2015年 04月 15日
パリ滞在記 2015(12)
■光の中のパリ(オルセー&オランジュリー)
午前7時起床。明け方に床についたのにも関わらず、今朝も自然と早い時間に目が覚めてしまう。まだ日本の時間感覚が身内に強く残っているのだろうか。
今回パリにやって来た大きな目的は3つ。デュパンのライブを観ること、クロ・ペルガグのライブを観ること、そして久し振りにオルセー美術館を訪ねることだった(結果的に、後からピカソ美術館とファーダ・フレディのライブが加わった)。オルセーはパリの中でも特に好きな美術館。そこが最近リニューアルされて、それ以降もう一度訪れるチャンスをずっと窺っていた。美術館は月曜休館/火曜休館のところが多くて、日程をパズルするのにずいぶん悩んだのだけれど、オルセーに行くのは水曜日の今日がベストと判断。なのにすっかり睡眠不足になるとは。反省してももう遅い。
ビールと竹鶴のアルコール分の抜けない身体を引きずって(この数年間、毎晩「竹鶴」を飲んでいて、今度もきっと飲みたくなるだろうと思い1本スーツケースに入れてきた)1階の食堂でしっかり朝食。
10時にホテルを出発。今度こそ完全に出遅れた。オルセーの入口前には予想していた以上の人の列。結局中に入るまで20分待ちだった。それでも文庫本を持っていったので待つ時間も大して苦にはならず。近年のルーブルの様子を見ていても端的に分かる通り、パリの美術館は年を追うごとに混雑振りが激しくなっているように感じる(昔はパリで美術館に入るのに並んで待った記憶はないのだが。中国人などの外国客の増加とそれを商売として利用する受け入れ側、といった話題は別の機会に)。そういった理由からも、入場日時指定のチケットの事前購入が呼びかけられているのだろう。
窓口ではオランジュリー美術館との共通チケットを求めたところ、しばらく待たされる。両方に行くならこの方が安いのだけど(16ユーロ)、そういった人は少ないのだろうか。

下の階から見て行くのが本来のルートらしいのだが、最上階(5階)まで階段を一気に登っていく。壁を暗色に塗り替え、天井から自然光を入れ替えたという印象派のエリア。最も混み合うだろうここを人で溢れる前に見たかったから。


確かに採光が自然で明るい。それにしても人が多いな。

まずはこれだよなぁ。上から射す光と絵画の中の光とが響き合っている。

これも名画。でも、改めて見ても不思議な作品だと思う。子供たちに何を説明しているのだろう?

表情がとってもいい。しばらく見つめ続け、また何度も戻ってきて見つめる。

外に出て小休止。セーヌ川の向こうにモンマルトルの丘を眺める。今日も天気がいい。


昨年5月に「開脚事件」で騒がせたギュスターブ・クールベの一角も今日はこの静けさ。
特別展「ピエール・ボナール」も一巡りして鑑賞。作品の質も作品数の点でもとても充実した内容だった。ここも激混み。そう言えば、お目当てにしていた作品のいくつかが館内のどこにも見当たらなかったな。ポンピドゥーかロンドンのどこかと混同してしまっているのだろうか。

お昼過ぎに外に出ると入館を待つ列は大分短くなっていた。開門に間に合わない時には少し時間をずらした方がいいのかも知れない。午前中は団体客も多そうだし(それでも中は混雑しているか…)。それにしても暑い!

セーヌ川を挟んだ川向いのオランジュリー美術館までのんびり散歩。木立が美しい。
お昼時とあって周辺の公園エリアには、ランチや読書を楽しむ人たち。こんな和やかさなひと時に、日本を離れて来ている心地良さを感じる。
13:20、そんな気分で初訪問となるオランジュリーの中に入ると、手荷物預けのオバチャンが思いっきり無愛想。うーん、ガマン、ガマン。



オランジュリーのモネの蓮の連作は画集で何度見ても全く魅力を感じなかった。色彩がくすんでいて重いような印象を受けてしまって。けれども実物を見て180度印象が変わった。光を受けた本物の色はとても艶やか。そして、この巨大な作品群が視界に入ってきた瞬間、分析的に見よう、何かを語ろうという考えが自然とすっかり奪われた。確かにこれは心をからっぽにして座って眺め続けていたくなる絵画だ。展示されている空間の形と純白の壁色の影響も加わってか、ぼんやり見ていると心が落ち着いてくることが不思議だ。(横長な作品なものだから、ゆっくり歩きながら動画撮影している子供たちが多いのは邪魔だったけれど。今はそれが流行なのかな?)
帰りしな、またあのオバンに会うのは嫌だな。そう思いながら出口に進むと、同じオバンが今度はにこやかに話しかけてきて、日本語についての質問もいろいろしてくる。騙されているのか、客を弄んでるだけなのか、それでも何だか気分は良くなってくる。悪い人じゃないんだな。折角の旅なので、こんな気分のままでパリを過ごそう。
(続く)
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