E. T. Mensah (2) : Notes by John Collins "E.T.Mensah - King of Highlife"

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 来月3月6日にイギリスでリリース予定の "E. T. Mensah & The Tempos : King of Highlife Anthology" (Retroafric RETRO24CD) 4CD が何故か渋谷の El Sur Records に先行入荷。一昨日26日に購入し、早速4枚のディスク(全69曲、194分)を繰り返し聴いている。

 一昨晩に4枚通し聴きした後には、メンサーの他のレコードも取り出して聴き始めた。気が向いたので、その次いでにダラダラ呑みながら E. T. Mensah のディスクグラフィーも作り始めてみた(随時更新中)。

 この CD セットにはジョン・コリンズ John Collins が執筆した "E. T. Mensah - King of Highlife" に、そのコリンズによる前文を加えた全66ページのブックレットがついている。ジョン・コリンズの著作は先日紹介したが、彼にはもう1冊 "E. T. Mensah, King of Highlife" という本(小冊子)がある。これも長年探しているのだが、どうしても入手できなかった。

 本盤の解説によるとその本は、1974年に行ったメンサーらへのインタビューに基づいて執筆したものの、ガーナ国内では出版社がなかなか見つからず、86年になってやっと Ronnie Graham の Off The Record Press から(イギリスのみで?)限定出版したという。そしてガーナでの出版(Anansesem Press)に至ったのは 1996年7月にメンサーが亡くなった直後だったそう。この本のガーナ版はすでに品切れだとも書かれている。

 しかし、今回リリースされたメンサーの 4CD のライナーはこの "King of Highlife" という本に追記・編集したものだという。これでもうガーナで出た本を探す必要はなくなったことは有り難い。


 さてそのブックレット解説、今日読み始めたら面白くて止まらない。英語は苦手なのに一気に読み通してしまった。

 個人的には興味深いことがたくさん書かれていたので、以下にその概要を整理してみた(ほぼ Tweet からのコピー)。よろしければ、ご参考まで…。




・Emmanuel Tetteh Mensah は 1919年5月31日、アクラの Asere quarter of Ussher Town の生まれ/ガ人 Ga tribe/7人兄弟?、父の妻は2人/父はギタリストで彼らから最初の音楽的影響を受けたと思われる

・兄 Yebuah とともに、教師 Joe Lamptey (Agra) が1924年に結成したスクール・オーケストラに参加、担当はフルート/ストリートを練り歩く

・1932年、スクール・オーケストラは Accra Orchestra に発展/'Gungadin'(P.7)

・1936年、Accra Orchestra → Accra Rhytmic Orchestra

・40年駐留軍人 Jack Leopard の元でバンドが組まれる Leopard and His Black and White Spots

・第二次大戦時で白人との交流が音楽面で与えた影響大/42年頃からトランペットの練習も始めた

・1947年 アクラに戻り Rhythmic Orchestra に(再)加入?/その後 Tempos に、メンサーはサックスを担当/Joe Kelly、Leonard Harriman との出会い、Tempos 結成の経緯(P.11)

・48年に自分の薬局を持つことで経済的に安定し、楽器を購入/近所の少年たちに教え始めたが、その中に Jerry Hansen(後に Ramblers を結成)もいて彼にサックスを教え始める

・初期のドラマー Guy Warren は店で白人と喧嘩となり問題化/48年頃 Warren がイギリスに滞在、それでアフロ・キューバンやカリプソなどの影響が強まった(〜P.15)

・メンサーは40年代末にはステージで喝采を浴びるまでに/50年ナイジェリア・ツアーで Bobby Benson に会う、彼はまだハイライフはやっていなかった

・帰国後バンド分裂/自身が中心に再編、密かに楽器を準備していたためにそれが可能だった/打楽器編成に工夫/52年初録音(5曲?)/ 'King of highlife' 名を拝するようになる

・クラブとの契約で意見が合わず再分裂/53年再編、若手起用、女性シンガーや Zeal Onyia が加入/同年2度目のレコーディング/同じ53年に自身もバンドもプロ化(〜P.20)

・54年またまた分裂/バンド分裂はレバノン人に騙されたから?/メンサー含む4人以外は Rhythm Aces へ(さらに→Rakers→Stargazers)/バンド維持のためにナイジェリア公演を繰り返す

・55年3ヶ月ロンドン、ステージでの客演多数、Ambrose Campbellとも共演/ロンドンでは Decca と HMV で録音。後者のために6曲作曲(P.21-22)

・パリ、マルセイユ、アビジャン経由で帰国/ロンドンの音楽ビジネスに感化され、クラブ経営を思い立つ → 自身のクラブ Paramount

・56年 Satchmo 来訪、空港で All Fo You を演奏して歓迎/コンサートとクラブでの共演は大混乱、映画撮影はどうなった?/問題多発の中(ガーナの聴衆はサッチモのジャズを理解せず)、影響を交わし合う、St. Louis Bluesもレパートリーに(〜P.29)

・ガーナ独立目前、ダンスバンド林立/57年ガーナ独立、彼のクラブ経営に悪影響/独立を祝して Ghana Freedom Highlife を録音、事前に聴いた大統領側からクレーム、すでに英国で1枚プレスし船積み直前だったが名前2人を消して再プレス/大統領に歓迎されたが、その後もガタガタ大問題(このあたりが面白い)

・ナイジェリア公演の連続で経済的に安定 → 53年にプロ化/54年?の第2バンド Star Rockets 結成はガーナ不在を埋める目的だった

・ナイジェリア公演の影響でナイジェリアで初めてダンスバンド・ハイライフのバンドが誕生 → Victor Olayia の Cool Cats、Rex Lawson のシンガー Dan Acquaye は元テンポス、等々影響大/反対にメンサーもヨルバのハイライフをレパートリーに加えることも(〜P.35)

・58年、かつてはハイライフを演奏していなかった Bobby Benson がナイジェリアでライバルに、ライブ中止、経済的に苦しくなり出す

・58/59年西アフリカ・ツアー Grand Tour、階級意識の強いシエラレオネではフロアを二分、価格も別に/ギニアでは脱仏の影響を観察(〜P.42)

・イギリスとフランスによる統治の差について延々語られる、そのために英語圏西アフリカで先に音楽が発達した、ギニアでは白人バンドばかりだった、等々(筆者 John Collins は英系)

・コンゴ音楽を初めてライブで聴いたのは57年/50年末にコンゴ音楽のレコードがガーナに流入、それを初めて演奏したのはダオメー人 Ignace de Souza 率いる Shambros(〜P.45)

・国営バンドが続々誕生し苦境に、国外公演も激減/多くのメンバーがバンドを離れ、第2バンドを解散しそこからメンバー補充/残ったのは息子の Nii-Noi (Chris Mensah) など20歳以下ばかり、音楽の好みが対立、若者たちはハイライフよりコンゴ/メンバーの勝手な振る舞いに対する諦め

・69年渡英、10週の予定が14週に、また金の問題/LP "African Ryhthms" 録音/ロンドンではレゲエも覚えて演奏/帰国後はレゲエやアフロビートも演奏、ガーナで初めてレゲエを演奏したバンドだが、国民はすでにレコードで聴いて知っている(〜P.52)

・後年の問題(P.53から):金で引き抜かれるメンバーを引き止められないバンド・リーダー、音楽家ユニオンの結成と頓挫、Highlifeという名は英語なので Osibisaba?に変更しようという動きが → 当然失敗、新しい音楽への挑戦 → ライブでは聴衆たちから(演奏が間違っているから)レコード通り演奏するよう求められる(ローカル音楽、ハイライフ、コンゴ音楽などではそのようなことはない)/

・80年代には表舞台からほぼ消える/ユニオンの重鎮として活動/78年と82年にレゴスでLP録音/86年Retroafricaによるリイシューの際、UKとアムスでプロモーション&ライブ(知らなかった!)(〜P.60)

・長患いの後、1996年7月19日没(本文中では語られず)




 この解説、内容は音楽分析よりも伝記。詳細で、バンド・パーソネルの変遷も時系列に紹介されている。強調されているのは、ハイライフの父と呼ばれる所以(ナイジェリアでも基礎を築いた)、音楽面でも挑戦者だったこと、苦労の絶えなかったこと。


 肝心の CD の内容紹介はまた改めて。





♪ 追記 ♪

 ブックレットには E. T. メンサーの生涯についてとても詳しく書かれていますが、最も重要なポイントは・・・


 地元に古くからある音楽(フレームドラムなどを使っていた)、19世紀後半から受け継がれてきた(ギター中心の)パームワイン・ミュージック、20世紀初頭に軍楽隊を通じて入ってきたブラスバンド・オーケストラのサウンド、40年代に(駐留軍など)白人たちがもたらした西洋音楽(スウィングやジャズなど)、(主にガイ・ウォーレンによるロンドン仕込みの)アフロ=キューバンやカリプソ、これらをメンサーがブレンドしてダンスバンド・ハイライフを完成させたこと、そしてそのサウンドがガーナやナイジェリアで大人気を博したこと、さらにはガーナだけでなく周辺諸国に同様なハイライフ・バンドの誕生を促し影響を与え続けたことです。だからこそメンサーは「キング・オブ・ハイライフ」と賞賛されたのでしょう。


(2015.03.03)






by desertjazz | 2015-02-28 21:00 | Sound - Africa

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