2017年 09月 18日
可愛い赤鬼(仮題) Klo Pelgag in Japan 2017(3)- 赤鬼の秘密
私は今回の初来日に際し、クロ・ペルガルを語る/クロ・ペルガグと語り合うに当たっては、基本的に謎は謎のままでいいというスタンスでいた(彼女は自分の中から自然と浮かんで来るものをメロディーや詩にしたり、衣装にしたりしているに過ぎない。その理由を問い続けることに意味はないし、そこから面白い話を引き出すことも無理だろう)。理解の及ばない部分については、それぞれが自由に解釈することに意味があると思う。
ただ、ひとつだけ懸念していたのは公開インタビュー(スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールドでのワークショップ)のこと。謎多いアーティストなので、どこまで本音で語ってくれるのか。かつてインタビューで質問への答えをはぐらかし続けた「前科」もあるらしい。そこで、まともに答えてくれないことまで想定してインタビューに臨んだのだが、いざ始まってみるとどんな質問に対してもストレートに答えを返してくれる。彼女にちょっと無理を強いているのではないかと感じ、突っ込んだ質問は取りやめたほどだった。
加えて、彼女はインタビューの最中「恥ずかしい」を連発。そういえば、フランスでライブを観た時も、スタンディング・オベーションを受けて、どうしたら良いのか分からないかのようにモジモジしていた。意外にも?彼女は結構シャイらしい。かつてのインタビューでのはぐらかしも照れ隠しだったのではないかという指摘も受けた。
確かに2年前パリで会って話した時、彼女はとてもフランクに接してくれた。今回の公開インタビューに関しても、彼女自身「とても楽しみにしている」と言っていたと聞いた。彼女と会った誰もが、クロはよく笑う素直な良い子だと語る。どうやら私自身が神経質になりすぎてしまったようだ。そのことはクロ・ペルガグに対しても悪いことをしてしまった。
とにかくクロ・ペルガグはステージ上でもサイン会でも上機嫌で、オフの時間もバンド仲間たちと楽しそうに飲み語らっていた(夜毎ホテル前での縁石には誰もがびっくり!まあ毎年のことなのだけれど、アーティストたちの名誉に関わる可能性があるので詳しいことは書きません)。クロは、音楽面、特に作曲に関して天与の才能を持っている一方で、普段は普通の若い女性。そうした等身大の姿に毎日接することができたのが、今回自分にとって大きな発見だった。
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クロ・ペルガグの、そんな素直さ、等身大さを感じさせられたエピソードをひとつ。
クロ・ペルガグについて徹底研究して分かってきたのは、彼女が人間の二面性/多重性に関心を持っていること(それは以前このブログでも分析した通り)。そして、そこから生ずる被り物(マスク)好きだ。そのことに気がついて以来、ファースト・アルバム "L'alchimie des monstres"(邦題『怪物たちの錬金術』)のジャケットに描かれた怪物がナマハゲを被った姿に見えて始めた。怪物と向き合う少女?もお面を持っている。クロのポートレートには何かを被っているものが多いことからも、彼女は意識的にあるいは無意識のうちに一種の変身願望を持っていて、マスクに惹かれている、と見て間違いない。
実際お面を渡してみると、彼女は思いの外喜んでくれた(ようだった)。これは本当にもしかすると、、、。
実は、日本公演の舞台演出をどうするのか、ちょっとばかり楽しみにしていた。フランスやカナダでのライブではメンバー全員が奇抜な衣装を身につけ、時にはステージの上が所狭しと雑多な物で溢れる(これも以前リポートしましたね)。しかし日本には最低限度のものしか持って来られないはずで、どうするのか疑問を投げかけたところ、クロは「日本で代わりになるものを探す」とのことだった。なるほど、その答えがこのマスクだったのか。
そんなことを思い出しながらステージを楽しんでいると、、、終盤の曲 "Taxidermix" で、プレゼントした赤鬼のお面を被って登場。期待していたとはいえ、さすがに驚かされた。(同時に心の中で歓喜!)そしてそのお面を使って楽しいパフォマンスを演じてくれたのだった。
だけど、お面を被ってくれたのは、自分の読みが見事に当たった!というよりも、彼女なりの日本人へのサービスに過ぎなかったのかも知れない。それでも、自分の分析が(多分)ある程度まで的を得ていたのだと思うし、一人のファンがこんな形でアーティストのステージングに関われるというのも、自分にとって新鮮で貴重な体験となった。
クロ・ペルガグの音楽世界は奇天烈とまで形容されるが(それには自分も多少の責任があるだろう)、本人は「自分の中から湧き上がってくるものを音楽にしているだけ。他人がどう言おうと気にしない」と来日中に語った。実際その通りに、ふとした思いつきや発想の積み重ねから彼女の作品は生まれているのだろう。