2020年 09月 16日
アフリカの記憶 120
Kalahari #20 : Botswana / CKGR-Gyom 1993
デング(親指ピアノ)のマエストロ、3人目はカロウチュバさん。
彼は絶えず自分のデングを手にしており、つぶやくように歌いながら弾いていた。シンプルで少し切ない旋律を延々とつむぎ続けるだけなのだが、耳を傾けていると何か心に響いてくるものがある。特に、毎日太陽が沈むころ子ヤギたちが鳴き喚く中で、カロウチュバが淡々とデングを響かせる姿は、どこか感傷的にさせる光景でもあった。(日誌には「アクションも面白い」と書かれているが、さてどのようなものだったか?)
彼はほとんど、あるいは全く目が見えない。だから、より一層、楽器と対話するようになり、内省的な音楽を奏でるようになったのだろうか。音楽的にはカンタの方が完成度が高く、個人的にも好きだ。その一方で、カロウチュバのデングには、他の弾き手にはない深い魅力を感じた。
ただその音楽は、どこまでも彼個人のためものであり、他人がそれに共感することに何か意味があるのだろうか。彼の録音を聴き返す度に、そんな疑問を抱き、それがどんどん膨らんで行くのだった。
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