塚田健一『アフリカ音楽学の挑戦 伝統と変容の音楽民族誌』(2014) を読了(完読は今年31冊目)。
ザンビア北西部に住むルヴァレ人の、少年たちの通過儀礼で歌い奏でられる音楽を中心とした研究と、ガーナ沿岸部ケープコーストなどに住むファンティ人の宮廷音楽に関する研究、それのこの両者から演繹される論考。ルヴァレ音楽に関しては、精密な採録楽譜に基づきながら、そのリズム、ハーモニー、歌詞等々について論を展開する。学術論文に近い筆致であるだけに、一見当たり前のことをくどく語られている気分になるのは仕方ないところ。地理的にヒュー・トレイシー Hugh Tracey の採録やマイケル・ベアード Michael Baird の調査と結びつくものも期待したが薄かった。それでも、ルヴァレ人と我々(日本人、欧米人)との音楽の異同の捉え方が異なる理由を論駁するあたりは面白かった。
しかし、この本に興味を持った理由は後半のガーナ。「第12章 宮廷音楽ハイライフ様式の成立」を読みたかったから。そうでなければ、こんな高価な本など買うわけがない(と言いつつ、3年以上放置したままだった)。ファンティの宮廷音楽が幾段階の過程を経て、ポピュラー音楽ハイライフ的要素を受容し、大衆から絶大な人気を博していく様子が詳述される(より正確には、元々12拍子だった宮廷音楽が、近年興隆したカルチュラル・グループの影響を受けて、ハイライフ・リズムと近似した4拍子クラーベ・リズムを取り込んだ楽曲を生み出していく)。ファンティの宮廷音楽には歌を伴うのに対して、内陸部アシャンティ宮廷音楽は演奏のみで歌がないことにも興味を覚える。
「第11章 伝統的「著作権」意識の変容」も一読の価値あり。ジョン・コリンズのどの著作でも、ガーナとナイジェリアの音楽家協会の歴史と活動を取り上げていることとも響き合うように感じた。この本、ハイライフ以外についても彼の研究を頻繁に参照している。例えば、「ガーナでは、独立のはるか以前の二十世紀前半に「伝統的な」形式で娯楽音楽などさまざまな音楽ジャンルが新たに生み出されていたことをコリンズは明らかにしている」、「コリンズによれば、伝統と近代といった対立的な区分は西洋世界の創作であって、アフリカでは伝統的音楽はつねに創造され、再創造されてきたという」(ともに P.331)など。
(個人としても、世界中を旅して歩いて、著名ミュージシャンのものを含めて多数の歌と演奏を録音してきている。中には貴重なものも多く、「自由に使って構わない」と言われているものもあるが、非西洋圏における「著作権」に関して戸惑いがあるままなので、そうした録音は基本的に公開していない。)
あとひとつ。アフリカのポピュラー音楽に興味があるので、日々関連文献を探しているのだが、新著(主にアメリカでの出版物)には、音楽そのものについてより、その社会性について論述するものが多いように感じていた(それで買うことを躊躇することが多かった)。『アフリカ音楽学の挑戦』を読むと、確かにその傾向はあるようで、「(...) それらが音楽の分析からほとんど完全に離れて音楽の社会史研究になっている (...) 」(P.40)、「アフリカ音楽史の歴史においては、(...) 構造的アプローチは (...) 社会史的アプローチにとって代わられ (...) 」(P.336) と書かれており、その理由にも触れられている。こうした傾向がもたらされたのには、他の理由も浮かぶとともに、アフリカ音楽を社会の中に位置付けて考える意味と必要性についても再考させられたのだった。
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塚田健一さんの本はほとんど読んでいないかなと思いながら、書架をチェックしてみたら、『アフリカの音の世界』、『アフリカ音楽の正体』、スコラの『アフリカの伝統音楽』(スコラのプロジェクトとは少々関わりを持っていて、それとは別に献本いただいていた)の3冊は読んでいた。『アフリカ音楽の正体』は、ドラムで会話するという都市伝説?を打破した(慣用句はやりとり可能だが、あらゆる会話のやり取りは不可能)ところに、やっぱりと頷く。ルヴァレに言及した部分もあって、色々忘れているので、再読しようと思いながら、塚田さんの他の著作『文化人類学の冒険』『世界は音に満ちている』も手配した。
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