旅の追憶 #3

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 Indonesia / Ubud, Bali 1997?

 学生時代、海外旅行には全く興味がなかった。北海道の山奥で育ったため外の情報に疎く(中学生になるまで洋楽を聴いたことがなく、ビートルズを知ったのすら13歳になってから)、家庭も経済的に豊かではなかった。なので、海外旅行など夢のまた夢。学生時代は実家からの仕送りを断って、バイト三昧の日々だった。

 そんな生活と考えに変化がもたらされたきっかけは、バリ島のガムランに興味を持ったこと。一生に一度でいいから、ガムランをバリで生で聴いてみたい。社会人になり、そんなことを思い始めた頃、たまたまバリへ出張された方と話をする機会があった。「バリ島に行ってみたいんです」、そう口にしたら、「行けますよ」と簡単なお答え。それで思い切って、1991年に初めてバリへと旅立ったのだった。

 初めて歩くバリ、しかも海外はまだ2回目で勝手が分からず、クタとデンパサールを少し巡った程度に終わった。短い旅行だったので、ガムランの中心地ウブドにすら行けなかった。なので、肝心のガムランに関しては、デンパサールの公園で観光客向けの平凡な公演を観た程度だった。

 それでもバリまで簡単に行けることを知ってしまってからは、この南の島に通うことになる。1週間程度休みが取れると、すぐにチケットを取って飛んで行ったので、1990年代だけでも、91年10月、93年3月、94年8〜9月、96年3月、96年5月、97年3月、97年6月、99年8〜9月と実に8回も訪れている(何の巡り合わせか、そのうち最後の1回は本職でのガムランの撮影と録音だった)。

 バリに通い、ガムランの著名グループを繰り返し鑑賞することで、それぞれの優劣や自分の好みが分かってきた。そうして巡り合ったのが、一人の天才ダンサーだった。それはユリアティ Yuliati という名前の少女。初めて観たのは、多分10歳ちょっとの頃だっただろうか。

 可愛らしい容姿もさることながら、とにかく踊りが素晴らしいのだ。美しく艶やかで躍動的で、かつ無駄な動きも乱れも全くない。他の踊り手とは、身体の動きも、型の決め方も段違い。まるで子鹿が舞っているかのような、軽やかさとしなやかさに、すっかり魅入られてしまった。もしかすると、現代のマリオ(20世紀前半に活躍したバリ史上最高のダンサー)を今、自分は目にしてるのだろうか? そんな考えが頭をよぎるほどだった。ユリアティの踊りが観たい。一時はそれでバリに通っていたくらいだった(と言いたいところだが、実際に彼女の踊りを観たのはせいぜい3回程度だったかも知れない)。

 今でも数年に1度、2週間ほどバリで過ごしている。そのようにバリを往復する間に、自分の関心事は、ガムランだけでなく、美術、スクーバダイビング、料理、イカット(絣)、建築、等々と変化して行った。ここ20年くらいは、何より虫や鳥や川や風などの自然音が心地よくて、森に囲まれた隠れ家的な宿で過ごすことが最大の楽しみとなっている。

 その一方で、ガムランは全く聴きに行かなくなった。観光客向けのパフォーマンスよりも、バンジャール(集落)の祭事や葬儀で演奏されるガムランなどの方が、音楽として遥かに活き活きしていると感じるようになったせいもある。しかしそれ以上に、ユリアティほど夢中になれる存在がもういないからなのだろう。昨年バリで長年の友人に会った時、「もうガムランを観たいと思わないでしょ。ユリアティはいないから」と言われた。全くその通りなんだよなぁ。


(この写真の撮影日について現在確認中。これまで 14回訪問したバリ、資料も写真も多すぎて整理仕切れていない。バリの写真のスキャンも始めたばかり。これは補正前の写真なのだが、それにしても色の厚みに欠ける。)






by desertjazz | 2020-09-03 00:00 | 旅 - Abroad

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