2015年 03月 01日
E. T. Mensah (3):テンポス誕生と全盛期の録音
E. T. メンサーのハイライフは本当にいいね! 半世紀以上昔とは思えないほどにモダンで洗練されたサウンド、とりわけ柔らかく芳醇で艶やかなトランペットとサックスのアンサンブルに耳をそばだてていると心がトロケそうになる。至福の境地也!
今回リリースされた E. T. Mensah & The Tempos の 4CD には Retroafric 旧盤2枚のトラックも全て再収録されている("All For You" の20曲と "Day By Day" の15曲)。そこに新たに 34曲追加されて全 69トラック。これでメンサーの Decca 録音の全貌はほぼ明らかになったのだろうか? それについて調べ始めたところなのだが、そもそも録音マトリクスのリストは持っていないし、SP が何枚発売されたのかも不明なので、明確な答えは簡単には出せない。
1952年の初レコーディングでは "Odofo Nuapa"、"Tiemansem"、"Tea Samba"、"Shemi-ni-oya"、"All For You" などが録音された。メンサーの最初の 10インチ盤はこの時の録音を集めたものなのだろう。
53年の2回目の録音では "St. Peter's Calypso"、"Nkebo"、"Baaya"、"Donkey"、"Calypso"、"Wiadzi"、"Tro Va Phe" などを録音。2枚目の 10インチ盤はこの時の録音が中心なのかも知れない。
今回の 4CD にはこれらの曲が全て収録されているわけではない。また "Tempos on the Beat" (Decca WAL 1009, 1959) という10インチ盤の曲もごっそり落とされている(いいアルバムなのに、選ばれたのは 10曲中の1曲のみ)。
それでも 50/60年代の録音の相当部分は今回リイシューされたのではないかと考えている。
♪ 追記 ♪
・・・と以下、かなり当てずっぽうで書いてみたのですが、全くのハズレでした。失礼しました。深沢美樹さんの Facebook にメンサーのディスコグラフィが掲載されていると聞いて早速拝見。やっぱり大量に録音していたのですねぇ。例えば世代の近い E. K. Nyame のバンドが 400枚ものレコードを作っているらしいので(*)、メンサーも同程度の録音を残している可能性も考えました。どうやら SP だけでもまだ半数以下しか CD 化されていないようです。深沢さんがお書きになった記事、大変参考になります。レコードのリストを見ているだけでもワクワク。
(*)'E. K.'s band made four hundreds records which were not only popular in Ghana but in Nigeria as well.' (John Collins "Highlife Time" P.xi )
(2015.03.03 / 03.10)
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というのは、John Collins の解説を読んで、E. T. Mensah の全盛期が案外短かったようだったことを知ったから。どうやら彼のピークはほぼ50年代の約10年間と見なしてよさそうだ。
40年代は、メンサーたちが、駐留英米軍の楽団やクラブにやってくる白人たちとの交流を通じて、またガイ・ウォーレンがもたらしたロンドンのカリビアン・コミュニティーの音(アフロキューバンやカリプソ)を聴いて、スモール・コンボによるダンスバンド・ハイライフを模索していた時期だった。この時期は第二次世界大戦の影響で Decca などによるレコーディングも長らく停止していたという。
メンサーが自身のハイライフを完成させ、初のレコーディングを経験するのは 1952年なので、彼が 33歳の頃。少々遅咲きだろうか。若い頃に白人がもたらしたジャズやスウィングと出会ったことで、ハイライフ・ミュージックを発展させることができたが、その反面 20代でレコーディングする機会は失ってしまった。そして50年代末になると、すでに後進たちとの世代交代も始まって、レコーディングどころか演奏する機会も激減していった。
ピークだった 50年代にしても、人気が高かった分クラブやコンサートでの演奏が多く、またバンドを経済的に維持するためにも数多くの公演をこなす必要があり、レコーディングどころではなかったのかも知れない。契約条件が不利なレコーディングを数多くこなしても、さほど利益には繋がらなかったことだろうし(それで、60年代に音楽家ユニオンの結成に注力することになったのだろう)。
なので 50/60年代の録音曲は膨大な数にはなっていないと想像する。80年代以降、やや懐古的に2枚のアルバムが制作されたものの、Decca 録音からコンパイルした今度の Retroafrica 盤 4CDは、メンサーのキャリア全盛期を伝えるに十分なものとなっているのではないだろうか。
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今日は他の資料を読んだり、関連音源をあれこれ聴いたりもしている。
"All For You" と "Day By Day" の日本語解説は、John Collins が執筆したメンサーの生涯をコンパクトにまとめたものになっていて役に立つ。これらの CD がリリースされた時点でここまで整理されているのは、John Collins の本を参照されたからなのかも知れない。
ジョン・コリンズ「西アフリカのポピュラー音楽 ハイライフ、パームワイン・ミュージックの歴史」(『季刊ノイズ 1』P.131〜15)も再度読み直してみた。やはりこれは日本語で読めるハイライフの資料としては最高のものだと思う。19世紀後半、西アフリカの沿岸諸国でローカルな音楽とアメリカから還流した音楽とが混じり合って新たに誕生した数々の音楽、とりわけ重要だったパームワイン・ミュージック、そこから流れ進んだ3つのタイプのハイライフ、英米駐留軍のオーケストラがもたらした多大な影響などについて実に詳しく綴られている。
E. T. Mensah 4CD のブックレット解説の基となった John Collins "E. T. Mensah, King of Highlife" からも多数引用されており、それらを日本語訳で読めたので、英文ブックレットで読みのがした部分をきちんと理解できたことは良かった。特に 40年以降、Tempos 誕生までの経緯に関する主要部分が訳されているのは有り難い。
「イギリスとアメリカの軍隊の音楽といえば、スウィング。彼らによって、西アフリカにこのダンス音楽を演奏するバンドがいくつか作られた。アクラにおける最初期のそうしたバンドのひとつが、1940年にスコットランド人のサックス奏者によって結成されている。彼は芸名をサージェント・ジャック・レパードといった。軍隊から募集した白人ミュージシャンだけではスウィング・バンドを組むことができなかったので、彼は地元のダンス・オーケストラから、楽譜の読めるアフリカ人ミュージシャンたちを引入れたのだった。そしてできたのが、レバーズ・ブラック・アンド・ホワイト・スポッツである。」(P.142)
「アクラでブラック・アンド・ホワイト・スポッツと同じ年に結成されたもうひとつのバンドが、テンポスである。これはガーナ人のピアニスト、アドルフ・ドクと、イギリス人のエンジニアでサックス奏者のアーサー・レナード・ハリマンによって創設された」(P.143)
「テンポスは初め、テナー・サックス奏者、ジョー・ケリーをリーダーとしていたが、1947年以降、E・T(サックスとトランペットの二役)が引き継いだ。」(P.144)
「このバンドが西アフリカで非常な成功をおさめるに至った決定的な要因としては、その他に、バンドのドラマー、コフィ・ガナーバ Kofi Ghanaba(当時、ガイ・ウォーレンとして知られた)によるところが大き。彼は以前ロンドンにいて(…)ガーナに戻ると、彼はテンポスにカリプソ独特のホーンのうねりと、アフロ=キューバ的なパーカッションを導入したのである。」(P.144)
こんな具合なので、西アフリカの音楽の歴史やハイライフ・ミュージックに深い関心のある方は、この雑誌を古本ででも探す価値は大きいと思う。
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いろいろ読み直して、忘れていたことが結構あることに気がついた。メンサーのキャリアとハイライフが成熟していくのに白人たちがなした役割も再確認。そして、ガイ・ウォーレンの存在がいかに大きかったことか。
ジョン・コリンズのブックレットには、ファースト・レコーディングの中の1曲 "All For You" は "Sly Mongoose" をベースにしていると書かれている。 "Sly Mongoose" はトリニダード・トバゴのカーニバル用に書かれた有名曲。そうだったかな?と思って(ハイライフは大好きなくせに、何故かカリプソは滅多に聴かない)、Lord Invader "Calypso in New York" を引っ張り出し、彼の 46年録音を聴き直してみた。確かにサビが全く一緒だね。ウォーレンがインベーダーのレコードを聴いたことで "All For You" が生まれたのか、それとも "Sly Mongoose" のレコードはすでにガーナに輸入されていて、メンサーたちはそれを聴いたのか。
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毎度のことながら、関連レコードや資料が次々と自宅から発掘されていて、それらをチェックし直すだけでも時間が足りない。なので E. T. Mensah のアルバムの紹介に全然なっていないかな?
(渋谷 El Sur Records に世界一早く?入荷したその 4CD は瞬く間に売り切れたようです。まあ、そのうちまた日本に入ってくることでしょう。)
(続く)
(言葉足らずだった部分を若干追記しました。2015.03.02)
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