「ビール」と来た。強請られて金を取られるのには納得行かないが、面倒だし、本当に連行されることになっても困る。ザイール初日、ここは妥協、観念してポケットから20ドル札を差し出す。
ところが、何故か受け取ろうとしない。そこでピン!と来た。
もう一度、旅日記から引用。
「20ドル札の代わりに1ドル札を3枚差し出すと、笑みを浮かべて受け取る。そして、握手までして別れることになった。その別れ際「ミリタリーに金を渡したなどと、絶対に口外するなよ」と、優しい口調の英語で釘を刺された。」
推測できる可能性は次の3つ。
・20ドル札だと3人で分けられない。
・20ドル札なんて見たことがなかったので、ビビってしまった。
・20ドルも強請り取ったと知られたら、後で受ける処分が怖い。
当時、軍人や公務員の月給は5ドルほどで、それも滞りがちだと聞いた。軍人3人にとっては20ドルなどという金は夢のような大金で、せいぜい1ドルもらってビールを飲むことくらいしか想像が及ばなかったのだろう。一般人や下級軍人の経済状態は、恐らく今でもそう変わっていないのではないだろうか。
ザイール滞在の初日からタフな現実に直面。それでも、コンゴ河の夕暮れは美しかった。
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