アフリカの記憶 041

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 Zaire / Kinshasa 1996

 Night in Matonge 1

 モブツ大統領の親戚、そう名乗る男と飲む。
 「フランコの音楽が大好きだ」と彼に話すと
 車で走り、場末のライブハウスに連れて行かれた。
 屋根もなく、お世辞にも綺麗とは言えない店だった。

 延々凡庸でスローなスタンダード・ジャズが続き、ただただ退屈。
 ところが、24時を過ぎた瞬間、突如ギアが入る。
 軽快なリズム、煌びやかなエレキギター。
 スークースのリズムに乗って踊る女と男。

 親戚氏にシマーロという人物を紹介される。
 状況がよく分からないまま一緒に記念写真を撮る。
 さらに(眼帯の?)男を指差し、
 「あいつは1952年から死ぬまでフランコの世話をしていた」と言う。

 なんだ、このバンドは Bana OK じゃないか!
 どおりで芳醇なサウンドなわけだ!



*予期せず、キンシャサの歓楽街マトンゲまで案内された時の記憶。写真の左はシマーロ、中央はモブツの親戚氏。

*1996年4月27日の日誌には、正確には「眼帯の男は、1952年以来、Franco につかえていて、ベッドも一緒だった男だということだが本当だろうか。」と綴られている。眼帯の男を見た記憶はなく、背がやや曲がった男を指差していたようにも覚えているが、はっきりしない。

*フランコ Franco は言わずと知れた、コンゴのルンバとスークース(リンガラ・ミュージック)の完成者に留まらない、アフリカ音楽の帝王。フランコは 1989年に51歳で世を去ったが、その後彼のバンド T.P.O.K. Jazz はギタリストのシマーロ Simarro が引き継ぎ、Bana OK として活動を続けた。生涯で3000曲残したとも言われるフランコは私にとって最愛のミュージシャンの一人。彼を生で観ることはできなかったが、その仲間たちの演奏を聴けただけでも幸せだった。






by desertjazz | 2020-06-23 00:00 | 旅 - Abroad
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