History of Star Band


 スターバンド The Star Band de Dakar は一体いくつあったのだろうか? かねてからそんな疑問を抱いていた。今回、セネガルのこの名門バンドに在籍した歴代メンバーの遷移を辿ることで、その答えを探ってみることにした。

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 一般にスターバンドのアルバムは12枚リリースされたとされている。Ibrahim Kassé Production / Star 盤の IK 3020〜 IK 3031 で、その後、仏 Sonoafrica / Sonodisc によりリイシューされている(ただし後で触れるように12枚全部ではないようだ)。

1) Star Band de Dakar (IK 3020)
2) Star Band de Dakar (IK 3021)
3) Star Band de Dakar (IK 3022)
4) Star Band de Dakar (IK 3023)
5) Star Band de Dakar Volume 5 : Orchestre Laye Thiam (IK 3024)
6) Star Band de Dakar Volume 6 : Orchestre Cheikh Tall et Idrissa Diope (IK 3025 / SAF 3025)
7) Star Band de Dakar Volume 7 : Orchestre Laye Thiam / Orchestre Saf Mounadem (IK 3026 / SAF 3026)
8) Star Band de Dakar (IK 3027)
9) Star Band de Dakar (IK 3028)
10) Star Band de Daka Volume 10 (IK 3029 / SAF 3029)
11) Star Band de Dakar (IK 3030)
12) Star Band de Dakar (IK 3031)

 これらのアルバムに記載されたパーソネルを確認すると、メンバー構成がかなり変化しており、サウンド面でもアルバムによって大きな違いが感じられる。スターバンドはメンバーの入れ替わりが激しかった。もしかすると、ミュージシャンたちが一斉に脱退した直後、その穴埋めに他のバンドを連れてきて、彼らに「スターバンド」と名乗らせたこともあったのではないだろうか? その有無を検証してみたい。加えて、これら12枚は録音年もリリース年もクレジットされていないので、その特定も試みたいと考えた。


 スターバンドはイブラヒム・カッセ Ibra (Ibrahim) Kassé がダカールで結成したバンドである。彼は若い時期にしばらくフランスで過ごし、その後セネガルに帰国、いとこが経営するレストラン Le Bon Coin Parisien のマネージャーに就任した。そして1960年4月4日にセネガルが独立するタイミングで、レストランをクラブ・ミアミ Le Miami に変えるのに合わせて、ハウスバンドを作ることを思いつく。

 バンド結成に当たってそのメンバーは Guinea Jazz や Tropical Jazz などから呼び寄せたという。(スターバンドの結成を1959年とする資料もある。何れにしても、メンバー集めは1959年頃から始まっていたのだろう。また余談になるが、アフロキューバンを中心にポップス全体を「ジャズ」と称したのは、コンゴやギニア、さらには日本などとも同様な傾向だったことは興味深い。)結成時のリーダー、ナイジェリア生まれのデクスター・ジョンソン Dexter Johnson は Guinea Jazz からスカウトされ、同じく結成メンバーの一人のマディ・コナテ Mady Konaté は Tropical Jazz の中心ミュージシャンでもあった(ただし、Tropical Jazz とい名称は Star Band より後に誕生したというのが私見)。最初期のスターバンドは、英語圏、ポルトガル語圏、フランス語圏のミュージシャンの集まりで、しかもセネガル人はたった一人だったという。これは大変珍しいことで、それもあって彼らはダカールにおいてインターナショナルなグループとしての評判を高めていったのだろう。

 クラブ・ミアミ Le Miami Bar Dancing はメディナの中心エリア Av. El H. Malick SY x Rue 16 にあった。ちなみに、後年スターバンドに加入するユッスー・ンドゥールの家は、ここから数ブロック先だったと伝えられる。

 ところで、オーナーのカッセはとにかく評判が悪い。彼はバンドを我がものとして自由に振る舞い、気に入らないメンバーをクビにすることも厭わなかったという。そのため、メンバーとの対立は絶えず、ギャラの安さもあってバンドを抜けるミュージシャンが多かった(長年ギタリストとして活躍した Yakhya Fall は、最新インタビューで「Tyrant だった」と答えている)。


 各アルバムのクレジット、および様々な資料(書籍やライナーノーツ)を参照して、バンドメンバーの変遷をまとめたのが上の表だ。もちろんこれはまだまだ完全ではないので、随時追記と修正をしていきたい。(とにかく資料を当たる度に食い違いばかりで、この表は様々なデータの最大公約的なものと思ってほしい。)

 ◎はオリジナルメンバー(あるいは最初期のメンバー)。ただし文献によって食い違いがある。◯は在籍したことを意味する。枠内の数字は、そのアルバムでリードシンガーを務めた曲数。


 まずは結成直後の主要メンバーをあげておこう。デクスター・ジョンソンが脱退する 1965年(64年?)頃までの 60年代前半を便宜的に「第1期」とする。先に書いた通り、セネガル人以外のミュージシャンがずらりと並ぶ。

Star Band (Period I) 1960-1965

Dexter Johnson (sax) from Nigeria
Bob Armstrong (tp) from Liberia
Mac Kenzie (tp) from Liberia
José Ramos (g) from Cape Verde
Amara Touré (vo, timbales) from Guinea
Many Konaté (sax) from Guinea
Harrison (b) from Nigeria
Lynx Tall (per) from Senegal

 65年にジョンソンは、自身のグループ Super Star de Dakar を結成するために脱退。彼は最初にスターバンドを抜けた一人だった。同じ頃、ガンビア出身の名ソネーロのラバ・ソッセー Laba Sosseh(64年または65年加入)やパペ・セック Pape Seck(67年加入。64年とする資料もあり)が加わる。彼らが中心的役割を担った 60年代後半を「第2期」とする。ソッセーはカッセとジョンソンがスカウトしたものの、ジョンソンとカッセーの2人がスターバンドで共演した期間はとても短かった。

 この時期のメンバー構成は正確には把握できていない。中心メンバーだったパペ・セックは、ヴォーカル、フルート、サックスをこなすマルチプレイヤー。サバール・ドラムとンバラのリズムをスターバンドに持ち込んだのが彼だとされる。また、67年に彼が作詞作曲した "Mathiaky" がヒット、アフロキューバンとサバールのリズムを結びつけたこのナンバーはウォロフ語とスペイン語で歌われた。68年に脱退してからは西アフリカ諸国を渡り歩き、アビジャンで Negro Star を結成。ここでジョンソンとソセーとも合流したようだ。

 60年代の終盤には、70年にオーケストラ・バオバブ Orchestre Baobab を結成するミュージシャンたちがスターバンドに集まっていたことも注目点だろう。

 次の70年代前半を「第3期」としよう。パペ・セック、ヤヤ・フォール Yakhya Fall (g)、マゲッテ・ンジャイ Maguette N'Diaye (vo)、ドゥドゥ・ソウ Doudou Sow (vo) らが中心的存在だったようだ。しかし彼らもまた新しいグループを結成するために脱退。"Star Band 2" と名乗りたかったが、それをカッセが拒絶したため、Star Number One などの名前を冠することとなった。

 そして70年代後半の「第4期」、1975年(76年?)に若きユッスー・ンドゥール Youssou N'Dour が加入し大人気となる。(ユッスーは12歳の時からスターバンドに出入りしていたとする資料もある。彼は 1959年10月生まれなので、それは1972年頃だ。)ところが、またまた脱出劇が巻き起こる。自分たちのバンドを組みたいと考えたユッスーたちが、77年(78年?)に一斉離脱してしまう。

 これでバンドは消滅・解散と思いきや、1980年に脱退したパペ・フォール Pape Fall が 84年に復帰。イブラ・カッセは 1992年7月12日に死去するが、その後スターバンドは Kasse Star に改名、1993年にはファースト・カセットをリリースしたと伝えられる。


 以下、各アルバムの参加メンバーをざっと見てみよう。

Star Band de Dakar Vol.1 (IK 3020)

José Ramos (g)
Pape Seck or Papa Seck (vo, sax, fl, arr.)
Maguette N'Diaye (vo)
Pape Djiby or Papa Djibril Fall (vo)
Malick Ann (vo, tumba)
Badou Diallo (timbales)
Thierno (alto sax)
Moustapha N'Diaye (b)
M. Casset (arr.)

 アルトサックスの Thierno は、ハラム Xalam などでも活躍し、現在はバオバブに在籍するチエルノ・コワテだと思う。

Star Band de Dakar Vol.2 (IK 3021)

Yakhia Fall (g)
Mansor Diagne (g)
Saliou Dieye (sax, fl)
Maguette N'Diaye (vo)
Doudou Sow (vo)
Malick Ann (vo, tumba)
Badou Diallo (timbales)
Mamané Fall (tama)
Khaly Ndiaye (b)
Mar Seck (vo)
Bala Cidibé (vo)

 Bala Cidibé はバオバブのバラ・シディベ Balla Sidibe だろう。ベースはバオバブのシャーリー Charlie Ndiaye だろうか? Mar Seck と Bala Cidibé は裏ジャケットのパーソネルリストには名前がないが、盤面のレーベルにはリードシンガーとして記録されている。

Star Band de Dakar Vol.3 (IK 3022)

(以下のパーソネルの原典は不明?)

Mar Seck (vo)
Laba Sosseh (vo)
Doudou Sow (vo)
Badou Diallo (timbales)
Malick Ann (vo, tumba)
Amadou Tall (tumba)
Mamané Fall (tama)
Yakya Fall (g)
Nanjane Ndiaye (g)
Idi Kasse (b)
Magatte N'diaye (vo)

 ラバ・ソッセーが4曲、ドゥドゥ・ソウが3曲でリードをとっている。マゲッティも1曲歌っているが、オリジナル盤にはクレジットされていない。

Star Band de Dakar Vol.4 (IK 3023)

Mar Seck (vo)
Laba Sosseh (vo)
Doudou Sow (vo)
Badou Diallo (timbales)
Malick Ann (vo, tumba)
Amadou Tall (tumba)
Mamané Fall (tama)
Yakya Fall (g)
Nanjane Ndiaye (g)
Idi Kasse (b)

 Vol.3 とほぼ同一のメンバー構成だったと思われる。

 次の Vol.5 から Vol.7 の3枚では、メンバーがガラッと代わっている。これが今回解き明かそうとしている謎の発端だ。

Star Band de Dakar Vol.5 : Orchestre Laye Thiam (IK 3024)

Abdoulaye (Laye) Thiam (tp, vo, chef, arr.)
Eddy John (vo)
Yao Kuassi (g)
Amairy Lolo (orgue)
Djinhoué Félix (b)
Djiguv Diakaté (dr)
Emmanuel Sangaré (manacas)

Star Band de Dakar Vol.6 : Orchestre Cheikh Tall et Idrissa Diope (IK 3025 / SAF 3025)

Cheikh Tall (arr.)
Idy Diope (vo)
Seydina Wade (vo)

 彼ら3人以外のパーソネルは不明。

Star Band de Dakar Vol.7 : Orchestre Laye Thiam (IK 3026 / SAF 3026) Side-A

Abdoulaye (Laye) Thiam (tp, vo, chef, arr.)
Eddy John (vo)
Yao Kuassi (g)
Amairy Lolo (orgue)
Djinhoué Félix (b)
Djiguv Diakaté (dr)
Emmanuel Sangaré (manacas)

 Vol.5 と同一メンバー。maracas はマラカスの誤記だろう。

Star Band de Dakar Vol.7 : Orchestre Saf Mounadem (IK 3026 / SAF 3026) Side-B

Barthélémy Attisso (g, chef)
Balla Sidibé (vo)
Médoune Diallo (vo)
Issa Cissoko (sax)

 全員がオーケストラ・バオバブの面々。わずか4人ながら、まぎれもないバオバブ・サウンドを聴かせる。

 続いて第4期のアルバム。ユッスーが在籍したこの時期はパーソネルがほぼ固定している。おそらく短期間で録音されたからなのだろう。

Star Band de Dakar Vol.8 (IK 3027)
Star Band de Dakar Vol.9 (IK 3028)
Star Band de Dakar Vol.10 (IK 3029 / SAF 3029)

Mar Seck (vo)
Papa Fall (vo)
Laba Sosseh (vo)
Seck Diack (vo)
Alla Seck (vo)
Youssou N'Dour (vo)
Laye Thiame (tp)
Idi Kassé (b)
Manjour M'Boup (g)
Salés Thiame (as)
Assane Thiame (tama)
Kanté Alefa Seynl (g)
Abdou Fall (tebale)
Natar Queue (toumba)
Alla Seck (maracas)

Star Band de Dakar Vol.11 (IK 3030)
Star Band de Dakar Vol.12 (IK 3031)

Youssouf N'Dour (vo)
Papa Fall (vo)
Alla Seck (vo)
Ibra Kassé (p)
Cante Alfa Seyni (g)
Nabe Baba (g)
Matar Gueye (toumba)
Rabé Fall (toumba)
Idi Kassé (b)
Abdou Fall (timbales)
Assane Thiam (tama)

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 以上のようにスターバンドのメンバー構成は激しく変わり続けてきた。それでも、改めてメンバーの変遷表をじっくり見直すと、やはりスターバンドというユニットはずっと存在し続けていたのだろうと思える。デクスター・ジョンソンの脱退、ラバ・ソッセーの一時離脱、バオバブ、ナンバー・ワン、エトワール・ド・ダカールの結成を目的とする中心メンバーの退団といったように、スターバンドは少なくとも5度にわたって大きな危機に直面した。その一方で、ホセ・ラモス José Ramos 、パペ・フォール、マー・セックのように、期間をまたいで長年活動したメンバーもいたからだ。

 バンドがずっと続いていたと考える大きな理由は他にもある。スターバンドはダカールのトップバンドであったため、ミュージシャンたちの憧れの的であり、有望なミュージシャンを採用するのに苦労はしなかったからだ。スターバンドは若手たちにとって学校のような役割も果たしたというから、若いミュージシャンたちにとってはスターバンドで鍛えられることは絶対的に有利だった。そのために、多少メンバーが逃げて行ったところでさほど痛くはなかったことだろう。

 もう一つの理由は「スターバンド」というステイタスの大きさだ。新バンドの結成を目指した誰もが、スターバンドを名乗ろうとした。自分たちこそがスターバンドなのだという自負がよっぽど大きかったのだろう。しかし「スターバンド」の命名にはカッセが絶対的権利を主張したため、それは叶えられなかった。結果、新バンドの名前に Super Star や Star Number One のように Star を残したり、Etoile de Dakar のようにフランス語表記にされたりすることとなった。

 ただし、70年にバオバブを結成するため、バルテレミ・アティッソやバラ・シディベが突然いなくなったことは、カッセにとってよっぽどショックだったらしく、クラブ・ミアミを数週間閉めたほどだったという。

 そうしたことを考えると、スターバンドは長年にわたって安泰であったと言い切れない可能性もある。表を見て一番謎なのは Vol.5〜7の3枚の内容だ。他の時期のスターバンドとはメンバーがほとんど重ならない。サウンドも、スターバンドの売りだったアフロキューバン・スタイルからかけ離れている。これらはスターバンドが活動停止していた期間を一時凌ぎするための代替バンドだったのだろうか?


 そうした疑問を解くべく、各アルバムの録音年ないしリリース年の特定を試みた。

 まず、Vol.8〜12 はユッスー・ンドゥールが参加しているので、76〜77年頃の録音であるのは明らかだ。しかし、他のアルバムがさっぱり分からない。

 最初にヒントにしたのは、Vol.7 のB面。オーケストラ・バオバブのメンバーだけなので、Orchestre Saf Mounadem はバオバブの前身バンドだったのと考えてみた。だとすると、これは彼らがスターバンドを抜ける直前、69年または70年の録音となる(ただし、サックスのイッサ・シソッコはスターバンド自体には在籍しなかったとされている)。よって、録音順にアルバムが制作されたとすると、この Vol.7 までは70年までの録音となる。

 もう一つのヒントは、Vol.1 に 1972年に加入したパペ・フォールがクレジットされていること。しかしこれは上の仮定とは矛盾する。Vol.2〜4 には 76年に脱退する Number One 組が多いことからも、Vol.4 までは70年代前半の録音と考えた方が自然だ。

 ラバ・ソッセーの経歴がよくわからないことも話をややこしくさせた。60年代後半にアビジャンなどに滞在した後については、何を読んでもニューヨークでの活動に話が飛ぶ。しかし色々調べたところ、どうやら彼は70年代初頭にダカールに戻っていたらしいことが掴めてきた(それでも、彼が率いた Super International Band や Vedettes Band の N'Dardisc 盤がいつどこで録音されたかなどについては未だに不明)。彼は Vol.3 と Vol.4 でそれぞれ4曲リードシンガーを務めているが、これらを60年代前半の録音とするには無理があるので、73年以後としか考えられないだろう。逆に彼の名前がクレジットされていない最初の2枚はそれ以前の録音、つまりは 72年頃である可能性が高い。いや、そもそも60年代にセネガルでLPは作られたのだろうか?

 以上を総合すると、Vol.5〜7 は70年代中頃、74年か75年のアルバムと考えた方が辻褄が合う。

 Vol.1〜4 も実は75年にかなり近い年に発売されたのではないだろうか。それを示す根拠がいくつかある。1999年と2002年にダカールで入手した中古盤の多くには、購入日または入手日と思われるメモがある。これが案外貴重な情報なのだ。私が大量に集めたスターバンドのレコードのうち、Vol.1 と Vol.2 の1枚ずつに ’1975’ と書かれている。レコードの元の所有者の買った日付だとすると、レコードの発売年は74年か75年だったと推測される。

 この Vol.1 と Vol.2 のファーストプレスは、一辺約32cmのやや大判ジャケットとともに、重量盤(測ってみたら 180g前後あった)なのが特徴だ。しかし Vol.3 以降については、どれも薄いレコードばかりで重量盤は全く確認されていない(Vol.4 についてはその可能性が若干あるのだが)。ところが、なぜか Vol.12 だけは全てが重量盤。しかも、レーベルは Vol.1 などとそっくりのデザインなのだ。このことは12枚のアルバムが割合短期間に制作されたことを示唆しないだろうか。

(また余談になるが、確か Bar Bossa の林さんがどこかにお書きになった文章によると、ブラジルのレコード面に名前書きなどがあるのは、レコードを持ち寄った際にそれが誰のものか分からなくなるのを防ぐためだったからなんだとか。当時はそれだけレコードが貴重だったのだろう。ダカールで入手したレコードの大部分にも名前などがはっきり書き込まれている。そのことで思い出したのは、"Roots in Reverse" で描かれたレコード・クラブ・パーティーの様子。ブラジルとまるでそっくりな光景が頭に浮かぶ。)

 今回データを整理していて、オリジナル盤には 'Vol.' といった表記が一切なく(訂正:Volume 4 にはあった)、また Vol.5, 6, 7 には Star Band の表記もないことに、今更ながら気がついた(フランスプレスの Vol.5 だけが例外)。また 'Vol.' 表記のあるリイシューにしても見つけられたのは SAF 3025, 3026, 3029 の3タイトルだけだった。他についてはいくら探しても見当たらないので、" Star Band Vol.1" 等々と題されたレコードは果たして存在したのだろうか? こうしたリイシュー盤の表記を鵜呑みにしたことで、12枚全てがスターバンドのアルバムなのだという刷り込みが強くなってしまったのかも知れない。

 そう考えるに至って、Vol.7 が 1975年頃のリリースだと確信が持てるようになってきた。と、ここまで書いたところで、Orchestre Laye Thiam や Orchestre Saf Mounadem がカッセのセカンドバンド的な存在だっとする記述に出会った(そういえば、そんなことを昔にも読んだ記憶がある)。そう考えると、いよいよ頭の中がスッキリしてきた。

 70年の脱退劇でカッセを激怒させたはずのバオバブのメンバーたちが、なぜカッセと和解できたのか、なぜカッセが彼らを録音する気になったのか、やっぱり不思議だ。1975年のアルバム5枚分の録音というマラソン・セッションを行ったバオバブが同時期、カッセのもとでも録音を行った理由がわからない。だが、カッセにとっては、相次ぐ大量脱退への対応策としてバックアップ・バンドを用意しておきたかったのだろうか。あるいは、スターバンドへの人気の高さもあって、連日クラブを営業するためにはバンド一つでは足りず、第2グループを持つ必要もあったのだろうか。考えるほどに、色々なケースが想像される。

 バオバブにしても、クラブ・バオバブでの仕事を得て、さらにはメンバーが固定化させることで、一見安定期を迎えたようだが、実際にはどうもそうではなかったようだ。(2007年のパリ公演でのこと、バオバブの楽屋でインタビューした時に、1975年の一連のアルバムをメンバーの誰もが持っていないことを知って驚いたのだった。自分たちのレコードすら買えないほど経済的余裕などなかったのだろうか?)75年に名盤 "Bamba" を完成させる Le Sahel の3人、Cheikh Tall、Idy Diope、Seydina Wade らにとっても、そうした事情は似通っていたはずだ。(この3人が揃っていることも、Vol.6 が 75年頃に録音された可能性を高める。)


 以上の分析から得られる結論。

1. スターバンドは30年を超える長き期間にわたって存続し続けた。
2. Vol.5, 6, 7 の3つのバンドはスターバンドではなく、カッセによるサブグループだった。
3. Vol.1, 2 の録音/リリースは 72年か73年、Vol.3, 4 は 73年か74年、Vol.5, 6, 7 は74年か75年、Vol.8, 9, 10 は76年頃、Vol.11, 12 は77年頃と推測する。


 こうしたことは、セネガル音楽の研究家、あるいはバルテレミやイッサなどバオバブの誰かに訊ねた方が早かったのかもしれない。でも、イッサに再会できたとしても、2003年にインタビューした時と同様、「そんなこと、もういいだろう」とばかり、またさっさと席を立ってしまうんだろうなぁ。


#

References

・Discography


・Books

Richard M. Shain "roots in reverse: Senegalese Afro-cuban Music and Tropical Cosmopolitanism" (2018)
Florent Mazzoleni "Afro Pop: L'age D'or des Grands Orchestres Africains" (2011)

・Linernotes

"Star Band de Dakar" (Bellot Records, 2010)
Etoile de Dakar featuring Youssou N'Sour "Once Upon A Time in Senegal - The Birth of Mbalax 1979-1981" (Sterns, 2010)
Pape Fall and African Salsa "Artisanat" (Sterns, 2002)


 他、多数。自分がまとめたディスコグラフィーも整理し直したい。データを整理して、スターバンドのきちんとして通史を書いてみたいとも思う。(今バオバブの歴史についても調べ直しているところなのだが、両者は深く関係し合っていて面白い。)





(続く)


##

追記1 (2019/03/13)

1) スターバンド在籍ミュージシャンに関して新たな情報が多数得られたので、メンバー遷移表を更新。Ver. 20190313。

2) "roots in reverse" の著者 Richard M. Shain さんから連絡。Vol.1 のパーソネルに関して「アルトサックスの Thierno は、ハラム Xalam などでも活躍し、現在はバオバブに在籍するチエルノ・コワテだと思う。」と推測したのは、その通りだとのこと。

3) "Senegal 70" (Analog Africa AACD 079) のライナーを読んでみたら、Analog Africa の Samy Ben Redjeb さんと Teranga Beat の Adamantios Kafetzis さんによる貴重な情報が満載。スターバンド関連では:

・Ibra Kassé が生まれたのは 1927年。生誕地はカオラック Kaolack。10代の時にフランスに渡り(密航し?)様々な職につく。その経歴が興味深い。彼は若い頃から相当なヤリ手だったようだ。フランス人女性を結婚し、セネガルに帰国。そして Le Bon Coin Parisien を開店(ここではいとこ云々という話は出てこない)。

・スターバンドを出入りしたミュージシャンの経歴についても多く書かれている。ただし、Aly Penda が「1971年から1975年の間、スターバンドなどで演奏した」とインタビューに答えている(P.21)一方で、1969年にスターバンドを脱退して Tropical Jazz に合流したとも書かれている(P.35)。どちらが正しいのだろう? こんな矛盾ばかりだ。

・その Tropical Jazz de Dakar はやはりスターバンドの後、1969年の結成だった。Mady Konaté のもとに、スターバンドから Sidat Ly、Aly Penda、Lynx Tall、Birame Yacine が集まったとのこと。

・Laba Sosseh は 1968年まで Super Star に在籍。その後アビジャンで Dexter Johnson とグループ名で問題を起こした逸話は面白い。

・チョーン・セック Thione Seck も 1973年に短期間スターバンドにいたらしい。

・一番重要なのは Orchestre Laye Thiam に関する Pape Diallo へのインタビュー。彼らのファーストLP(つまり IK 3024)は 1971 年か72年に録音され、セカンド(IK 3026)は 1974年頃にリリースされたと書かれている。

・もうひとつ見逃せないのは、カオラックでのコンサート後に起こった事件。演奏が良くなかったことに怒ったカッセとバンドのベテラン組とが衝突。カッセは彼らを全員クビにしたという。そこで急遽、先に加入していたメドゥーン・ジャロの他に、Standard というバンドにいたバラ・シディベ、バルテレミ・アティッソ、ルディ・ゴミスらを集めて、新たなスターバンドを組んだということ。これがオーケストラ・バオバブの出発点のひとつと考えて良いだろう。

4) スターバンドは基本的に絶えず続いていたとする推測には変わりはない。しかし、バオバブたちが1970年代半ばの録音したものを、カッセのレーベルからリリースしたとするのは、やはり不自然。"Senegal 70" のライナーを読んで、バオバブの録音(IK 3026 のB面)は1969年か70年の録音なのではと、考えが後戻りし始めた。もうひとつの可能性として例えば、LP を作るのには Orchestre Laye Thiam の録音だけでは足りないので、その穴埋めにバオバブの古い録音を持ち出した可能性も考えられるのではないだろうか?


追記2 (2019/03/13)

5) Idrissa Diop & Cheikh Tidiane Tall "Diamonoye Tiopité: L'époque de L'évolution" (Teranga Beat TBCD 013, 2010) のライナーにも重要な情報が。

・"Orchestre Cheikh Tall et Idrissa Diope" (IK 3025) が制作されたのは 1975年だったと、イドリッサが答えている。イドリッサたちは Le Sahel とはまた別のグループを組んでいて、、2年間ミアミで演奏していた。それで、彼らの方からカッセにレコーディングを持ちかけたらしい。

・これで次の "Vol.7" (IK 3026) がリリースされたのも 1975年だったと考えて良さそうだ。

(イドリッサのファースト・アルバム "Dioubo" が N'dardisc からリリースされたのは 1969年、彼が19歳の時だった、等々、このライナーを改めて読むと、他にも興味深い記述がいくつもある。そのあたりについては後日書いてみたい。)


追記3 (2019/03/14)

6) Mar Seck "Vagabonde" (Teranga Beat TBCD 018) のライナーにも情報数多。それらに基づいて「メンバー遷移表」を更新。このライナーには60年代末のスターバンドのパーソネルが記載されていて、結成時のメンバーのホセ、ハリソン、アームストロングが残っていることがわかった。このライナーによると、イッサ・シソッコも短期間スターバンドの一員だったようだ。マー、ヤヤ、マゲッテが参加した経緯についても明かされている。
 そして、さらに有益な資料が見つかった。

(それらから得られた情報については次回に。)



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by desertjazz | 2019-03-12 00:00 | 音 - Africa
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