2018年 12月 09日
Surprising Art : Jheronimus Bosch / Fred Deux

美術に興味があるので、国内でも海外でも旅先では美術館によく足を運ぶ(昔カラハリ砂漠を一緒に旅した学者から「その国のことを手っ取り早く知るには、博物館に行くといいですよ」と教わってからは、なるべく博物館にも出かけるようにしている)。これまでに、ニューヨーク、ワシントン、サンフランシスコ、メキシコシティー、ロンドン、パリ、マルセイユ、マドリッド、バルセロナ、ローマ&バチカン、ヴェネチア、コペンハーゲン、アムステルダム、シドニーなどの主要なところは観尽くしただろうか。自分が特に好きな作品は何度も繰り返しじっくり観て満足しているのだが、それでも時にはそれらに匹敵するような鑑賞体験は突然訪れる。
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12月6日、神原正明の『「快楽の園」ボスが描いた天国と地獄』に続いて、『『快楽の園』を読む ヒエロニムス・ボスの図像学』を読了。それで思い出したこと。
2012年、E.H. ゴンブリッチの『美術の物語』を読んで、プラド美術館を観る必要を感じ、すぐにマドリッドへ飛んだ。しかしその時点ではボスという画家も『快楽の園』も知らなかった。これだけ美術が好きなのに。
しかしその分だけこの絵画を目にした瞬間の衝撃は凄まじかった。これは一体なんなんだ?? なんて楽しい絵画なんだ! ポップな色彩感、ディテールの細密さ、そして楽しさに交錯する恐怖。これが500年前に描かれたことを知った時のさらなる驚き。人間だけで400人ほど描かれ、しかも個々の構図や細部などが全て異なるため、いくら時間をかけても鑑賞し尽くせない。結局この作品だけで30分も費やすことになった。そう考えると、全く予備知識なしでこの傑作と対面できたのはとても幸せなことだった。
ボスの残した絵画は非常に少ない。点数ではフェルメール並だ。なので、その後ヴェネチアなどでボスの他の作品を追うことができたことも幸いだった。

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2017年11月、マッシリア・サウンド・システムのライブを観るため、フランス南部のリヨンに滞在した。その時も日中の時間を使って美術館を訪問。常設展には特段気を引く作品はなかった。しかし、ついでに覗いてみた特別展のフロアに入った途端に息を飲んだ。

展示されていたのはフレッド・デュー Fred Deux という画家の作品。多くが、白地に黒のライン、そして微かな色付け。自分の好む抽象画だ。パッと見には明るい色彩で、フォルムも楽しい。しかし、そこにあるグロテスクさにすぐに気がつく。どちらの特徴もまるでボスと同様だ。
一辺2メートルを超す大きな作品も多いのだが、いずれも極々細い鉛筆の線で描かれている。絵にぐっと目を近づけないそれを認識できないほど細かい。画家は何かに取り憑かれているかのよう。
描かれているものは、人間のようで、妊娠初期の胎児のようで、バケモノのようで。いや、醜さも抱えた人間の内面が喚起する要素を結びつけたかのようでもある。SF画も連想させるイメージからは病的なものが湧き出してくるようだ。

フレッド・デューの経歴を調べてみた。彼は 1924年、パリ近郊の都市ブローニュ=ビヤンクール Boulogne-Billancourt に生まれ、2015年に没している。初期にはポール・クレーに影響を受けた作品を制作していたが、1950年代末には後年まで続くオリジナルな線描スタイルを獲得。この画家との遭遇は、自分にとって久々にボス級の衝撃だった。しかし、どうやら世界レベルでは勿論、フランス国内でもさほど知られていないようだ。
会場では彼のカタログを買うことは諦めた。だが、今年10月にマルセイユでようやく手に入れることができた(ネットで買うことは可能だったが、送料が高いと思い、今秋フランスに飛ぶ少し前に Amazon.fr にオーダーし、現地で受け取った)。それで今は自宅でも彼の作品を楽しんでいる。縮小した複製では、細部まではよく分からないのだけれど、、、。




(昨年11月に「ようやく来ることのできたリヨンでは、美術館で衝撃的な出会い/大発見が待っていたのだが、そのことについてはまた別の機会に。」と書いたのは Fred Deux のことだった。)
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美術に限らず、何ごとも予備知識なしで出会った時ほど、その衝撃は大きい。まるで不意打ちを喰らったかのように。特に世間の評判など関係なく、自分の好む作品に巡り合った時ほど。音楽もまたしかり。だが最近は、そのような音楽体験はめっきりなくなったなぁ。
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