Richard M. Shain の "Roots In Reverse" に限らずどの資料でも、セネガルにおけるアフロキューバン・オーケストラの出発点はスターバンド The Star Band であったことが強調される。なので、クラブ・オーナーとしてスターバンドを生んだイブラ・カッセ Ibra Kassé と、最初期のバンド・リーダーだったデクスター・ジョンソン Dexter Johnson の二人こそ、セネガリーズ・ポップ黎明期の大立役者であったと言えるだろう。そのデクスター・ジョンソンなのだが、詳しく書かれたバイオグラフィーも見当たらないため、彼の経歴は結構掴みにくい。ありがたいことに、"Roots In Reverse" には彼に関する情報も多いので、他の資料も参照しつつ、その辺を少し整理してみたい。
Biography of Dexter Allui Johnson (1932-1981)
デクスター・ジョンソンは、1932年にナイジェリアのイバダンで生まれた。父は地元の診療所のディレクター、母は教師だった。当初は父の仕事を継ぐべく医療を学んでいたものの、程なくそれをやめて Samuel Akpabot Orchestra に加入。担当楽器はドラムだけだったが、次に加入した Lile Star Band というブラスバンドではホーン楽器を担当するようになる。
50年代しばらくラゴスのハイライフ・シーンで活動した後、リベリアのモンロビアに移動。それからマリのバマコへ移る。当時のバマコにはセネガル人プレイヤーが多数集まっており、ジョンソンは彼らと出会ったことで、1957年に今度はダカールへと活動の場を移すことにした。それはより多くの稼ぎを見越してのことだったようだ。
ダカールにやって来たジョンソンは、最初はハイライフを演奏していた。しかし、ここはハイライフが人気の英語圏ではなく仏語圏。そのため彼の演奏は見向きもされず、それで演奏スタイルを変えていくことに。ジョンソンは、やがてギニア人ギタリスト Papa Diabaté と出会い、Guinea Jazz などで共に活動。そして Moulin Rouge Club で彼らの演奏を観たイブラ・カッセがスターバンドのリーダーにジョンソンを据えることを思い立つ。そのアイディアを受け入れたジョンソンはスターバンドを率いて活躍することになる。
1964年、イブラ・カッセと仲違いし(と言うより、ダカールの実力者たちから説得され援助も受けてのことだったようだ)スターバンドを脱退。その後は自身が率いるバンド Superstar de Dakar やラバ・ソッセーが結成した Super International Band などで活動する(後者については実際どの程度あったのか再調査中)。1970年にはセネガルからも離れて、コート・ジヴォワールのアビジャンに拠点を移す。この頃は Manu Dibango や Boncana Maiga とも活動し、また渡米してレコーディングも行った。
ジョンソンが亡くなったのは 1981年、享年49歳。(Teranga Beat 盤のライナーノートには、誕生日も逝去日も同じ8月26日と書かれているが、さすがにこれは間違いだろう?)彼の葬儀を執り行ったのは(前回の記事でも触れた)Daniel Cuxac だった。
デクスター・ジョンソンのメイン楽器はテナーサックスだが、多数のブラス楽器をこなす結構なマルチ・インストゥルメンタリストだったようだ。また、彼自身が作曲することはなかったものの、大半の曲のアレンジを担当したらしい。彼はとても物静かな人物だったそうだ。しかし、配下のミュージシャンの演奏テクニックに関しては大変厳しく、周囲の人々は彼に対して尊敬と恐怖を抱いていたという。
数々のバンドを通じてジョンソンの芳醇でまろやかなテナーサックスは愛され続けた。とにかくダカール時代の彼は多くのミュージシャンたちにとって憧れの的で、誰もがなんとか近づきたいと思ったようだ。ラバ・ソッセー Laba Sosseh もそんな若者のひとりだったのだろう。スターバンドがガンビアのバンジュルまで演奏旅行に行ったとき、ラバ・ソッセーが「歌わせてほしい」と言ってきた。その時歌った "Guatanamera" を聴いたカッセとジョンソンが、ラバ・ソッセーを気に入り、彼をスターバンドに加入させたという。二人はスターバンドを抜けた後も多くの共演を果たす。ジョンソンがアビジャンに向かったのは、ラバ・ソッセーを追ってのことだったという話も伝わっている。ただし、ダカールを離れた二人が同じバンドでプレイすることは二度となかったという。
オーケストラ・バオバブ Orchestra Baobab のサックス奏者、イッサ・シソッコもジョンソンに憧れを抱いていた。イッサはジョンソンのテナー・スタイルを模倣したという。イッサが67年に録音に参加したレコードを持っていることに最近気がついたのだが、それを聴くと確かに彼のテナーはジョンソンそっくりだ(後日紹介予定)。セネガルのアフロキューバンは、パーカッションによるリズムを強調した激しいキューバのスタイルと比べると、ゆったりとしていてスムーズである。セネガルの音楽がそのようなサウンドを長年保ち続けたのには、ジョンソンの影響がかなり大きかったのかも知れない、などとも思う。
(2003年にオーケストラ・バオバブに初めてインタビューした際、イッサたち最初に質問したのはデクスター・ジョンソンのことだった。先日そのインタビュー・テープが自宅で「発掘」されたので、聞き直してみようと思っている。)
Discography of Dexter Johnson
1960年代前半、デクスター・ジョンソン在籍時のスターバンドの公式録音は存在しない。(しないはず? もしかすると SP 録音が残されていたりして?などとも想像してしまうのだが、、、。)スターバンド脱退後、セネガルで自身のバンドを率いた時代の録音はンダールディスク N'DARDISC などからリリースされている(60年代セネガルにはプレス工場がなかったので、録音テープをフランスに送って7インチのシングルやEPを作っていた)。手元にある7インチ盤と複数のディスコグラフィーとを照合した限りでは、以下で全てのようだ。リリース年は恐らく 1967〜1971年ころ。
N'DARDISC
No 45.08 : Laba Sosseh - Dexter Johnson et Super Star de Dakar (A) La Sitiera (B) El Loco
No 45.09 : Dexter Johnson - Super Star de Dakar (A) La Mujer de Oriente / Dexter le Invita a Bailar (B) Angelitos Negros / Lejana Campina
No 45.11 : Dexter Johnson - Super Star Dakar (A) Mini Compay / La Bicicletta (B) Seul
No 45.13 : Dexter Johnson - Super Star Dakar (A) Maria Helena (B) Yo No Quiero Lios
No 45.22 : Dexter Johnson Laba Sosseh (A) Seyni Kay Fonema / Ayo Nene (B) Aminata / Come My Love
No 45.24 : Dexter Johnson - Laba Sosseh avec le Super Star de Dakar (A) Yolanda Dime Que Si (B) Caminos de Ayer
PATHE
PF 11.602 : Dexter Johnson et Le Super Star (A) La Mujer de Oriente (B) Dexter le Invita a Bailer
ンダールディスクはジャケ写真の雰囲気がいいので、いくつか紹介してみよう(残念ながら、ダカールで集めたものの大半はコンディションが良くないのだが)。
アビジャン時代にはアルバムを2枚?リリースしている。製作は Daniel M.J. Cuxac。タイトル通り、トレスやヴァイオリン(ソロとアンサンブル)をふんだんに盛り込んだ、真性キューバン・スタイルのサウンドだ(1967年12月、ニューヨーク録音?)。恐らく彼の現役時代のアルバムはこれらだけだろう。
Estrellas Africanas de Dexter Johnson "Conjunto Estrellas Africanas Volume 1" (Disco Stock LPDS 7901)Dexter Johnson & Estrellas Africanas "Vol 2 - Manisero" (1979)
ジョンソンが亡くなった後の CD 時代に入ってからは、私家録音などを復刻したアルバムがいくつかリリースされている。Dakar Sound の音源は Moussa Diallo によるもので、ジョンソンが在籍した 1964年のスターバンドの録音が3トラック含まれている価値は大きい。(スリーブは記事のトップに掲載)
"Dexter Johnson & Super Star de Dakar" (Dakar Sound DKS 016, 1998)"Starband - Superstar de Dakar - International Band featuring: Dexter Johnson" (Dakar Sound DKS 017, 1999)Dexter Johnson & Le Super Star de Dakar "Live a l'Etoile" (Teranga Beat TBLP 019, 2014)
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ここまで書いて、次は Orchestra Baobab、そして Dexter Johnson と関わりの深かった Laba Sosseh について書く準備をしていたところに、とても興味深い情報が飛び込んできた。それを参考に早速調べているのだが、新たに色々なことが判明してきた。なので、ここに書いた内容に関しても後日追記したいと思う。
(続く)
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