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アフリカの記憶 099

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 Senegal / Dakar 2002

 2002年2月、2度目のセネガル旅行を終えて帰国。それからしばらくして、ユッスー・ンドゥールの新作 "Nothing's in Vain" とオーケストラ・バオバブの再結成第1弾 "Specialist in all Styles" の日本盤ラーナーノーツの執筆依頼が、突然ワーナーミュージックから舞い込んだ。私はアフリカ音楽も好きだけれど、あくまで一人の音楽ファンに過ぎないと思っていたので、これには正直驚いた。しかし、ユッスーのようなアーティストの解説は一度書いてみたいと夢に思っていた。ならば引き受けるしかない。

 これらの2つのアルバム、制作した World Circuit の力の入れようはかなりのもの。特にバオバブには特別な熱意が感じられた。プロデューサーのニック・ゴールド Nick Gold は当初、解散していたバオバブのメンバーを集め、彼らをキューバに連れて行き、そこでレコーディングする計画を立てたらしい。しかし、ビザの問題が解決しなかったため、そのプランは断念(その代案として生まれたプロジェクトが Buena Vista Social Club だった)。それでもユッスー・ンドゥールとの共同プロデュースの下、"Specialist in all Styles" を完成させたのだった。

 ユッスーとバオバブのファイナル・マスター前らしき音が録音されたディスクが届いた時の感激、それを聴き始めた瞬間の感動は忘れられない。ライナー2本は、その2枚を繰り返し聴きながら、2ヶ月かけて徹底的に情報を集めて書き上げた。バオバブのニューアルバムはかつてのレパートリーの再演集だったので、ライナーを書く上で、ダカールで彼らのアルバムのほぼ全てを集められたことが大いに役立った。直近ダカールを旅したことが、このような形で生きてくるとは予想外。


 バオバブのニュー・アルバムのリリースに合わせて、World Circuit が制作したプロモーション・ビデオもまた贅沢な力作だった。実に 25分以上もある長尺な映像作品で、バオバブのメンバーたちがダカールの街を紹介するという内容。その4分過ぎ、ユッスーの提案によりバオバブに新加入した若手シンガーのアサン Assane Mboup がダカールのとあるレコード屋を訪ねる。そのシーンでアサンは「この店でバオバブについて学んだ(Laye Mboup のテープを買った)」と語る。


 その店の佇まい、通りの雰囲気、そして店主の顔を見てびっくり! あの親父さんだ! そこに登場したのは「アフリカの記憶 098」で写真を載せたファスの店だった。この親父さんは、実は有名人だったのか!

(旅の手帳を見返すと、店主のお名前は Assane Gueye さん/店の住所は B21。アサンも「僕と同じ名前」と店主を紹介しているので、間違いない。 ついでにメモしておくと、同じファスでは、Henri Louis Houmenou さん/ B262 にもお世話になった。皆さん、今もお元気だろうか。ダカールにまた行きたい! ・・・と書いていたら、先ほど Matthew Lavoie さんが Facebook にメッセージを下さった。Matthew さんはかつて Fass の Assane さんの店の近くに住んでおり、彼のところに通って色々教わったそうだ。そして、残念ながら Assane さんは既に亡くなられたとのこと。Assane Gueye, R.I.P. )


 その後も、バオバブたちとの繋がりは続く。2003年6月、彼らのライブを観るべく、フランスのアングレームで毎年開催される老舗の音楽フェスの取材へ。プロモーター(カンバセーション)の依頼を受けて、そこで彼らへのインタビューも敢行。ステージ演奏を初めて体験できたし(ステージ照明が崩れて本番は中止になったが)、メンバーたちとも初対面してしまった。

 そして8月にはオーケストラ・バオバブが初来日。その時、富山に飛ぶ彼らと羽田空港で偶然ばったり遭遇し(私は帰省旅行中だった)、バオバブとの縁を感じたのだった。その富山のスキヤキ公演は観に行けなかったが、渋谷クアトロで彼らと再会。そのライブはとにかく最高だった。また、フロアの最前方に立っていた若い女性が、ライブが始まる直前まで私が書いたライナーノーツを熱心に読んでいて、それが目に留まった時とても嬉しかったことも記憶している。ライブの後、メンバーたちを引導して遅い晩飯に出かけたことも懐かしい思い出だ(リード・ギターのバルテレミ Barthélemy Attisso に海鼠腸(このわた)と日本酒を勧めたら「美味い」と言って箸を進めていたなぁ)。

 さらにさらに、ニック・ゴールドが「次作の参考にしたいから、バオバブの昔のレコードを聴かせて欲しい」と連絡してきたので、アルバム10枚分くらいの音源を CD-R に焼いてイギリスに送った。どれだけ参考になったかは知る由もないが、それからしばらくしてリリースされたのが復帰2作目の "Made in Dakar" だ。

 2007年11月、その新作お披露目ライブをパリまで観に行き、メンバーたちとまたまた再会。フロアから目立たないようにサウンド・チェックの様子を眺めていたら、テナー・サックスのイッサ Issa Cissoko が目ざとく私の姿に気がつき、バンドの演奏を止めてステージを降りて歩み寄ってきた。

「どうしてここにいる?」
「君たちのライブを観たくて日本から来たんだよ」

 その瞬間、抱きしめてきた。ゴワゴワした彼のヒゲの感覚が忘れられない。その夜、楽屋で聞いた話を含めて "Made in Dakar" のライナーを書き上げ、その晩のうちに東京のレコード会社に入稿したのだった。


 こうした貴重な体験の数々、それら全ての始まりは、ダカールで彼らの古いレコードを見つけたことだったのだと思う。今思い返しても濃密な数年間だった。




* "Specialist in all Styles" のライナーノートには細かな間違いもあるので、その「完全版」ないしは詳しい「バオバブ・ヒストリー」を書きたいとずっと考えている。今年はバオバブ結成50周年なので、良いタイミングなのかもしれないのだが。






by desertjazz | 2020-08-20 00:00 | 旅 - Abroad